2016年12月30日金曜日

【ブラックru再び】覚醒するのが恋愛なんだよ



大掃除してますか、みなさん?


ruはしてますよー。


掃除機かけて、
窓をふいて、
鏡をふいて、
シーツカバー類を洗って干して、

お風呂場をごしごし磨いて、

これからほんとは床の間に飾る花を活けないといけないのだけど、
もちろん心得も何もないので怖気づき、
ちょっとだけワインを飲んで部屋でblogなぞ書いている次第です。


あー、家族のためにもっとがんばらねば。



自分の部屋にあるモノでも、
ほこりをかぶっていた「思い出の品」たちを、整理する必要があります。
ちょっと気合が必要です。





前置きが長くなりました。






さっき窓ふきしながら、
radの「スパークル」をyoutubeで聴いていたのですが、

それ検索してたときに、
映画「君の名は」への様々な意見が書かれているページを見かけて、



その中に、
「radwimps×新海監督のタッグなんて甘々すぎて、前の自分だったら無理だったわー」
みたいなのとか、

「新海、恋愛モノしか描けんのか」
「radの歌詞は恋愛に酔った状態で書かれてるからヤバい」
みたいな、disりたい人たちのコメントも結構あったんですね


ruはそれを見て、


「わかってねーな、こいつら」と思った。




恋愛モノだから甘いとか、
政治や戦争を描いているから重くて堅いとか、

あまりにも頭かたくね?


そしておこちゃまじゃね?





酔う恋愛は、
浮足立つ恋愛は、
依存してよっかかれるのは、

恋愛じゃねーんだよ。



覚醒するのが恋愛なんだよ。




目が醒めるのが、頭がクリアになるのが恋愛なんだよ。





そしてですね、


男が、

ふっつーに常識あるクリアな男が、

「ド・ピュア」な恋愛モノとか、
すごく優しくて柔らかくてストレートな歌詞を世の中に出すことが、

どんっっだけロックでパンクなことかわかんないのかぃ?




「へたれ」とか「寒」とか言われるわけじゃないですか。
言うやついるじゃないですか。



突っ張ってないとね。

ギャグにしてないと。



男の世界ってそんなもんでしょ?




でも別にそんな外野どーでもいいって思ってないと、
そういうことできないわけですよ。

おまえらなんかどうでもいいわけですよ。


届く人に届けるために、退路捨ててるわけですよ。




超かっこよくね?






でもどーせ君らにはそれもわかんないんだろうね。

次元が違いすぎて。


経験がないことは想像もできないから。



ご愁傷様。



いつか分かるようになるといいね。



【参考】小学生の「未成年の主張」でデトックス… がんばれ男の子!!!
【参考】小学生の「未成年の主張」に学ぶ。「だいすき。ぼくのことすき?」(コクンと頷く) をできるようになるのが、元の自分に戻るということ



と、そんなことを思いながら、鏡をキュッキュ キュッキュ磨いていたとさ。






言うだけ言ったところで、


すみません、
仕事に戻ります。


真副体【しんそえたい】、
ちょっと意識しながらお花を活けてきます…


ちゃお。





なんでもないや【君の名は】 full.ver 高音質








p.s. 関係ないけど、
台湾の故宮博物館で買った絵、額装した~♥


額はBOOKOFFで200円だった。


縁が欠けてたり、
吊るす部分がなかったり、不具合もありますが…

額に入ってるだけで「絵が立ってる」感じがしてうれしい(*´▽`*)






2016年12月29日木曜日

世の中のカップルが羨ましくない



世の中のカップルが羨ましくない。




淋しくない。




本当に、純粋に好き同士で、それ以外の気持ちは混じらないまま見つめ合う恋人同士を見たい。



妥協や打算をはさまないでほしい。





時々の息抜きに、
同性の友達と酒を飲んで意味のない話をするのが一番楽しいなんて言わないで。


浮気は仕方ないとか、

男はそういうもの、女はほしがるもの。




そんなのもうやめてよ。





その程度を、「そんなもんだ」と受け入れるのはもうやめにしようよ。





セックスに応じるのは女の務め、

結婚したら家族のために給料を運ぶのが男の務め。



おかしいと思わないのか。





なんで、その程度でいいの?





