2016年3月31日木曜日

純度を上げて【美とモテ】がほしい自分を知った。あなたは純粋な欲望に従って生きていますか?

by Max Krebs
綺麗になりたいです


あるものを生かす、ってたぶんみんなできてないよね。


わたしもそうです。


自分が持っているものってなかなか気づけない。
それに、評価できない。



持っているものっていうのは、

今与えられている環境とか、
今までに得た経験とか、
得意不得意の才能とか、
自分の体とか、
生まれてから死ぬまでの制限時間とか、

…欲望とか。ね。



まあ与えられたものっていうのは、
どれをどれだけどんな風に使っても自由なんだよね。

好きなように組み合わせて。



自由なんだけど、

ここで大事になってくるのは、
自分の中から理由もなく湧き出してくる欲望であって、
じぶんに与えられた要素各種を使っていく方向性を示すものなんだと思う。

ナビというか地図というか。



そして、今のわたしの感覚では、

欲望に従って、
自分に与えられたものをうまく混ぜて使いこなせたら、
制限時間終わりましたーって瞬間に、
「よっしゃーやりきった!!」ってなるんだろうと思うのですね。



でも、たいていの人は、この地図(ナビ)をまず捨てている。

いらんわーって。

砂消しでめっちゃごしごし消している。
修正液塗りたくっている。


で、いろいろ各種ツールの使い方は必死で勉強するんだけど、
それを使ってどうすればいいのかわからん。

どうしたいのかわからん。

どうしたら満足できるのかわからん。


そしてしんどい時間を過ごす。

タイムリミットがどんどん近づいてくる。




最近それに気づいて、まじか、と思った。

ねえ、うちら一番大事なもの捨ててますけど頭大丈夫なんですかね?
やばいですよね?




わたしが最近パッカーン!!て、したのはね。
気づいちゃったのはね。


モテたい欲望と、美しくなりたい欲望でした。


セブ行ってね、
帰ってきてね、

このブログでも書いてる通り、自分の中でいろんな変化があったんですが、


めっちゃすっごく素直に力強く、
「あたし綺麗になりたい」
って思ったんです。


声が身体中に響き渡っている感覚で、
「もっともっと男の子たちに優しくされて大事にされたい」

って、欲がコンコンと湧いてきてました。



と言うよりむしろ、

わたしの人生、それありきだ。
綺麗でモテてなんぼ、それがわたしの人生の前提。
絶対に必要。そこから始まる。


という感覚です。


わたしにとって、それはタブーでした。

綺麗になりたい、モテたい、という欲望は一瞬たりとも持ってはいけないものでした。

いけない汚い悪いものでした。



なので、最初は自分でも驚きました。

あまりに爽やかに素直に出てきたからね!


感情のザワザワはもちろんありましたが、それ以上に、
「あああああ!!!!コレだったか!!!!!!わたしのメインテーマのひとつは!!!!!」
「こりゃあ見つからないわ!」
とまるで他人事のように、隠したやつ(←自分)を褒めたたえた後、

それを素直に受け取れるようになった自分、進んだな、って思いました。



お風呂に入りながらそのことを考えてたら体の内側から感情が溢れてきて、
嗚咽しながら泣きました。

やっとここまできた!!!!!!(/ω\) という感覚です。


お疲れっす~

まじお疲れっす~


相当しんどいときもありましたけど、やっとここまで来たんすね~

お疲れっす~


みたいな会話を鏡の中の自分と交わし、泣きました。笑


きつかったんだよバカヤロー!!!っていう気持ちも湧いてきて、

それに自分で「でもお疲れよくがんばった。ありがとう」って返してました。



脳内会話、人に説明するの恥ずかしいですが、
今後フォロー入れるのやめます。

最近いつもこんな感じです。



そいでね、

タブー、ブロックがそこにあったということは、
わたしにとって、絶望するほどに重要ってことなんだと思うんです。

わたしの人生の中で、学びが多くて、一番得意なジャンルになる可能性があるということです。


そして、わたしの中に、
「美とモテ(性)」についての欲望が大きな割合で存在しているということは、
その欲望に忠実に生きれば、
人生がスムーズにまわりやすいということだという気がします。



そもそもそれらに興味がない人もいると、わたしは知っています。

でもその人たちは、
わたしが強い欲望を感じずブロックも持っていないジャンルに、
強く惹かれながら抵抗を感じるのだと思います。

そして最終的に、そのブロックを解除して欲望に素直に従えるようになり、
そのジャンルをマスターするんだと思います。



だからさ、何も恥ずかしいことなんかないんだよね。

感じちゃいけない欲望なんかない。

自分の現時点が、すっごい情けなくていたたまれなくても、どの口が言ってんだ?って(自分自身に)思われても、それでも自分の純粋な欲望ならまっすぐ見よう。

それがあなたの地図なんです。


他人との比較も意味ない。
その人はその人自身の欲望に忠実に生きなくてはいけないんだから。


そんなことを思っています。





次は、「美とモテ」ブロックをつくった原因について書いてみます。たぶん…





2016年3月26日土曜日

セ ックスについて鱗ぽろぽろ。わたしのことゲスの極みと思わないでね。

by 201407240100

だって、本音って総じてゲスなんだもーん



男友達にすきと言われた。


うれしかったけど、わたしは好きじゃないなあと思った。


わたしには別に好きな人がいて、
それじゃなくても彼のことはいい友達としか思えないなあと思った。

そう言った。


でも、そのピュアな告白がうれしかったから、
何かお返しをしたいと思った。


でも何がいいのかわからなかった。




その夜、二人きりだった。



夜が更け、眠ることにした。



わたしはベッドで、彼はソファで寝ることにした。



しばらくして彼が私のベッドにやってきた。

好きじゃないけど、すこしエッチな気分になった。



彼は手を出してこなかった。



でも、ああ何かあげたい。と思った。



結果、洋服を脱いで、した。



でも残念なことに、
色っぽい気分は早々と消え去り、

「へえ、こういう表情するんだ」と観察している自分が現れた。


痛かったので、
「痛い痛い痛い。ストップ」と言ったが、

彼はストップしなかった。



あとで、感想を聞かれ、

「気持ちいいが50、痛いが50」と言った。


「ストップかけてるのになんでやめないの?」と責めると、

「なんでそんなに意地悪なの?300キロ出してるF1カーに止まれって言ってすぐに止まれる?」
と言うのでおかしくなり、


「300キロ出てたの?」と聞くと、

「ロケットのほうが近い」と答えるので笑った。




しばらくして、セカンドチャンスがほしいと言ってきた。

「次は気持ちいいを増やしたい」と言ってきた。


わたしは、「またロケットになりたいの?必要ない」と言った。


しかしF1カーのブレーキをかけることを一瞬ためらったのがよくなかった。

勝手に走り出した。



結果、

何かプレゼントしたい気持ちが減った状態のわたしは、もっと観察者に近づいた。


ハグは、友愛の情を示すのにいいんだけど、

キスはできないな~と思った。だから「NO NO」と言っていた。





ロケットが着陸したとき、

わたしは何とも複雑な気分だった。



全然気持ちよくないセックスを自分に味あわせてしまったなあ、
二回目は断るべきだったなあ。

好きじゃない人とするなんてよくないよなあ、
道徳的にもあれだし、
彼はわたしのこと好きって言ってるのに申し訳なかったなあ、
でも男だからできてラッキーなのかなあ。
だとしたらまあいいけど。


↑のような多少割り切れない後悔のフィーリングと思考あり。



でも、いくら相手が自分を好きだと言って優しくしてくれても、
好きじゃない人とはキスもしたくないって思うもんなんだなあ、
こんなにさっさとエッチな気分が冷めるなら、
相手にも悪いし、やっぱ本当の本当にこころがGO出したとき以外はやめたほうがいいなー

よし、もうこれからはこの経験いらない!
ありがとう●●●!!
あなたのおかげで、より自分の理解がシンプルになったよ!


