2016年5月30日月曜日

いじめられやすいタイプといじめられにくいタイプ

by 201407240200

最近あんまり積極的にテレビを見ることはないのですが、

さっきご飯を食べながら見ていた番組(「スカッとジャパン」「気まずい人にご対面☆的な番組」)で、
いじめにまつわるお話があったのね。


でね、

「シネ」と言われた、とか、
「壮絶ないじめ」で「登校拒否」とか、

番組紹介にはいろいろ書いてあって、煽ってるな~って感じなんですが、

ru個人的には一ミリも心動かされなかったのね。


ただ自分の過去を思い返して、ふむふむ、ふむふむ、と思いました。




ruは基本、いじめには関わらないスタンスを貫いてきました。

弱いものを見つけて、
集団でよってたかって押さえつけ痛めつけるということに、
全く魅力を感じませんでしたし、
傷ついている子にどうしても共感してしまうし、
それをやってる側の顔と雰囲気が醜いのが嫌だったので、仲間に入りたくありませんでした。


ruは空気は読めるほうでしたし、
成績はよく運動神経もそこそこ、
なぜかいつもリーダー格の男子とかに好かれるタイプだったし、
いまだに理解できないんですがクラス内で発言権を持ちやすかったような気がします。

攻撃されにくいポジション。

真正面から「やめなよ!」と言うわけではなく、
「なんでそんなことするの?あほ?」みたいな感じで言えば、その場は一時的におさまる。

からかいも度がすぎて嫌だな~と感じたら、
そういう仲裁の仕方をしてた。(計算もしてました)


でも、男子でちょっとからかわれやすい子とかに対しては、特に小中学校時代は、
ノリで「作業お願いねッ☆」みたいな扱いをしたこともあるし、
それがいじめの一種だと言えば、そうだったと思う。

本人が傷ついていた、と言われたらわたしは完全にいじめに加担していたと思う。


それに、すごい面倒くさい雰囲気だったら、
傍観者でスルーしたこともいっぱいある。


とはいえ、そこまでシリアスな場に居合わせたことはないと思うけれど、
ruがそう感じているだけで、とっても苦しかったと感じている子もいるのかもしれない。

わかんないけどね。



まあruは「私はいじめられやすいタイプだ」と感じたことはないし、
実際そうじゃないと思う。

それは、たぶん、なんかruはでかかったんだと思うんだよね。
オーラ?というか存在感が。
で、基本的に陽の気が出てた。
基本的にですけどね。明るいっていうか、普通の子ども。




で、誤解を恐れず言えば、

「いじめられる方にも原因がある」のは間違いない。


「いじめられる方も悪い」ではないよ。

「いじめる方にも原因があるし、いじめられる方にもある」だよ。

悪いとかはないよ。(って前提ね)


「いじめ」の種を持つ双方がちょうどよく出会って、
具体的ないじめの現象が現実化される、ということです。


わたしの場合はレイ プだね。
そのあとの恋愛での依存関係だね。

おんなしことだと思ってます。



理由はケースバイケースだけど、
その経験を経ることで学べることがちゃんとあるはずです。


自分のどんな思いグセが種となって、その現実を創り出したのか。ってことです。



「スカッとジャパン」のVTRの中で、
ヒーロー?役の男の子が、
「嫌ならやめてって言わないと、誰もこたえてくれないよ」的なこと(正確ではない)を
言うのですが、それは本当で、


「嫌だからやめて」と、自分のために言うだけの勇気がない人、

「私をバカにして傷つける人間は許さない」と怒ることが出来ない人、

「私さえ我慢すれば」とその状況に甘んじる人は、

絶対にその状況から抜け出すことはできない。



自分が自分を救うのだ、と立ち上がる意思を見せられない人は、
いつまでも「弱い」立場にstayするだけなのです。

(自分のために変化を起こすことだけが重要で、転校するなり登校拒否するでもいいと思います。とりあえずはね。)