全然羨ましくないよ。






一回全部壊れてサラになってしまえばいいと思わないの?




なんでテクニックが必要なの、


なんで上目遣いが可愛いと思うの、



なんで時々のやきもちがスパイスになるとか、

雨降って地固まるとか、





いるーーーー????





わたしにはもう、

「セックスするとき、女には恥じらいが必要だ」という意見が、
まったく理解できない。


必要ねーよ。


恥じらいって、計算の上でのあれでしょ?





気持ちよくないときに出す声もいらん。





あほか。笑





演技して演技して演技して、どこまでも演技して、

それに本気で騙されるとっぽい男か、
真実に向き合う勇気と覚悟のないへたれと付き合いたいなら別だけどな。





やめよーぜ。




やめましょう。





ね、やめよう。








恋人同士が見たい。


この世界に溢れますように。








2016年12月27日火曜日

【ブラックru発動】小悪魔で挑発して何がシたいの?



クリスマスの日の夕方、
私は一人、高野山から和歌山市内へと移動する電車に乗っていました。


目の前に、大学生くらいのカップルが座っていて、
二人は手をつないで、
何か喋ったりいちゃいちゃしてました。


ruはすごく疲れて眠かったので、
うとうとしたり本を読んだり、そのカップルや他の人を眺めたりしていたのですが、

高野山と下界の、
空気の感じがまるで違うのに驚きました。


華やいでいる、というより、ザワザワしている。下界は。笑





そのカップルは、
女の子が「優位」な感じでした。

上目遣いをしたり、
指をからませてみたり、
男の子の口元に指をもっていって挑発してみせたり笑、

男の子をドキドキさせて遊んでる
「小悪魔」的な感じ。



ruはそれを見て、
「これからヤるんだなぁ。でも、何回かシたらお互い飽きちゃわないかなぁ」
と静かに思っていました。


性格悪いですか?笑



でもわかるじゃん。
そういうのって。

自分もそういう付き合いしてきたことあるんだからさぁ。




心で繋がっている、身体で繋がっている…という言い方をすれば綺麗ですが、
結局どこも繋がっていない、というのが多いと思います。



いうならば「性欲」で。

もしくは「寂しさや無価値感や打算」で繋がっている。

そういうケースが多いと思います。




それも選択としてアリだし、そういう時期もあると思うけれど、
その二人の想念が透けて見えるようで、見てて食あたりみたいになりました。





友達と合流したあと、
ホテルの近くの中華料理やさんでご飯を食べました。

すぐ後ろの席に、
20代社会人の四名組が座ってて、
女性一名、男性三名。


彼らは恋愛の話をしていて、
女の子が「でもわたし、愛されたい願望普通より何倍も強い人なんですよねー。すっごい愛されたいですー」
と言うのが聞こえました。

(たぶん彼女的には、同席の男性三名は恋愛対象ではない感じでした)



ruは、すっごいびっくりした。



まず、

自分の愛され願望が人より何倍も強いだろうと思われる根拠は?というのが一つ。笑
(ていうかそれ可愛いの?うさぎちゃんみたいで?)