みたいな、爽快感あり。こっちは感覚。いえーーい!って感じ。




で、落ち着いた彼は、
自分のことをどう思うか聞いてきた。



英語でそれを伝えないといけないのはかなり難しかったんだけど、

「何も感じない。あなたのことは友達としては好きだけども、恋はしていない。
わたしには他に特別な人がいる」
みたいなことを言った。

胸が痛んだ。


当然のごとく彼は、

「じゃあなんで僕としたの?理解できない。分かるように説明して」って言ってきた。


DA・YO・NE★


その質問、答えるの辛かった。

「日本語だったとしても今のわたしの感覚を説明できるとは思えない。
わたしはクレイジーなだけかもしれない。
ただ、わたしはハートに従えるようになりたいと話していたけど、
今回わたしのハートはあなたに何かプレゼントをあげたいと言っていて、
それがこの経験だった。
わたしは後悔していない」

と伝えた。



「そんなプレゼント…」と表情を曇らせる彼に、

「でも好きな人以外と寝ても気持ちよくないってわかったし、それはよかったよー♪過去のわたしとはもう身体の仕様もテンションも変わっちゃったみたい~(^^♪学ばせてくれてありがとね~♪」


とは口が裂けても言えなかったけど、

ココロの中ではそう思っていました。ごめん●●●。






それから、

シャワーを浴びて、

通常営業に戻り、

集中してPC作業を何時間もやって、

「もう恋愛はしばらくいいや…」とつぶやく彼。哀れ。



「たぶん近い未来、綺麗で優しくて頭のいい女の子と出会うはずだよ。
そして今度は両想いになる。
あなたはまた恋愛に対して慎重になろうとして葛藤するけど、
今度はスムーズに恋に落ちてだいじょうぶ」

とわたしが余計なお世話予言をすると、


彼は、

「そうだね。そして僕は彼女に(わたしがしたような)プレゼントをあげて、でも他に好きな人がいるから、って言うよ」

って嫌味を言う。




その後も、わたしが辛口の冗談を言うと、「なんでそんなに意地悪なの?」と言う彼。

ru 「でもそんなわたしが好きなんでしょ」

男友達「うん。でも僕のこと好きじゃないんでしょ」

ru 「OMG,!!!!わたしのこと殺す気?破壊力抜群のクエスチョンは禁止」


もうネタになってます。




男友達とは、前よりもっと距離が縮まった気がする。

何かと気遣ってくれて、
手伝ってくれて、

優しい。



やったね。



「別に好きな人がいるってわかってても、君がいなくて恋しいと思ってしまう」
という彼はすこし不憫だが、

ちょっと自分に酔ってるんじゃ?と思ったときは、突っ込ませてもらっています。



クレイジーなオンナでごめん。


いや、心からのプレゼントだったんだって。ほんとよ。

でも嫌ならオンナを見る目を問い直すチャンスと思え。

学びだ、学び。笑




わたしにとってこの体験は、

セック スはセック スに過ぎない、ってことが分かったいい機会だったよ。


正直、しばらくそういう機会を持ってこなかったから、
今の自分がどう感じるのかに興味があったんだよね。


怒りや罪悪感はもう出てこなかった。

男って性を憎む時期は、もうほぼ終わったと感じた。

犠牲になってるみたいなグジュグジュの卑屈な感情も出てこなかった。
(でも痛いのは我慢に入るから今後は排除)

それも実地でわかってほんとに嬉しかったの。


だから笑いながら、

思っていることとかも適時伝えるコミュニケーションができた。


それも進歩。



でもね、

わたしがこれから経験するのはそれとは一線を画したものにしたいってわかった。


レベルを上げる。


聖なるもの、にするわけよ。

キスしたい相手だけとね。

溶けるような感覚をふたりで味わうための時間。





だから●●●、まじでありがとう(*´▽`*)



これからも、友達としてよろしく♪



i love u.... as a friend♥ (⋈◍>◡<◍)。✧♡

Please don't kill me...
































結果どうなるかはおまえの知ったことじゃない、ただやれ。

by Shan Sheehan

こわいこわいこわい。


好きなことをやると、否定されるのがこわい。

好きじゃないことをやって、それじゃ駄目だと言われるよりずっとこわい。



こいつ馬鹿だと思われたくない、

失敗したくない、

それくらいも分からないのと言われたくない自分がいます。



身体が固くなってるのに気づいて、まずいまずいと息を吐いて、

また固くなってるのに気づいて、

「自分に集中」と言い聞かせて、


気づいたらまた固くなっている。



これって、全然他人軸っていうことですね。



評価されたいよ。



失敗したくないし、

こいつ何考えてんの?って思われたくないよ。


へたくそなのはまだまだ仕方ないとして、



わたしの中身を見てほしいのに、
さらけ出すのがこわい。

わかってもらえないんじゃないか?って思ってる。


でもね、

掘っていくと、

「わたしのほうが先に進みすぎていて理解してもらえないんじゃないか」
って思ってる自分がいる。


なんつー傲慢。


でも怖いよ。



問いかけが「これをやって後悔しないか」になってる。


違うでしょ。

「私はどうしたいの?」だし、

「これは愛か?」を基本に据えておくんでしょ。



リラックスが、遠くなっている。

車の運転中も頭ぐるぐる。



違うでしょ。

わたしは、自分の中から出てきたものを形にしたいんでしょ。

美しいものを表現したいんでしょ。




怖くてもやれよ。



あとのことはおまえの知ったことじゃない。ただ出せばいいの。

やらないと許さない。


逃げられると思うなよ。


やれ。







2016年3月23日水曜日

セブ留学の荷物② ~今スーツケースに入れるならリスト~

by payalnic

身軽でいたい



セブ留学の荷物① ~反省点~  の続きです♥



(もう向こうの状況を知ってるので後出しじゃんけんですが、参考まで。)


状況は、
1月初旬、沖縄~成田~セブ 乗り継ぎ。 ※成田空港近くのホテルで一泊あり
留学期間:一カ月+フリー10日

※ちなみにうちの学校では、洗濯はお願いして翌日か翌々日に受け取る形でしたが、天候によっては4日くらい戻ってこないことも。


【衣類】
・Tシャツ4枚
・ショートパンツ(速乾性高いもの含む)3枚
・ジーパン1枚
・ジャージー素材綺麗目パンツ1枚
・シャツかブラウス(綺麗目)1枚
・しわにならないワンピ(綺麗目)1枚
・パーカーやカーデなど羽織もの1枚
・ストール1枚
・アクセサリー(普段つけてるやつ)
・時計(安いやつで十分)
・ウィンドブレーカー(黒以外、アウトドア用)1枚
・水着1セット
・サングラス
・タオル大2枚、小5枚
・ブラトップ4枚
・パンツ(コットン素材でサニタリー兼用)5枚
・小さいコインケース
・小さい斜め掛けバッグ
・化繊の袋(洋服やさんでもらうようなやつ。海とか行くとき用)
・ナイロン製バッグ(アウトドアやジム用)
・スニーカー1足
・ビーサン1足
・ローヒールのサンダルかバレエシューズ1足
・靴下2足分
・タイツ1足
・シルク素材のレッグウォーマー(長め)1足

・ショート丈のダウンジャケット1枚


ですかねぇ。

ruは繊細なブラはもう持っていきたくないです。
ブラトップ、すごい楽でした。
夏場は下着の線を隠すためにキャミも持って行かなくてはいけないし、
洗濯のことを考えてもブラトップに軍配があがりますね。


綺麗目ワンピや綺麗目シャツ・ブラウス、パンツというのは、
授業によってはみんなの前で発表する機会を与えられることがあり、
生徒たちが可能な限りのフォーマルな装いを要求されているのを見たからです。
男性はシャツにチノパン、
女性はブラウスにスカート、もしくはワンピース…のような。

わたしは汚れてもいい服しか持っていなかったので、次からは用意しておこうと思いました。
とろみ素材のブラウスとパンツがいいかもしれない。
綺麗なレストランに行ったときのために、かさばらないワンピースも。