私は、一年だけ中学校で勤めたことがあります。
正規の教員ではなくて、支援員のような形です。

大学卒業後、就職がうまくいかず(それを望んでたんだと今は思う)迷子状態だったので、
非常に消極的な気持ちでそこに勤めることを決めました。

中一担当だったのですが、すっごい生意気な女子グループがいて、

4月の初めに職員室の前で大騒ぎをしていた彼女たちに「先生たちは仕事中だからここでは騒がないで」と注意したことがきっかけ?で、
リーダー格の女の子に目をつけられ笑、
その後ちょこちょこ意地悪されるようになりました。

まあ「死ね」とか「うざい」とか「きもい」とか「ブス」とか指示を無視するとかが多かったですかね。


ruはそういう子が学生時代から嫌いだったので、
今まではなるべく関わらないことをモットーにやりすごしてきたのですが、
今回は一応教員という立場だし、
向こうから近づいてくるし、関わらないわけにはいかない。

今までのやり方が通用しないので、苦しかったです。


他の先生からは、
「ru先生に甘えてるんだよ」とか、「ru先生が若い女の人だから嫉妬してるんだよ」と言われましたが、それを分かってても嫌でしたね。

言われっぱなしのやられっぱなしだった。

見た目スルーしてても、心はスルーできてないし。影響受けてるし。



でもそれも、当時のruが自信が全然ない弱々しい状態だったからです。

自分が不本意ながらここで勤めてるっていう意識があったので、
どうしても自信を持って相手を注意できなかったんです。

おどおどしてたと思う。


「スカッとジャパン」見て、そんなことも思い出しました。




でね、今だったら絶対違うって思った。

それは、以前より迷いのない素晴らしい自分になったというわけではなく(ざんねん!)、
自分の性格の悪さを認めているからです。


今なら、

「シネ」って言われたら「その言葉そのまま返す」って言うし、
「ブス」って言われたら「鏡見て言えば?」って言うし、
「キモイ」って言われたら、「あんたの友達、あんたがいないときなんて言ってるか知ってる?」って言うでしょう。