そしてそもそも、
愛されたい、を人に求めるのはエゴだぞ、というのが一つ。
だからあんまり大きい声で言わんほうがええんと違う?と思いました。



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そういう「若い女の子たち」を見て思うことがあったのは、
ruの何かを反映しているのかもしれないです。

内観する余地ありですね。






その翌日、朝の情報番組で、
サッカーの長友選手とタレントの平愛梨さんの婚約発表を見ました。



なんと、Happyオーラが出ていること。



彼女のほうが、もともと一人でも満たされている感じがしました。

穏やかで天然でマイペースで、幸せそう。



低い自尊心から駆け引きする必要もなく、
変に相手を試したりいじけたり疑ったりすることもなく、

相手がくれるものを素直に「ありがとう」って受け取ってくれそう♥


全然きたなくないもん。


安心して傍にいられるし、
これはもう、どんどん与えたくなりますね。笑



ご本人は、
さだまさしさんの「関白宣言」にうたわれるような「耐え忍ぶ妻」になりたいと言って、
周囲の笑いを誘っていましたが…


絶対になれん!!!!!!笑
(あんたは武将だ。)

長友選手が、「耐え忍ばせる」などあるはずがない。笑
(彼も隣で笑ってました)



まじで最強だなと思って、
女友達と二人拍手を送りました。

すばらしいです。笑





先にあげた二人の若い女の子たちと、
あとにあげた平さんの例、
ruの目にはすごく対照的に映りました。


結局、

持つ者はさらに富み、
持たざる者は奪われる、


の言葉通りですね。






いやそれにしても、平さんあっぱれです♥

こっちまで笑顔に、Happyになりましたーーー。ありがとう♥







おしゃれっぽく見せるだけでいいの?



おしゃれ、っぽく見せるだけでいいのか?と思う。




わたしは一回だけ、
写真の撮り方を教える初心者向けの講座を受けたことがあります。
カルチャースクールでね。

講師は、外国人のフォトグラファーの方でした。



それでね、最後にみんな外に出て写真を撮ってくるんだけど、

そのときにすごい思ったのが、
「なんでも、おしゃれっぽく撮れるじゃん」ってことでした。


いい意味じゃないです。

ネガティブです。



なんでもない風景も、
見る人の目によっては面白くも綺麗にも見える、
っていう意味ではなくて、

なんていうんだろう、

〇〇っぽく、って結局〇〇っぽいだけで偽物じゃん、って感じがした。





で、先生にそう言っちゃったんだよね。

「なんでも撮り方によっては綺麗に見えるんですね」って。



(自分の中の違和感がすごくて、先生を否定したいんじゃなくて、この人がわたしの感じている違和感に対して答えを持っているなら教えてほしいっていう気持ちでだった。)


先生も、周りの生徒も、苦笑いしてるだけだったけど。




今は特にそう思う。


スマホの画素数は増えて、画像はとても綺麗だし、
それに+フィルターでしょ。

もちろんセンスあるなしは関わってくるけども、
誰だってちょっとしたコツやパターンをつかめば、
おしゃれっぽく見せることは可能。


ていうか超簡単だと思う。




ruだって、blogのトップに画像載っけてるし、
それはフリーの画像集の中から自分の好きなものを選んでおいて、
その日の内容とどこかでリンクしてるものを載せるんだけど、

それでもたまに迷う。



〇〇っぽいものと、魂入ってるものの違いってなんだ?ってことを。



〇〇っぽいだけでいいのか?ということを。




わたしは、わたしがグッと掴まれるものだけを周りに置きたいと思ってるし、
そういうものは確かにあるの。

で、そんな中に〇〇っぽいものがあると、すごく濁るの。


でもただ濁るだけで、
だらっとするだけで、
ピンポイントでこれが原因だ!という自覚はもてないわけ。



それが自分の未熟さだなと思うんだけど、甘さをゆるしてしまう。

「わからない」から。





上の写真の話でいえば、

自分が心動かされた一瞬があって、それを切り取ろうとしたのであれば、
テクニックが稚拙であっても、アリだと思うのね。


何がアリなのかよくわからんけど、
私の中では人の動きとして自然だと思えるの。


だけど、「これならおしゃれっぽく」「美しいものっぽく」見えるっしょ、
という感覚でテクニックを駆使して撮られた、
「ある一定のクオリティを満たした作品」は、どこまでいっても偽物という感覚がある。