まあ、カジュアルな服や下着に関しては、
モールやコロンに行けばいくらでも売っているので、
現地で買うつもりで行っても困らないでしょう。




【美容、薬】
・歯ブラシ
・塩(歯磨き粉がわり)
・シェーバー
・シャンプー、コンディショナー試供品(あるだけ)
・オイル(髪の毛・全身用に使えるもの)
・ムヒ
・ばんそうこう
・日焼け止め(石鹸で落ちるタイプ)
・アイブロー
・色付きリップ
・1dayコンタクト
・生理用品(夜用、タンポンはセブでは買えないと思っていたほうがいいです。それ以外は買えます)
・セスキの粉末

くらい…

わたしメイクしないからこんだけだけど、
同室の女の子は3キロ分くらい持ってきてたよ。ヘアアイロンやドライヤーもいろいろ。

石鹸やシャンプー、オイルなどに特にこだわりなければ、
フィリピンは試供品みたいのがいっぱい単品で売っているし、
石鹸も、パパイヤやココナッツ、ライス…など現地のものが使われているものを試すのも(40円くらいだし)楽しいです。

ruはhuman natere というフィリピンのオーガニックブランドをいくつか買って使いました。
お手頃価格だし。
ただ全般的に甘い匂いは強いです。


日焼けして大変なことになったときは、
薬局でビタミン剤を何粒ずつか買って飲みました。
普段は買えないマンゴーとかココナッツとか食べて内側から回復を試みてみたり。


今回持って行くのを忘れて後悔したのは、コンタクト。
普段しないから意識に上らなかったんだけど、海とかプールとか入る機会多いので、
あったほうがよかったです。




【ガジェット類】
・スマホ
・スマホ充電器
・電子辞書
・電子辞書用電池
・ノートPC
・PC充電器
・USB(容量大き目)

・ポケットwifi(プリペイドで1カ月1000ペソくらい。長期滞在なら現地で買ってもいいかも)
・現地用携帯電話(あれば。wifiなくてもsmsと電話できるのはありがたい)

うん、これくらいならどこに何があってって、すぐ把握できる。
ポーチも小さくてすむ。




【食べ物】
・飴、お菓子
・お茶
・青汁(野菜を補うため…)

わたしは基本的に、外国に長いこといても日本食を恋しく思うタイプではないということがわかりました。どこの国のごはんでも美味しく食べて生活できます。
だから、上の3つもなくてもやっていけます。
あえて言うならって感じ。
ふりかけも、わたしは不要でした。
でも毎食使ってる子もいたし、人それぞれですね。




【その他】
・タンブラー
・シングルコアレスタイプのトイレットペーパー(日本のものはまじでいいです。フィリピンの、すぐなくなる。消費の早さにびっくりする)
・タッパー(あれば便利)
・使い捨てのスプーンとフォーク、お箸
・五徳ナイフ(果物むいたりするのに便利)
・ハンガー(クリーニング屋さんとかでもらうやつ)
・ピンチ付きの洗濯ものほし
・ジップロック 数枚
・目覚まし時計(なくてもいいが、あると便利)
・スプレーできる容器(セスキ水入れたり)

こんな感じでしょうか。

まあ特別なものはないですが、覚書まで。
男性の場合はもっとシンプルでいい気がします。


あくまでも、これはruの場合ですのでそれぞれのカスタマイズは必要ですが、
参考になったらうれしいです。





2016年3月22日火曜日

セブ留学の荷物① ~反省点~ 


セブにいるとき、
最初はジーパンばっか履いてたけど、

だんだんショートパンツへと変化し、


最終的には、こんな格好ばっかりになりました。




UNITED ARROWS‐GREEN LABEL RELAXINGのシャツ、
200円くらいで近所で買ったピアス、
old navy(イミテーション) のショートパンツ
The North Face(イミテーション)のバッグ

ここには写ってないけど、ハワイアナスのビーサン(イミテーション)


中に着るのは、
ユニクロのブラトップ(グレー)か、
GUCCIの水着(イミテーション)のブラ。


しかし、あれですね。

イミテーションばっかですね。(;^_^A

向こうで買ったの、フル活用してたんです。

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余談ですが、

向こうはそれが普通というか、かなり多いです。
先生たちが持ってるバッグとかも、どこかで見たようなロゴ入ってますが、
100パーセントイミテーションですからね。(コロン地区とか行けばいっぱいある)

でもシャネルのバッグが2000円で売ってたら、
それ絶対本物じゃないし、怒る気にならないしむしろギャグですよね。
クオリティもあれですし。
そんな感じでした。

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もちろんひと月分ということで、結構服は持っていきましたが、
見当はずれの荷物が多く、最初から最後までスーツケースの中にいて、
スペースだけとってたものも多かった。
悔しかったですね!!くそぅ(-_-メ)


その多くは、羽織モノやストール、カーデ、靴下の類なんですけども。

事前の情報で、
学校の中は結構空調がきついから、
何か羽織るものを持って行ったほうがいい、と聞いていたので、
結構いろいろ持って行ったんです。

シルクの靴下とタイツ二枚も含めて!
(ルームメイトが外国人だと、ガンガン冷やすこともあるって聞いてたからね)


でもルームメイト日本人~

教室寒い部屋もあったけど、パーカー一枚+カーデ一枚あれば足りる~

靴下、スニーカーを履いた一回っきりしか履いてない~
しかも冷え取り用じゃない~

ストール、飛行機の中と成田のターミナル移動のときしか使わない~


って。おい。



あと、ガジェット関係も同じく反省点山盛りでした。
iphoneさえ持ってれば、持っていくと選択しなかったものの多いこと。(ruガラケーだったからさ)
何か一つ持っていくとなると、充電器やら電池やら付属するものが多く、
それがすごく煩わしく感じられたのでした。

電子辞書とノートPCについては持って行って良かったけど、
ICレコーダー、デジカメ、ipodなど(すべて結局使わず)に関してはiphoneが一台あればまかなえたなあと。
今更ですが、ハッとしました。


わたしは、ここらへんのことに全くこだわりがないので、
なるべく合理的な軽量化の仕方を考えたいです。


あと食べ物。
食事が口に合わない可能性あるから、
ふりかけとかお茶パックとかポカリの粉とかいろいろ買って持って行ったんですが、
わたし何でも食べられるっぽい。
ほとんど使わず、現地に置いてきました。

まあこれはそれに気付けたからよしとしようかな。
飴は持っていってよかった。



それでも、

周りの子たちには、そんな小さいスーツケースでよく来ましたね?(65センチくらいか?)
よくそんなにつめこめましたね?(母がパズルのようにぎちぎちに詰めてくださいました)
って言われましたが、

結果的に不要だったものを持ってきていなかったら、
もっとすっきりしていたなと反省しました。



何が悔しいって、不要なものをえっさほいさと運んでいる自分が、
頭悪い感じがするじゃないですか。

自分に何が必要かわかってない、
かつ不安がいっぱいある感じがいやーーー(T_T)


これさえあればわたしはある程度のシチュエーションに対応できるわ、

っていう自信?ほしいね。



泣いててもあれなんで、
もし今同じ状況に対応できるようにスーツケースの中身をセットするとしたら…
って考えてみます。



なぜか「自分は間違っていてみんなは正しい」と思い込んでいた

やちむん市2016 in 読谷。
今年もぎりぎりの時間帯に行きましたー


殆どの人が実はそうだと思うけど、
わたしも例にもれず「そのままの自分ではだめだ」と思ってきました。


そのときはそんな風に思っている自分に気づきもしなかったけど、

今となれば
「だから自分が好きなことがわからなかったんだなあ」って感じ。

些細な事での自己否定が多くて。





たとえばね、

わたしは沖縄県の読谷というところの出身で、

今はBEAMSとかにセレクトされてたりするから知ってる人もいるかもしれないけど、
焼き物の窯元がいっぱいあるのね。
「やちむんの里」っていうのですが。

母親が好きで連れられて行く年に一度の「やちむん市」、
そこで買ってくる食器たち、
わたしにとってはすごく身近で親しみのあるもの。

で、たぶんその雰囲気が小学生のときから好きだったの。



あるときね、
女友達と一緒に付き合いたての彼氏にあげるプレゼントを、
横浜のデパートに買いにいったのね。

手ごろな価格で、可愛いもの。
マグカップはどうかなって話になって探したの。


で、

結局ウケ狙いも込みで、
お猿さんの絵が描かれたつるっとした素材のマグカップ買ったのね。

これぐらいが、
「可愛い女の子」が買う範疇かなって思ったんだろうね。



だって、そのデザイン、好みじゃなかったから。

可愛いとは思うけど、わたしなら絶対選ばないようなもの。
わたしのセンスには引っかからないようなもの。


だからその買い物も全然楽しくなかった。


「これぐらいが妥当?」
「これぐらいが可愛いって、素直な明るい子って思ってもらえる?」
そんなことばっか考えてたからね。


わたしが好きなのは、
「渋くて可愛くない」デザインだから、
それを知られたら「なんて可愛くないんだ」って思われる!!!って思ってたから、

女友達が軽ーく、
「これよくない~??」って言ってくるものをガン見して、
「きっとこれなら可愛いって思ってもらえる!」
「この子の選択ならきっと大きく間違わない!!」って、結局彼女が選んだようなもの。