中学生相手にでも。
一番痛いところを徹底的に刺します。大人気ないと言われてもです。

愛情をもって向き合う?
その子に愛情を持てて、労力をかけたいと感じたらそうします。
でも、わたしはそこまで人格者ではない。


ruはほんとに鬼なのです。

明らかな悪意をぶつけてくる人間に対して器の大きさを見せるだけの余裕はないです。

ぼろっぼろにしてやりたい、
地面に頭つけて謝らせてやりたい、と思います。


なのに、いい子ぶってたのです。

そんな鬼の面を否定し、大人たるもの・教員たるもの(って教員じゃないし)って、
よく分からない道徳ルールを抱きしめていました。

鬼なのにね。あは。



いい子ちゃんはいじめられます。

自分を責めている人もいじめられます。



まあね、ほんとに理不尽に、輝きだけが理由で目立ってしまい、異質な存在として攻撃を受ける人もいると思うの。美人だからとやっかまれたりさ。

だけどね、一歩も引かない強さがあればそんなの長続きしないんだよ。

その場合は、
怖れと罪悪感を捨てろっていう話ね。

オーラがでかければ、
やたらに近づいてくるいじめっ子もいないよ。



そして、自分だけで満ち足りて、誰とも比較することも必要なく自分を愛せていたら、
そもそもいじめにあう必要がない。

自分の中に種がないから、それに関わることが起きないのです。



自分はそういう扱いを受けるのがちょうどいい、と思わなくなれば、
いじめられにくいタイプへと変化するようになると思います。

結局は、その人が自分自身をどう扱うか、というだけのことなんですね。



って、今分かっていることだけを書いてみました。








感情とノリに引きずられて言葉を使う自分はただの乱暴者だと落ち込む

by Jay DeFehr


自分のかたくなさ・未熟さに嫌気がさしています、ruです。


ruは口が悪いと思います。


わたしと最もぶつかり戦ってきたのはうちの母ですが、

母曰く、
「あんたの言葉は人の心をえぐる。武器と一緒」
だそうです。

でもそれは当然。
戦うために用いる言葉は、すべて戦闘の道具ですから。


相手をやりこめるために。

相手と繋がっている何かを断ち切るために。



でも、それは私の限界を越えて、
私のエリアを侵してきたと感じられるときだけです。

わかりあえないという苛立ちが、無意味な戦闘に油をそそぐ。

「私を尊重して!」

「私の自由を侵害しないで!ほっといて!」

そういう叫び。


「わかってほしい」の叫び。





わたしは平時から言葉を正確に使って表現したいと思っています。

感情や状況にフィットしない言葉を使うと、
身体全体に違和感が広がるからです。

ボクシングの手数と一緒で、
言葉数を減らして精度の高い表現をしたい。

美しい数式のような。



偶然に賭けるというようなやり方はしたくない。

「わかっていて」「それを実行」できるようになりたい。




でも全然できていない。


つい先日も、

母に「あんたの言葉は強すぎる」と言われ、

弟に「みんなお姉ちゃん怖がってるよ。こんな口悪くてガサツなのに親戚中から可愛がられるとか意味が分からん。どこが可愛いの?」と言われ。

(ruはいとこの中で一番上で、超可愛がられて育ってきました。甘やかされて。今も一番いじられ、やり玉にあげられる立ち位置)

(人によっては癒し系、ほのぼの系と言われることもあるんですけどね。)



かなり落ち込みました。


空気とノリの中、乱暴だったりガサツなふるまいをするのは、私の望むところではない。

嫌だ。


流れに飲まれ、
乱暴に言葉を投げつける自分は嫌だ。



私は、言葉で相手の急所を刺せる。



でもその後自己嫌悪に陥る。


もし相手がそれを笑いで捉えたり、むしろ開眼するきっかけとして使ってくれても、
自分は納得できない。




感情にひきずられる自分、

空気を読んでノリに合わせて不本意なキャラクターを演じる自分、

それらを捨てられない限り、
私は望む自分になれない。



私は基本的に悪意をのせた言葉を投げつけることはしないが、

愛情がのっていない「そのまま」の言葉は、
やっぱりクオリティが低い。


怖れからすべての言葉をオブラートに包む人を私は軽蔑するが、
私もかなりレベルが低い。
未熟さで言えば、似たようなものです。

ただ強い力で殴る乱暴者ではないか。




あーあ。

課題です。





2016年5月13日金曜日

説明したくない、表現したい

by chelseashell

わたしは、説明してわかってほしい人ではない。



順序だてて、
伝わりやすい言葉と方法を用いて、
理解をスムーズに進める手助けをするのは、

たぶん得意。



学校で働いてた時も、子供たちにはわかりやすいって言ってもらってた。


だろうね。


でも、飽きちゃうよ。
疲れちゃう。

意識のギアを別のところに入れないといけないから。



自分の共感性を、

人のために使うとぼろぼろになる。



言葉のセンスも、

左脳的な用途でだけ使うのは苦痛。





わたしは思索とイメージの人間で、

わかる人がいる前提で表現をするのが好き。




伝わる?

あなたには伝わる?


わたしの言いたいこと分かる?



そんな気分で言葉を紡いでいきたい。






望むのは、

こころが非日常へ解き放たれるような言葉のイリュージョン。


単純な言葉の配列が詩に見えるような一瞬。



人のこころにぽっかり空間を創りたい。






ひとりよがりに陥る危険性もあって、

それが一番怖い。



誰にも届かない表現なんて何の価値もないから。




でもやっぱり、伝わらない人に伝える努力にも、
なんの価値も見いだせない。

ていうか、めんどい。


わかる人だけわかってもらえたらいいって思う。




イメージをつかまえに行く。


深く潜ってつかまえて形がわかるようにして、

わかる人に見せる。



わかる人の中には、わたしにできないことをできる人がいる。



広げる人がいる。


率いる人がいる。



教育する人がいる。





勘違いするから苦しいことになる。



わたしは、

これで最適な表現か客観的な評価とアドバイスがほしい。




多すぎないか?


ずれていないか?