わたしがそれを意識的に見抜ける自信はないのだけど、
人は誰でもそのエネルギーを感じ取るものじゃないかと思うのね。


そして何より、
撮ったその人は満たされるのだろうか。




なんでもかんでも、
整理された情報を見つけてそれを使えば、
人の心に届く表現ができるかといえばそうじゃないし、

たぶん人は人に何かを届けたがっている。


自分の内側にある本質部分から出る何かを届けたがっている。




テクニックがないからそれができないなら、
テクニックを身に着ける必要はあるのかもしれないけど、

試行錯誤を省いてある程度のクオリティに達せる分、
そこ止まりになってしまう可能性も増す気がする。




たとえば、悪筆の人がワープロで年賀状を作成すること。

「達筆なら直筆で書くけどね」って。



読みやすいことが大事なのか、
その人の存在が感じられることが大事なのか。

息遣いが、熱が。




装いについても同じように考えることはできて、

「周りから、ある程度おしゃれだと思われる」こと、
「常識知らずだと思われない」こと、
「社会的にネガティブな評価を受けることがない」こと…





「あなた」はどこにいったの?




テクニックも情報もあったほうがいいんだよ。

「わたし」を高い精度で表現するという選択肢が与えられるから。





でも時々気分が悪くなる。


なんでもかんでも、おしゃれっぽく、それっぽく見せるだけでいいの?


人からそう見られればいいの?

それで満足なの?




中身がないものを洗練させて、意味があるの?




わかりやすければ、
キャッチ―であれば、
人の心を一瞬引っかけることができれば(ハックできれば)、

それでいいの?






でも結局、深いところまでは届かない。



それでいいの?って。







2016年12月20日火曜日

相手が結婚しても好きなまんまだったらどうしよ~



恋愛について書きます。



わたしが今恐れているのは、

「たとえ彼(J)が結婚してしまっても、変わらず彼だけを想い続けてしまうのではないか」

ということです 笑



現時点で、たぶん彼女がいるんです。




なのに、はぁ…(溜息) 笑





彼女ができたと知ったとき、
ショックでしたし普通に泣きました。


そらぁ、彼女の一人や二人できるだろ、と冷めた頭の自分もいて、

でもいい機会だから、あいつのことなんか忘れろ!と自分を説得にかかりました。




しかし、翌日には平常心になっている私。




なぜ平常心かというと、
「彼女できても別に平気」だったからみたいです。



そんな自分に怖れおののくru。



だって、キリがないじゃん。


キリがいいタイミングで、「失恋」認定して、諦めないとさぁ。




今のわたしが恐れているのは、

「彼が誰かにプロポーズをした結果、being marriedな状態になっても、
わたしは能天気に、彼が好きなの♥とか言ってたらどうしよう」

ということです。




ruも、もう30です。笑


昔から一切結婚願望はなかったので、それは別にいいんですけど、
(親や親せきは何年か前から焦りだしてますけど)


妊娠出産を経験してみたいし、

やっぱり肉体的な制限ってあるよなぁとかは思います。




それに、40のオンナが、

「彼が好きなの♥ 10年前に10日間語学留学先で一緒になっただけなんだけどね、
そしてそれから急に態度がおかしくなって一切コンタクトとれてないんだけど、
しかも彼は結婚したみたいなんだけど、

いいのそれでも。
わたしは彼が好きなの!」


とか言ってたら、もうシチュエーション的にOUTだな、って今想像しただけでサムイです。笑





いくら変人奇人、痛い人と言われなれているruでも

そうはなりたくないぞ。




あぁ怖い。恐ろしい。





今ではこんなふうに、
自分のありえないしつこさにわらけてしまってるruですが、


数か月前までは、

「こんな自分しんじゃえ!こんな気持ち早く消えてしまえ!」

と、恋愛中とは思えない言葉を自分に何度も何度も投げつけてました。


(まぁしななかったので今に至るんですけど)