「これをあげたい」とも
「これなら彼も喜んでくれそう」とも
「これなら笑ってくれるかも」とも本気で思っていない。


ただ、
「わたしが変なやつだって思われないように」というただそれだけを思って選んだ品。
全く思いがこもっていないプレゼント。打算。


彼にも、プレゼントにも、選んでくれた女友達にも失礼。
好きなやちむんに失礼。作っている人たちに失礼。


何よりわたし自身に失礼。


わたしは、自分自身の感覚を恥じていた。劣等だとみなしていた。



だから、
マグカップだけじゃないんです。

周りのみんなと違う?とわたしが感じたときには、とても防衛的になりましたし、
とても容易に自分の感覚を裏切るような嘘もつきました。



たとえば、大学時代どこに旅行に行きたいかという話をしていて、
「お遍路」とか「スペインの巡礼の地」とか「エルサレム」とか、言えない。
どんだけ惹かれていても、言えない。

せいぜい「スペイン~」くらいしか言えない。(;´・ω・)

「好みは変で異端で痛い人と思われる!やばい!」って、先回りして警戒してました…
自意識過剰ですね…



出先で雨が降ってきて、
友人たちがコンビニで使い捨てのビニール傘を買っていて、
「でもしょっちゅう買ってるとたまっちゃうよね」
「捨てればいいじゃーん」
みたいな会話をしているのを聞いても、

本当はすごく違和感なのに、
「わたしは頭が固いのかもしれない。そう思われたくないしそもそもわたしが変なのかも社会に適応できていなのかも。よしわたしも買おう。そして捨てよう。」

くらいに、間違った方向に努力してましたよ。



最近、そういったことを連想ゲームのように思い出し、

「わたしは間違っていて、みんなが正しい」
と強烈に思い込んでいた自分に気づきました。



どんだけ自分だめだと思ってるの?
どんだけネガティブなのよ?って感じですが、
ほんとにそんな感じでした。

人の目気にして常に後出しじゃんけんなんで、挙動不審入ってますしね。



そして、普通に考えて、

趣向とか価値観について自分の感覚を裏切り続けていると、
自分が望むことを素直に感じたり信じたりすることは難しくなりますね。

あったりまえですね。馬鹿野郎です。




だから最近になってようやく、
「これは好き!(誰が何と言っても)」
「これは嫌い!(誰が何と言っても)」
って言えるようになってきたのは、私の中ではすばらしい進歩でありまして、

「なんでそれが必要なの?」という質問に対しても、
「知らない!なんとなくしたいから・ほしいから」でスルーできるようになってきたのも、
大きな進化だと感じております。

(前はすべての行為に理由と一貫性が必要で、それを説明することは義務だと思っていたので苦しかった)


人の許可や評価を手放しつつあるんでしょう。
やったね。



今は「なんとなく好き」「なんとなくしたい」の感度を研ぎ澄ませて、
それに従う勇気と覚悟を持つことがわたしの課題です。








ずっとやりたかったことを始めるのは怖いけどやるしかないから震えながらやる

ずっとやってみたかったことを、やっています。


でも一歩ずつが怖くて、軽く動悸がします。



何が怖いんだろうと考えてみたら、

「未知の世界」に踏み込んでいくのが怖い。
どうなるか分からないから。


「間違ってしまわないか」怖い。
この選択は正しいの?って、いちいち思って二の足を踏む。



今わたしが手を出そうとしているのは、
これからわたしの人生を動かす最初のエンジン的機能を果たす物事だと、
なんとなく感じています。


小さい頃から、興味があったことです。



でも、いつの間にか自分にはできない、と信じるようになっていた。


手を伸ばすまでに、数年を要した。


力んでも意味がないことはわかっています。

ただ集中して、
ただ淡々と進めていくことだけが必要とされているとわかっています。


慣れてきたらきっと入り込んで、
肌がその空気になじんでいくのを感じるだろうことを予想しています。

それが楽しみで、始めている。



でも怖いんだね。


でも、始めないといつまでもわたしの人生が動き出さないから、
まあいっちょやってみましょう。


しばらく、このブログは逃げ場になることだろうな。


合っているの?ってぶるぶる震えて疲れたら、
いつでもここに逃げ込んできます。










2016年3月20日日曜日

好きだったけど好きじゃなくなった、更には最初から好きじゃなかったことを明らめる断捨離

by 201408010900

あなたに嘘はないか?


セブから戻ってきて、
古いエネルギーを感じるもの、
違和感を感じるものを処分したい衝動に駆られ、



やりましたね。


そのときに処分することを決めたものを記録として残しておきます。













可愛い系のブラウスやキャミソールは、
2015年よく着ていました。
気に入っていましたし、
Tシャツが苦手なわたしにとっては、一枚で着れるのでとても助かる存在でした。

でも、丈の短さと甘さが、違和感強くなってきました。

●参考まで↓
パーソナルデザインのサブ要素を自己分析してみたらナチュラルということに


ネットの古着やで買ったグリーンのブラウスは、
シルク素材というのがココロ惹かれポイントでしたが、
届いたらデザインが好みではなく一回も着ませんでした。

ネットはギャンブル。
Lサイズというのも引っかかってたのに安いからって買っちゃった。
注文時はもっと情報を読み込もう。

花柄のスカートも同じくネット。柄は好みだが丈が長いし素材が好みではない。
たぶん着ない。


Tシャツは、着てるとなんかびんぼーくさく見えるのが嫌。
そのリスクを負ってもいい、ほんとに好みのものだけを着たい。
薄きいろのやつは、ユニクロのシルク。
デザインも色も好きじゃないのに素材に惹かれて買ったが、着るたび「いやだなあ」が消えなかった。ごめん。


 スーツのスカートとシャツ。
そもそもスーツは堅苦しくて好きじゃないし、いやいややった就活のことが蘇る。
改めて着てみると丈の長さが短すぎると感じたし、
新しくイタリアウールの好みのパンツスーツを購入したので、手放します。
いやいや着てごめん。


カーデ類。
グリーンのやつは毛羽立っててもう寿命と思う。漂白剤の跡みたいのがふたつあるのもずっと気になってたから後悔なし。

ボーダーは…そもそもボーダー好きじゃないのに、「新しい自分を見たくて」買った。ユニクロで。ウール100ってのも惹かれポイント。…だったけど、やっぱ目がちかちかする気がして着ない。
新品だけど、さようならします。



ピンクのシルクキャミ。
冷え取り始めたときに、シルクふぁみぃで買いました。
気持ちいけれど、襟からのぞくのと色あい(ちょっと黄みより)が気になります。
誰か着てくれる人がいたらいいな。




リュックサック。
弟が使っていて処分するときにもらいました。
一回だけ使ったね。
でもわたしの趣味ではないので、新しいのを買いたいと思います。
ありがとう。


靴。
白いほうは、間に合わせで安くで買って、一回だけ履いた。
でももともとの好みではないので、もう履かない。

黒いミュールは、20歳ぐらいに買ったやつ。
結構履いたけど足痛くなるし、もう古くなってるので処分したい。



ベージュのカシミヤコート。
雰囲気は好みだけど、サイズと色が好みじゃない。
だけどコートがなく一生懸命探して、結局すこしだけ自分をだまして購入。
値段もそれなりにした。
でもやっぱりサイズと色が好みじゃないから手放す。