審美眼と愛と言語化能力のある誠実な批評家様。



あなたはいつでも稀有な存在です。






2016年5月12日木曜日

わたしはどこまでも果てしなく自由だけがほしい

by alonsavior



わたしが求めるもの、

心から願うこと、

やりたいこと、

望む将来像、

どんな自分であることで人に与えたいか、


考えた。



浮かんできた答えは、「自由」だった。




何か創り出したいか?

美しく在りたい?



わたしはどこまでも自由になりたい。




人に何かを与えられる自分になりたいとか、

お金がほしいとか、

有名になりたいとか、

称賛されたいとか、

刺激がほしいとか。




わたしがわたし自身から自由になれるんなら、何もいらない。




わたしの敵はわたしの中にあって、

逃げようとすればするほど逃げられない。




ニュートラルになりたい。



消えてしまいたい。





わたしはどこまでも自由にニュートラルに突き抜けたい。

飛んでいきたい。


満たされるために何も必要としたくない。


死を憎みたくないし、嘘をついて笑いたくない。


嘘をついてはいけないという概念がこびりついた頭を叩き壊してしまいたい。



アフリカのテントで寝ても、

宇宙に飛び出しても、

深海まで潜っても、

わたしはわたしのマインドから逃げられないだろう。




助けてと言っても、誰にも助けてもらえないだろう。



だからここにいるしかない。



全部を見て正確に見て、

不自然なことを徹底的に拒んで、愛して



なんでこんなに面倒なことを望んでいるのだろう。



自分からは逃げられないから。




それでも自由になりたい。






わたしはわたしをころして見える世界をしりたい。




透明になった自分をしりたい。






2016年5月2日月曜日

ひとり遊びが上手になってRU

連休二日目に買った花。
連休初日に買った花。

特に予定なく、三連休を過ごしていましたruです。

こんばんは。



やったことと言えば、


家の雑草を抜き、

時期が終わりかけているパンジーやビオラを刈り込んで鉢に植え替え、

JAに行って花の苗を買って、

できたスペースに新しい苗たちの配置を考えて植え、

水をかけてやったくらいかな(*´▽`*)



JAには、なぜか三日連続で行きましたね。
(トータル2000円くらい使ったかな)

三日目の今日は、
虫対策としての役割を果たしてもらうべく島トウガラシを買いにいき、
ついでにサルビアの苗を購入しました。



あとは寝てるか人のブログ読んでるか、だらっと食べてるかぐらい?

何もやってないって言ったほうがいいくらいの過ごしっぷりでした!


仕事やろうと思ってたけど、
結局なーーーんにも一ミリも手をつけませんでしたしな!


「時間がもったいない病」だった数年前のruが見たら、
不安で死ぬな 笑

(どっちが病かはわからんけど、今のわたしからしたら「時間もったいない病」のが深刻に見える☆)


あ、時間が有り余っているので、

お風呂場で丁寧にシェービングしたりとか、
そのあとオイルたっぷり使って脚のマッサージしたりとかはした。

鏡とにらめっこで、顔の体操したり。

夜からわざわざ遠くのガソリンスタンドに行って、ドライブ中に大声で歌ったり。

おばーちゃんちに、ケーキ食べに行ったり。
そして馬鹿ほど食べたり。



地味す(*´Д`)



でも別に寂しくはないな。

家族もいるしな。

でも一年前なら、なんかもっと焦燥感があって、友達と出かけなきゃとか思ってた。
ひとりでいることに耐えられなかったな。

そう思うとだいぶ変わった。


今は、「とりあえず」「間に合わせ」の場や関係を持つよりは、
ひとりでいたほうが本気で楽しいし自由、って感覚。


今だって、気の合う人とおしゃべりするのはとても好きだけど、
そもそもその「気の合う人」がごく少数になったというか、

いなくなったというか…(ガガーン)


これを言葉で説明するのは難しいけれど、

環境が変わったとか、
年代的なことだとか、

そういうんじゃないんだよね。たぶん。


わたしが変わったのか相手が変わったのか両方変わったのか。


なんにしろ、
わたしは違和感を誤魔化せなくなってきてて、

誤魔化したくなくて、

それはそれでわたしの誠実の現れでもあって、

相手にも自分にもテキトーで失礼なことをするくらいなら、
ひとりで全然いいっス!!