もはや呪われてるようでした。笑





最近は、もう本当に滅多にJのこと思い出すこともなく、
切なくなることもなく、

「あれ?やっぱり時間が経てばだんだん忘れていくものなのかな?いよいよ?」

「ずっと好き好き思い続けてたから、クセで好きな気がしてるだけかもな」

って思ったりもしてるんですが、


いまだ、私の中にうすらぼんやり在り続けているような感覚もあるんですよね。



よく分からん。






そんでね、

一番不思議なのは、


今お付き合いしているかもしれない「彼女さん」に対して、

「Jをいい男にしてやってください」的な気持ちが、
ちらっとでもあるってことなんです!!!!!!

(いや、おまえ誰。やばくない頭?…ってわかってます!!!!やばいっすよね!!!?)




「彼女さん」のことは、まったく一切知らないんですけど、

Jと「彼女さん」がラブラブいちゃついたり、
ちゅーしたり、 Make Loveしたり、きっとするじゃないですか?

カップルなんだから。



自分を凹ませて諦めさせようと想像トライしてみたんだけど、
全然一切悲しくなったり嫉妬したりしないのよね…。

(いやでも、写真とか見たくないけどね。んー、それでも平気なのかなぁ…)




っていうかなんで平気なのよ!!!!!!!?





…やばくね?

わたし大丈夫か頭?



やっぱ呪われてる????




誰かわたしを助けてください!!!!!!!!!HELP!!!!!!!








2016年12月19日月曜日

be CREATEVE!!!!



「チープ・シック」の話に繋がりますが、

あれは、「服にお金をかけてはいけない」という主張ではなくて、
「お金をかけないとおしゃれできない」という思い込みに対しての反論であると思う。


思考停止になるのはやめようぜ!という話だと私は受け取っている。





私は、

美しいものを買える人よりも、
美しいものを創り出せる人に憧れる。



シャネルやディオールやエルメスを、気まぐれに買える身分の人は羨ましいけれど、
シャネルやディオールやエルメスの世界を生み出せる才能のほうが何億倍も羨ましい。


お金持ちの家に生まれた人よりも、
自分の好きな事でビジネスを成功させた人に心奪われる。


美人に生まれた人よりも、
美しい人を創り出せる(自分自身を含めて)人に興味がある。




尊敬する。




要は、creativityを存分に発揮している人が好きなんです。

かっこいいと思ってるんです。




逆境や制限の中でこそ発揮されるのが創造性じゃないか?


だから、

「〇〇だからできない」って言う人は、
やっぱりださいと思う。


「〇〇だから▽▽のやり方はできないから、■★のやり方を試してみる」
っていえる人が好き。


もしくは、
「〇〇だから▽▽のやり方はできないから、他のやり方だとエネルギーがかかりすぎるから、
そこまでの情熱はないから今回はやめておく」
って冷静に自分の現時点を見ている人が好き。