赤いジャケット。
結局「おトク」につられたんだな、赤いインポートワンピ

↑これとセット。
前は好みだった。
だけど今着てみると似合ってると思えないし、好みが変わってる。
一度も着たことないけど、ときめいたよ。ありがと。




総じて、


「ん~ここが気になるけど…まあいいか」と思って買ったものは、
すべてそれが最後まで気になったままでした。

好きじゃない点を、好きになることはありませんでした。

少しでも「ん?」と感じる瞬間があれば、
それに従わないといけないと思いました。

きっと、それは正しいから。


また、わたしにとって素材はとても重要ですが、
それがその素材じゃなくても好みかどうか?というのは要件に入れるべきですね。

見た目も同じくらいだいじです。

わたしには目がついていますし暗闇で生活しているわけではないのだから。


これらの反省点は生かしていきたいと思います。



でも、

それぞれ、いろんな関係性で関わってくれて、
わたしの人生の一部分を手助けしてくれて、ありがとう。

また別の人のところで、別の関係性で愛されて大事にされてください。

ばいばい。





今回の断捨離を通して、


好きで気に入っていたものでも、
とても短い間に好きではなくなる、ということをわたしは受け入れる必要がありました。


服の好みが変わった、という単純なことではありますが、

わたしにとってはそれだけではありませんでした。


それは、
わたしは変わった、ということとイコールでしたし、

過去のエネルギーにふさわしかったものは手放さなくてはいけない、ということでしたし、

それは情を捨てる、ということでしたし、

それは過去の信念を脱ぎ捨てていく、ということでもありました。



まだ自分が何に向かっているのかもわからないまま、

ただ自分の周りにスペースをつくっていくだけ。



何もなくなっていく。


痛みがある作業でした。



わたしは冷たいにんげんなのか?ちがう、ちがう!と、
情に絡み取られそうになる瞬間がたくさんある作業でした。


その中で、
この人のことを好きだと思おうとしていたけど本当は全く興味がないし、
きっと相手もわたしに興味がない、
と感じる人間関係を捨てる覚悟をしていきました。


まだ続くんですけどね。


クリアになっていくことは、偽の優しさを取り去ること。

厳しいなと、今はまだ感じます。



でも、今のわたしのほうが、前より身軽です。







快適さは敵?わたしは美しい空間を創りたい

by True Portraits
信じてもらえなくてもいい

自然と時間と仲間、そしてビールが飲めるくらいのお金があればいいの

という記事を、前回書きました。


あれは、本音です。


わたしの満たされ度と、モノの多さは比例しないということを全身で感じられたのは、
わたしにとって本当に大きな収穫でした。


これから書くこととそれは、わたしの中では矛盾しないんだけど、
人によっては、おいどっちだよって思うかもしれない。



わたしにとって、
「美しさ」というのはとても重要で、必要なことです。


人によって「美しさ」の定義はそれぞれだから、
わたしにとっての定義を示しておく必要があるね。



わたしにとって、

「美しさ」とは、心地いいことです。


五感にうるさくないことです。

つまり、違和感なく調和していることです。


五感をくつろがせて、身体から力が抜けていく気持ちよさを感じることです。


何も考えられなくなって、ただ溜息とともに溶けていくことです。


官能。




だから、道にたくさんのごみが落ちていて、
空気が排気ガスで汚れていて、
たくさんのストリートチルドレンが煙草を吸いながら通行人にお金をせがみにくる状況は、


わたしにとって「美しさ」ではなかった。



下水の臭い漂う泥と油で汚れた川にかかる橋のそばに、
たくさんの掘っ立て小屋が建っていて、
そこに住む多くの人が、都市の貧困を味わいながら生きている世界には、

まっすぐな「美しさ」を感じられなかった。


ただただ「どうしてこんな世界が?」と思った。



そんな環境でも、しぶとく強くエネルギーを発している人々には、
やはり人間の根本的な「美しさ」、そして強烈な印象を受けたけれど、

でも、やっぱりそれを全肯定できない。


わたしの世界はいつまでもその対比を必要としているのか?と問いかける必要があると思いました。


快適さはわたしの敵か?


わたしはどこまで多くを望むのか?

わたしはどこまで手放せるのか?

わたしの望む世界は、何かを犠牲にしてしか得られないのか?

わたしが得ることによって何かを奪われる人がいるという信念は本当か?



わたしは、わたしが存在する世界に花を咲かせたい。
花を植えていきたい。

そう思ってしまうのです。


ごみがあるなら、それを取り除く。

川が臭うなら、下水や浄水場を整える。

休みたい人には、安らげる場所を提供する。


できることをできるだけやって関わりたい。

そしてそれを一段階ずつアップデートしていきたいのです。
より大きな「美しさ」を味わうために。




具体的にいうと、
わたしは清潔に整えられたベッドが必要です。


シーツやカーテンが肌に触れて心地よい自然素材であること、
変な柄などが入っていないことは、当然の条件です。


もしそうでなくても、短期間なら我慢はできます。

でも、愛せない。


変えようと思えば可能なのに、
気に入らないシーツに寝ころび、嫌いな柄のカーテンを見ていることは、
わたしの魂を殺すと思います。


高いものである必要はない。

ゴージャスさは必要ない。

だけど、わたしには最低限の「美しさ」のボーダーというものがあって、
それをクリアしていないモノを見ていることはわたしを疲れさせる。

そんな風に感じます。




わたしには、美しい環境が必要です。

環境を彩るための、快適さの象徴となるモノが必要です。



わたしの喜びや幸福感の大きさとモノの多さは比例しないけれど、
わたしの存在する世界は「美しさ」に溢れていてほしい。


それは、純粋な欲望なのだと思いました。


それを認めることができました。


わたしの周りが美しくなることは、
この世界に「美しさ」がひとつ増えることだと信じています。








2016年3月19日土曜日

自然と時間と仲間、そしてビールが飲めるくらいのお金があればいいの

by Elias Callejo

手足をもっとのばして


セブにいるとき、心底思った。


ああ、わたし、
本当はたくさんのものは要らない。



自然と、たっぷりの時間と、仲間。

時々そのへんでビールが飲めるくらいのお金。



それで十分なんだ。

そして、それが一番大事なんだ、って。





学校と寮は同じ敷地にあって、門限が課せられている。


外に出られなくてかつ勉強もしたくないときは、
なんとなく外のスモーキングエリアへ。
わたし喫煙者じゃないけど、誰かがいるから。

どうでもいいことを片言で話して、なんとなくそれぞれの部屋に戻っていく。


そういう環境、あたしは選んで良かったと思った。






フィリピンの可愛い年下の男の子たちが、

わたしのためにウニを取ってくれて、
それを石で割ってくれて、海水で洗ってくれて、

「美味しい?もっと食べる?」
と聞いてくれて、

ほしいと言ったらまたウニを探してくれて。

海の上で、
わたしがスーパーで買ってきたフルーツのサラダとハンバーガーとりんごをシェアして、
みんなで食べて、

夕日が沈んでいくのを眺めて、

「You said you wanna see a sunset, it is beautiful, right?」
って聞いてくれて。



ああ、これ以上何を望むことがあるんだろう?って思った。





わたしに必要なものは、

自然と時間と仲間、そしてビールが買えるくらいのお金。




でも、

旅先から戻ると魔法がとけてしまう。




外国の友達に、
「会いたいと思ったら、またすぐに会える」とわたしが言うと、

「でも、十分な時間もお金もない」と言う。





わたしに必要なものは、第一に時間と友達。


それを取り戻したい。




彼らにも、彼ら自身を取り戻してほしいと願ってる。




おねがい、

やり方を探すの。




いい?

信じられないなら、わたしがまずその方法を探してみせるから。


いつもバケーションみたいな気分でいようよ。




そんな気持ちになって帰ってきました。




セブにいるとき、
モノはそんなにほしくなかった。


日本では、なんでこんなにお金が必要に思えるの。



なかったらなかったでいい、

おしゃれで洗練されていなくてもいい、

パンにピーナツバターをつけて夕食にすればいい。


どうしてそう思えないの?