って思うんだよね。心底。


これって、ひとりが怖くなくなったから言えることだな。(淋しいときもあるけどね)



孤独や愛されたい願望、置いて行かれるんじゃないかって不安、自信のなさ、
そういうのいっぱい抱えてると苦しい。

でも、その荷物おろすと、一人遊びが楽しくなるよ笑


傍目から見て、友達いない人に見えてもだいじょーぶ!
(ただの事実だし)



それよりも、今のruの興味は、

いかに美しく合理的に苗を配置できるか、にあります。

それには植物への知識と美的センスが必要なわけですが、
まずセンスがほしい!!!

ほしいほしいほしい!(苗をけちってると無理。)

庭を美しくしたいよー

それでもって、虫さんたちにはなるべくご遠慮いただきたいんだよー


ガーデナー初心者として、
日々精進あるのみ。


淋しいとか孤独とか、それどころじゃないんだYO!




…オチもありませんが、

そんなruの日常でした。
読んでくれてありがとうございます♥





2016年5月1日日曜日

好みのインテリアに自分を見る

ハンモックと植物と祈り。
ときめく。

ruは18歳くらいのときからスクラップ帖を作っていますが、

雑誌が手元にあったときから、何度も見返していた写真・文字というのは、
(そういうページってあるよね?)
 10年たっても好きなまんまだなと感じます。



公開。








↑はインドやバリのヴィラの写真。


日常とは切り離された、静けさと端正さ。
宇宙に繋がれそうな異質な空気感。


すごく惹かれます。


賑やかさはないですね。

ただ、祈りを身近に感じる空間。






次は別のパターン、雰囲気。






こっちはもっとモノが多くて、
有機的で、
遊び心に溢れた空間。

植物とハンモックが部屋の中にあるといいなと思う。


クリエイターのアトリエとか、
見てるだけでよだれが…(これまじ)。


夏休みの気分というか、
魔法を感じる空気が感じられる空間が好きです。



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想像の中で、
自分を両タイプの部屋に置いてみたら、
両方になじんだ。

それはそうだ。
ruが持ってるものを、インテリアを通して感じてるだけだから。



ゴージャスとか洗練とか可愛らしさとか、

絵で表すとどんな雰囲気になるのか、
試しに好みの写真を集めてみるといいと思う。

たくさん並べてみることで、そこに共通する雰囲気に気づくことはある。


どこの国のテイストが好きなのか。

ソフトかワイルドか、シャープでモダンが好みか。


服だと外見的な要素やコンプレックスに濁らされるところ、
インテリアの場合はより本能的に、「好き」が見えやすい気がします。




ruの場合は、
都会的な洗練というのはキーワードにはないですね。

ナチュラルといえばナチュラルですが、
ふわっと甘いナチュラルにあらず。

どちらかというと野蛮やワイルドさを意味するナチュラル。

自由さ。

でも奇抜ではない。
棘はない。

どこかに伝統的な規律や端正さはありつつ。

そしてスピリチュアル。

地に足が着ききっていない、
夢見がちなところも充分に感じられるでしょう。笑




本人、たぶんそんな感じですので (-。-)y-゜゜゜



ruのスクラップを見てみて、
「え、自分と全然違う」と思った方。


よかったですね♥

世の中には、まったく違う好みを持った人間がいるのですよ♥



あなたの好みはどんな部屋ですか?

どんな空間なら、心から安らげますか?

全身に力がみなぎりますか?

わくわくしますか?


バスタオルやシャンプーの香り、
部屋に飾るポストカード一枚を好みのものに替えただけで、

あなたの色が部屋に流れ始めます。

それを繰り返していくと、
あなたじゃないものの匂いにも敏感になっていきます。


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ruは最近、
このスクラップ帖を自分の指針として使うようにしてます。

「この部屋にいるわたしは、これを買うか?」
「この部屋にいるわたしは、この集まりに参加するか?」

という、枠です。


スクラップ帖はそういう使い方もできるんだよ、というお話でした。