ワインが一本あったら、みんなでかわりばんこに飲もう。

ポッキーがあったら、キスゲームでもして盛り上がろう。


何がなくても、水飲んで散歩しておしゃべりして、立ち止まって空でも見上げればいい。


ただただご機嫌で、
みんなでたわいもないことを話して笑っていたい。

いくつになっても。



みんな同じ気持ちじゃないの?




どうすればそこに行きつけるの?


どうすれば、それを日本に持ち帰れるの?



あの感じを日常に再現するにはどうすればいい?




わたしはいつでも奇跡を願っている。















2016年3月15日火曜日

男の子は、女の子がほしがるものすべてを与えたいと思っている

by JarleR
どこまでも連れて行って。

セブではたくさんの人に出会ったけど、
一言で言うなら「boys made me feel good」なんだよね。


みんな親切で、
優しくて、
恰好よかったな。



特に海外の年下の男の子たちとたくさん話して、
分かったことがあるの。


すごく嬉しいこと。



男の子は、女の子を悦ばせたいと思っている。

男の子は、女の子がほしがるものすべてを彼女に与えたいと思っている。



これ、絶対だよ。


ruもまじか???って何度も思ったよ。




でもそうだと思う。

そうとしかもう思えない。だってそうだもん。



親しくなった台湾人の男の子が、

「すきになった人には、すべてを与えたいと思う。
 彼女のほしがるものをすべて与えたいと思う。
 だけど、今の自分にはそれをすることができないから、恋愛をする資格がない」

「僕は既に好きなことをして人生に満足しているからお金はそんなにいらないけど、
 将来ワイフになる人にすべてを与えるために、
 僕は働いてお金を稼がなくてはいけない」

って言ってて。



ruはそれ聞いただけでも感動したから、

「あなたはそれを彼女に伝えるべき。それ自体がプレゼントになる。
 お金はあったほうがいいけど、「あなたの特別な人」はきっと気にしない」

って言った。


彼は、
「前はそれを信じてたけど、今は信じない。
 僕は夢をかなえて彼女(将来の奥さんになる人)がほしいものを全部あげたい」

ってしつこくごにょごにょ言ってた。笑





わたしが気になってる人は韓国の男の子だけど、

初めてふたりで学校の外に出た日、彼は脈絡なく「i am poor man」って言ってた。
それで自己紹介のつもり?って思ったけど。

そして、韓国のラーメンを買ってくれた。

アイス好きって言ったら、
近くのコリアンストアで、これがいいかあれがいいか?っていっつも言うし。
(男女のふるまいがはっきり分かれているのが韓国文化の特徴かも)

poorな人におごってもらえないよ!って笑ったけどね。



でもわたしは、
そういう風に扱われるのがすき。




彼らを見ていて、

あげたい。全部あげたい。



でもできない。


僕には何もないんだ、

僕には君にあげられるものが何もないんだ。

全部あげたいけど、何もあげることができないんだ。


って、きこえた。



「全部あげたい」気持ちが純粋であればあるほど、
できない自分は不甲斐ない、情けないっていう感覚が強く出てしまうように見えた。


そういう感情を感じるのが嫌だから、



逃げる。



逃げる。



隠れて、どこまででも逃げる。




それもよく分かった。


それがなんの役にも立たない対処法ではあっても、
外側からの働きかけがまったく機能しないこともわかった。




まあ、でもね。

残念なシチュエーションに陥ってどうもできてないのがruの現状であるにしても、

「逃げ」中の男性を見て、
「彼らは私たちから奪うだけ奪って何も与えようとしない」

と解釈するのが正しくないとわかってよかった。



ちがうのね。


基本、男の子はあげたいの。

あげられる自分になりたいの。


あげたいのに何もあげられなくて落ち込んでるのに、「なんでくれないの、ケチ」って言われたら、
さらにこじれること間違いなしだよね。


たぶん、日本の多くの男の子は既にたっぷりこじれてるんだね。

でも根っこは同じなんだと思う。

外国の男の子のほうが、よりナチュラルで率直だというだけ。



わたしは、それがわかってすごく幸せな気分になった。
ほんとは、くれたものをただ受け取って幸せになればいいだけなんだなあってわかった。

女なんて、めっちゃVIP待遇だと思うよ。



よかった。

自分の中の男と仲直りできてきている。




だから、容赦なく切り捨てられる。

「弱い男は要らない」って言える。



男の子は強いもん。あなたなら絶対大丈夫、って思ってる。



I really like you.
Make me feel good, more...



もっともっともっと。




2016年3月13日日曜日

もうわがままな人としか付き合いたくない。

by Kansas Poetry (Patrick)
すべては、わたしがわたしに言っていること。




すべてはエネルギーなんだと思う。



そう言ってる人は言ってるよね。

だけど意味わからんかった。



今もわからんけど、少しだけ、なるほどな?と思うことがある。




何回もこの話してるけど、
iTuneの断捨離。

音楽ファイルの断捨離と、新しい曲のDL。



今は、とことんselfishか、超俯瞰の視点の曲しかわたしを気持ちよくしてくれない。



たとえばね、

前は、「ハナミズキ」ってとっても愛に溢れた、
優しい曲だと感じていた。

すきだった。



今は「僕の我慢がいつか実を結び」の部分でさえ、我慢できない。



前も「どうして我慢しなくちゃいけないの?」って少しは引っかかってたけど、
流していた部分。



もう流せない。

犠牲の精神が、くるしい。重い。痛い。


it makes me feel sad....



それは愛じゃないと思う。



愛は、ぜんぶを包みこむけど犠牲にはしない。



誰かが我慢した結果、
誰かがきもちよくなるなんてありえない。


それは愛じゃない。



私はそれをしたかったからした、
それだけが理由になるべきだと思う。



それをすると私はきもちよくなるからした、
それだけが理由になるべき。



1ミリでも我慢が含まれているなら、それはfakeだし、嘘。


それが一般的に見て、
どんなにいいことで優しそうに見えても。

だって、我慢は妥協や打算。

今を裏切っている。



どこまで嘘や偽物を許容できるかは人それぞれだと思うし、
どっちがいいとも言えないけど、

ただ、

たくさんの嘘を許容した人は、
愛から離れるというだけ。



もう、本当のことを言ってくれる、わがままな人としか付き合いたくない。

メールでもなんでも、
結局ぜんぶ伝わってしまうから。

わたしに嘘をつく人は、全部暴いてやるか、捨てる。


もう要らない。

エネルギーに触れたくない。




ほんとは前から、エネルギーを感じていたんだなと気づいた。

私だけじゃなくて、
みんな感じているんだろうなと思った。



ただ、自分の感覚を信じるよりも、嘘を信じているほうが楽だからそうしてただけ。



なんだ。

自分を大切にするって、こういうこと?



2016年3月12日土曜日

新しい自分に出会うために、クローゼット断捨離。


きのうは洋服の断捨離をしました。



お洋服を全部クローゼットから出し、
下着もかばんも全部出し、
ティーツリーのアロマを一滴溶かした水をスプレーして棚を拭き、






それから取捨選択に取り掛かります。




これでほぼほぼ全部です。
98パーくらいかな。


今ベッドがないので、
床に敷いてあるお布団の上にぜんぶどさっと置いてあります。


よく見えないと思いますが、
右端の黒いのは、礼服とスーツが入っている袋です。


上のほうにジャケットとか、
ちょっとした大物がのっかっているので、
量が分かりにくいですね…

でもたぶん、そんな多くないと思います。

たびたび着ない服は手放しているので、総量は同年代の女性と比べると少ない方かも。


最初の時点で、
3年以上前の服っていうのはほとんどないです。

ここ最近(と言っていいかな)手にいれたものばかり。

だから、最近のわたしの趣味で、購入するときもちゃんと考えて買ったものばかり…
のはずです。


ただ、
iTune断捨離をしたことで、
何か引っかかるものが目について仕方なくなった。

I am currently being UPDATED...人間関係とiTune断捨離


それで、ついに決行したんです。


そしたらね…



めっちゃ減った。笑



礼服、スーツ、ワンピース、結婚式レベルのスカート、ブラウス、シャツなど。

あと右側にパンツ類がぶら下がってますね。
無印のデニムと、コムサの例のやつ。(基本これ二着しかない)




 一段目は下着類なので飛ばして、



写真は二段目の引き出し。

Tシャツと、キャミソールと、ニットと、ショートパンツ…。
ほんとにこれでおわり…。

Tシャツ、一枚しかないもんね。どうするのわたし。





そしてどうしたもんかの三段目。

シーツ類と、
ストール類と、
おばさんが昔赤ちゃんだったわたしのために手作りしてくれた敷物(刺繍入りキルト)と、
冷え取りグッズ!!!!、靴下、ストッキング、
そんで青いシルクスカーフに包んであるのが、水着とか季節のもの。



そしてこれ。



お別れかな、と判断したものたち。
(量は、リュックサックの大きさと見比べてだいたいわかるかな?)

Xchangeやろう!って話はまだ続いていて、それに出そうと思っています。




さくさく手放すことを決められたものもあれば、
最後の最後まで迷ったものももちろんありました。


いくつかは、

ただただ元値が高かった、それが理由。


セールで買ったんだけどね、
それでも「いいもの」で「似合いそう」なものだったからお金払ったわけ。

なのにほとんど袖を通さず。
(試着除いてゼロのもあるよ…)


お金がもったいなかったっていうより、
わたし自身の目の甘さ、判断のゆるさにがっかりした。


それも、変にPDとか骨格の知識を判断基準にして考えようとしたものだったわけ。

頭でね。

「これくらいなら妥協できる範囲」っていうのと、
「似合うはずだから」っていう意味のわからない盲目。

(逆に、すき♥って思って惚れたやつは、今も残ってる)


ほんといやになる。


それを認めたくない、っていう部分が大きかったです。



でも、ほんとに着用回数が少ないなら、これからも着ないだろうなって判断もしやすいさ。
手元に置く理由は執着以外にないなって、シビアに考えられるさ。



もっとしんどいのは、

「あれ、最近まで着てたし、何回も着てたし、好きだったはずなのにあれなんか違う?気のせい?ごまかせばまだまだごまかせるけどどうする?だいじょうぶなことにしてクローゼットに置いておく?」

って感じるくらいの子たち。



え、まじでこの子たち手放すの?
手放したら春夏着る服ないし、新しいジャンル開拓しないといけなくなるよ?
お金かかるよ?
てか、あんたPD骨格カラーもろもろおり込み済みで選んだんじゃないわけ?判断ミス?

百歩譲って似合わないとしても、工夫次第でいけるんじゃない?なにも捨てなくても…


って、思考が言う。


判断先送りにしたほうがいいかな、と弱気になるわたし。


鏡の前で試着して、アリなのかナシなのか分からない。
でもその服を脱ぐと、明らかにユニクロブラトップだけのほうが似合っている。あーあ。


でも諦められないわたし。


ハンガーにかけてクローゼットにin★ してみる。

そしてさらに、out★ してみる。


空気が変わる。



やっぱこのブラウス、ないほうがいいんだ。そう思う。

そう感じているのに手元に置いておくのは、わたし自身への裏切り。




ブラウスさんありがとう、
2015の春夏は、あなたのおかげで服のことに頭を悩ませずに済みましたし、
綺麗な色を身に着けるというチャレンジもできました。

ほんとにありがとう。

でもわたしは新しい自分を見てみたいので、あなたとはここでお別れです。
別の誰かをわたしのように喜ばせてあげてください。
さようなら。



そーんな長めの対話でお別れ会をしたわたし。

これで最後かな?と思ってクローゼットを眺める。
エネルギーを感じるために。

でもまだクリアじゃない感じ…?


すると、手放したブラウスのお仲間(形や雰囲気が似ている)たちがぞくぞくと、
「わたしも違うんじゃない?」と訴えかけてきて(そう感じた笑)、


え…まじか…

と後ずさろうとするわたしに、ハートが、「はい、いらないです」と言ってくる。



最終的には抵抗するのを諦めて、ぜんぶばいばいするお洋服の山に載せました。



はー

しんどかった!!!!!!



いちいち放心状態に陥っていたので、時間はアホかというほどかかりました。




そしてあれですよ。

Tシャツ1枚とキャミ2枚て、だいじょぶか。
春になるまでにぜんぶくたびれるんじゃないのか、って不安はありますよ。

なんか違う、という理由だけで、いちいち全部捨てる気か?とかね、
さすがにわたしも思いますよ。


でもそもそもの目的が、

物を減らすっていうことよりも、

「今に焦点を当てる」ってことだから、
「エネルギーをクリアにする」ってことだから、

もったいないからって残してると、それ達成できないんです。

意味ない。



じゃあそんだけ厳しくやって、
今わたしのクローゼットはときめくものだけなのか?と言われますと弱っちゃうんだけどね。


なぜならば!!!!


残した服は冬物のニットなんかが多いんですが、お気に入りばっかというわけではない。
毛玉ができてたりくたびれてきたやつも含まれてます。
数が少ない分ヘビーユーズなので、痛みも早いんですよね。


断捨離の基準はときめきだけれど、今現在着てるし着るから残しているんです。はい妥協。


そういうのはすべて、
シルクやカシミアやアンゴラなどの自然素材同士のミックスで、

見た目はくたびれているけれど気持ちいい♥ので、

この冬いっぱいは着倒して、
パジャマ替わりにもして、
暖かくなったらありがとうさようならをしようと思います。



そして、早く新しいお洋服をアップデートしたいな。
















2016年3月8日火曜日

YOUTUBEの中のキラキラしている人たち

photo by 201412030300
私をつらぬいて



最近、youtubeばっか見てる。

すごくキラキラしてる動画、いっぱい見れて楽しい。

インターネットありがとう、
いい時代だなって心底思った。


きのう音楽のこと書いたから、今好きな音楽(人)紹介します。



まずは、Jessie J の「Price Tag」 Xfactor版と、アコースティック版。



なんでか、Jessieのパフォーマンスを観てると涙が出る。


きっと純度が高くて愛が大きいからだ。
大好き。

って知ったばっかだけど。

ファンと言うよりは、
がんばってね!無理しないでねジェシー!好きだからね!って言いたくなる。


自分より年下なんて信じられない。

消耗しないように、彼女自身をだいじにしながら活動してほしい。


好き。大好き。





次は、Nicole Scherzinger

Sam Smithの「I'm Not The Only One 」 カバー。



The Pussycat Dollsの「Stickwitu」

美しいなあ。

彼女を見ていると身体が動く。

大好き。

美人は前から好きだけど、空気が綺麗な美人はほんとに大好き…


彼女の声は味わい深くて、
痛みを昇華してさらに純化されたんだろうなって気がする。綺麗。





もちろんもっといっぱい好きな人見つけちゃったよ。


私mashupとかすきみたいで、
見ててめっちゃ楽しい。

また今度気が向いたら紹介するね。




今は「プロ」「アマチュア」ほんとにぜんぜん関係ないね。


世界中には才能あふれる人たちがたくさんいて、
楽しみながら好きに創意工夫してつくりあげたハイクオリティな作品を、

「趣味ですから」みたいな逃げも用意せず
「どうだ!!!!」ってタダで見せてくれる…

なんて恵まれた時代に生きているんだろうね。私は。ラッキーです。


前はなんでそう思わなかったんだろう。
インターネットの弊害ばっかり見てたんだろう。

なんで素晴らしい面を見ることを選べなかったんだろう。


きっと見たくなかったんだね。

もったいない。


今改めて、
ネットが整備されて世界のいろんな人とパイプがつながってることに感謝している。



本当に、いい時代。



キラキラしている人たちを見ていると、
自分も何かしたいなって素直に思う。


力まずに楽しみながら、表現して追求して遊べるって身体でわかる。


嬉しい。








2016年3月7日月曜日

I am currently being UPDATED...人間関係とiTune断捨離

photo by alonsavior
世界が美しく見えてくる

前々から気になっていたことに手をつける。



たとえば、
iTuneの中のあまり聴かなくなった曲。

たとえば、
机の引き出しの中のもろもろ。

たとえば、
なくてもなんとかなるけどあったほうがいい気がするベッドの購入。



捨てて、手に入れる。


失って、手に入る。





一年前までとても仲良くしていた中学時代からの友人と、
近所のスターバックスでばったり会った。

彼女が職場の人?と店内に入ってきた瞬間に目が合った。

「あ。」

そして彼女はレジに並び、私の席から10メートル以内のソファ席に座り、
職場の人と談笑する。


一方で私はPCに集中する。


しばらくして彼女の席にさらに人が増えて四人になっていることに気づく。



1時間ほどして、わたしはふと思う。

「帰り際、彼女に何て言って去ろう?」
「どんなテンションで?」

考えてみても、何も言わずに立ち去るのが正解な気がする。

でもそれは礼儀がなっていないのかな…


結論が出なかったので、わたしはまたPCに集中した。


そして気が付いたときには、
彼女が職場の人たち(友達かな?)と座っていた席は空いていた。


二時間ほど同じ空間にいて、最初の「あ」以外にコンタクトはなかった。




彼女も、何も言わずに立ち去るのが正解だと思ったのだ、きっと。

そう思って、わたしは爽快な気分になった。


爽快? すっきり? ほっとした?

正しい表現がわからない。


ただ、

相手も同じ気持ちなんだ、
私たちの関係はひとまず終わったんだな…という気持ち。


私にとって彼女は特別に親しい友人の一人だった、長い間。

恋人と別れることはあっても、
彼女とこんな風に別れるなんて想定もしていなかった。

怒りや悲しみや憎しみなどの感情はまるでなく、ただ冷めた、他人になっただけ。



10カ月前のわたしは、動転した。

でも急激に、離れていくんだろうということだけは空気で分かった。


ふしぎ。


一年前のわたしはとても孤独を感じていた。

親しい人たちから、
特別に何かが起こったわけでもないのに、どんどん離れていく。

理由がわからなかった。

(だからこのブログ始めたんだけどね)
このブログは、誰かと繋がるためのもの


そのせいで(おかげで?)、
自分の人生に集中しないと何も前に進まない…と諦めがついたということはある。

そのときにたくさんのことをあきらめた。

自分が正直になることで失うことも受け入れようと、
(すくなくとも頭では)決めた。


好きだった人と離れることがあっても受け入れようと決めた。


わたしは好きな人だけと付き合う、
わたしが人を選ぶ、

そう決めた。




ここにきて、その再確認作業をしている気がする。



「今のあなたの世界に彼/彼女は必要ですか?」と問いかける機会を得ている。


お世話になった人、
好きだった人、
惰性で付き合っていた人、
憧れていたけど自分には対等に付き合えるだけの力がないと思っていた人、


「今」のわたしの世界に、
その人たちのためのスペースを用意したいか否か。


わたしは、切り捨てる。


打算や妥協や惰性を非情なほどに徹底的に排除できる自分になりたい。

情を捨てたい。



「今」の「自分」の感覚だけに従えるようになりたい。


胸が痛いし、
おなかが気持ち悪い。





iTuneの曲を聴きなおす。


なんでこの曲が、このアーティストが好きだったんだろう?


重い重い重い



今ではもう聴いていられない。

なんでこんなに怒りと哀しみに溢れた曲を聴いていたんだろう。

一見、アップテンポで人を元気づけるような曲やハッピーな曲でも、
重いと感じらる曲はいーーーっぱいあります。

(その逆もある)


前の私は、
悲しみを経験してそれを大事に抱えながら、
生きていくのが人生だと思っていた。


人間誰しもが痛みを抱えているのだから、そういう弱さがどこかに表現されているものを好んだ。


暗い部分で共鳴していたんだね。



でも、
今じゃまったく好みじゃない。


でも残すかどうか決めるにあたって、
iTuneで改めて聴いてみると、愛着(執着)があるのに気づく。


すきじゃないのに、
流れたらすぐにスキップするだろうことはわかっているのに、

「ほんとはすきかも」
「今の気分じゃないだけで、テンションが違うときに聴けばすきかも」
とか、思考が色々言ってくる。


iTuneの中のものは全部データだから、
消してもまた手に入れることは容易。そう言い聞かせる。


でも胸が痛むのは、
「あの頃」と変わってしまったじぶんを受け入れるのが辛いから。


捨てるのは苦しい。


でもそれが消えたあとのスペースは、ほんとに爽快で美しい。



並行して、今好きだと感じた曲をDLしていくと、
iTune内に自分好みの小宇宙を創りだしているような気がしてわくわくする。




とはいえ、まだ過去の残像がしっかり残っているのはわかっている。
(まだ過去の考え方・感じ方に執着している自分が残っている)



捨てて、


新しいものを入れていく。



潔くなれ。




たぶん大きな変化の時期なんだと思う。

痛みと喜びを両方味わえる。


























2016年3月4日金曜日

左脳が停止しようとしているかもしれない

超ひさしぶりにこういう○○フラペチーノを飲んだ。
チャイも頼んだ。
しかも全部アイス。
ru的にはチャレンジ。

あとiphone 買ったよ

たぶん今日の日記は読みにくいと思うけど、
未来の自分(もしくは未来にわたしのような感覚を体感する誰か)のために記録する、という意図で書き残します。


今、わたしは前のわたしと違う感覚で毎日を過ごしています。

「前の」と言うのがぼんやりとしていて気持ち悪いんですが、
半年前とはきっとだいぶ違う。

セブに行ったのが2016年1月の二週目ですが、
そのひと月前くらいからうっすらこの感覚を味わっていたような気がする。


というのは、
「すべてが夢の中」のような感覚。


単に頭がぼーっとしていて、
地に足が着いていなくて、
グラウンディングができていないのかもしれない。


夢の中の自分って、もちろんリアルに夢の中の現実を味わっているんだけど、
同時にいろんなことが一瞬にしてぐにゃっと変化しても、
そんなに驚かないじゃない?

今の私の感覚は、そんな感じです。

この手に触れられる現実が、すべて確固として存在している硬いものだとは思えない。


変なんだよな~


セブでもたびたびそう言っていたし。

ただ、アウトドアアクティビティで、
めっちゃ疲れたとか、
濡れた身体が風に当たって寒い寒い寒い、とか、そういうときは「変だな~」とか考えないくらいにリアルに感覚を感じていましたけどね。



セブでの毎日は、
一カ月という期限付きの日々だったこともあって、毎日が濃く感じられた。

もう今が通り過ぎてしまう、
終わってしまう、という感覚をしょっちゅう感じた。


流されるように過ぎた感もあるし、
わたしの人生ではわたしが主人公なんだ、と体感した部分もあるし、
自分の本音を見ていないときは、べたっとした時間感覚があった。


何より不思議なのは、
言葉がつかえなくなったこと。

周りに日本人もたくさんいたから、日本語を使うこともふつうにいっぱいあったのに、
日本語がつかえなくなってしまった。

今だって、私の日本語変じゃない?
もうなんか片言みたいになってるの。
前はもっと、堅い言葉とか丁寧で正確な言葉遣いをしようと思ったらできたの。
でも今は、できない。(やりたくない)
英語も別に上達していないのに、日本語もしゃべれなくなっちゃったよ。
左脳まるごと使えなくなった感じ…


計画とか、やらなくちゃいけないこととか、もうよくわかんない。
不安とか前はすっごいあったのに、今はほとんどない。罪悪感とかない。
我慢とか頑張らないととか、「なんで頑張らないといけないの?」っていう感覚が芽生えてきている。
だからって幸福感に溢れているわけどもないんですけど…


今は、ほんとに自分の変化がよくわからない。
全体の状況がつかめていない。


ねじが…ねじが…ねじが(以下略)



私は何がしたいんだろう?
エゴではない、核心の部分と一緒に生きていきたい。

昨日は瞑想しようとして、急に不快な感情(どうせできない、もどかしい、苦しい)がドワっと出てきて、悶えて泣きました。
しかもその泣くっていうのが号泣なんだけど同時に大笑いなんだよね。
さんまさんのひき笑い(爆笑)みたいな。
どんなだよって思いながら腹筋使って笑い泣きしました。


この先、どう変わっていくんだろう。