明らめている人が好き、ってことだ。


明らかに見ることができていないと、

自分には何があって何がないのか、
すべてが霧の中だから何をしていいのか分からないものね。





私にはできないから誰かどうにかしてよ、という意識は完全に依存。



私にはこれはできないから助けが必要。
あなたはこれとこれについて手を貸してもらえますか?
こういうビジョンがあるんだけど。

と言えるなら自立した意識。






書きたいことがまとまってないので、
一つの記事に三つのことを書いてしまった。



①思考停止になるのをやめて、創造性を働かせようぜ。

②創造的であるためには自立した意識が必要だぜ。
 or 依存状態だと創造的にはなれないぜ。

②前提として、自分の手持ちのコマをクリアに見ようぜ。



という…。

誰なんだろうね。笑




きっと、自分に言いたいことなのかもしれない。






「情報断ち」すると時間が増える

金曜に、PCを職場に忘れました。

夜、スタバでblogでも書くかと思って、
支度を終え家から出ようとしてからやっと、鞄の中のPC不在に気づく。




そのときの自分のショックが思ったよりも大きかったことで、


ああ自分はPCに依存している、

もしかしたら活字にも依存しているし、

「読む」にも「書く」にも、このblogの存在にさえも依存しているかもしれない、


と気づきました。




そして本棚にもならんでいるこの本、

amazonより画像お借りしました
「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」amazon


の四週目の課題「活字断ち」のエクササイズを思い出しました。




そんで、やってみた。






結論から言うと、

完全な活字断ちはやってませんが、
それがたった半日であれ、「何をやっていいのか分からない」自分に気づくには十分かと。


わたしの場合、

読書、
テレビや映画を見る事、
携帯でインターネットを見る事

を自分に禁止しました。
(でも、行動に伴う調べものはOKとしたから、ゆるい禁止です)



それだけでも、
「やることがない!」感はすごいです。


「手持無沙汰」感がすごいです。




そうなると、
今まで気になってたけどなんとなく面倒くさくてやってなかったこと、
というのがTO DOリストの上位に入ってきます。


一つ一つはとっても些細なことです。


でも、なんとなく腰が重かったことをリストアップして、
メモに書きだして、
ひとつひとつ消していくことにしました。




例をあげるなら、



・穴の開いたシルクの靴下とウールのタイツを繕う

・作っているハーブチンキの瓶から、ハーブを取り除く(もう半年くらい寝かせていたので(;^_^A)

・島唐辛子についているカメムシを駆除する
 (ネットで調べると柑橘系の匂いを嫌うとあったので、オレンジの精油とローズマリー&レモンバームのチンキを水で適当に希釈して、葉っぱにスプレーしました)

・ペンや文房具の整理
 (もう古くなって書けないペンのなんと多いこと!詰め替え用が必要なら買う、詰め替え方が分からないなら調べる)

・洗濯物を洗う

・車の中に、慶弔用の袋と筆ペンを用意しておく
(薄墨と普通の墨色のツーウェイを購入しました)

・リサイクルショップで、大きな鏡と絵を入れる額縁と洋服を入れるカゴを探す

・扇風機のほこりを綺麗にして片づける



とかです。(些細でしょ)



わたしは普段TO DOリストを作ったりしないので、

リストを作るとやるべきことが明確になっていいな、
やらないと!という意識に変わるからいいなあと思いました。




それ以上の気づきが、

「受け身の情報INPUTをやめると、時間が増える」
ということでした。


TO DOをこなしてもこなしても、時間がまだまだある!!!!!笑



っていうか、
なんでこんな一瞬で終わることを億劫がって、
長いこと意識の隅に保管しておくことを選択していたのか。

小さいエネルギー漏れを放置しておくことを選択していたのか。



その無意味さを実感しましたし、



インターネットで人のblogを読み漁ったり、
テレビを長時間見たり、
興味のない本や雑誌を読みこんだときに感じるfeelingと、

具体的に身体を動かして感じるfeelingというのは全く違う。




明らかに、

自分の身体を使ったときのほうが、気分がいい。



頭もクリアになるし。





情報をINPUTするという行為は、
得た情報がいつか使われるというのが前提なら無駄ではないけど、

問題は受け身で中毒してしまうこと。


だらだらやめられないのは、中毒しているということだし、
時間の無駄だなぁと思いました。






中毒している状態のときは、
頭の中がざわざわざわざわしている。

騒がしく感じられる。


頭の中が騒がしいと、忙しく感じられる。



何もやってないのに忙しく感じられる。


忙しく感じられるので、何か焦る。


「時間がない」と思う。


実際のところは、面倒くさいことから目をそらして「現実逃避」しているだけなのにね。





やることをやっていると、
たぶん案外「時間がある」と感じられるのではないか。


それも湧きだすように、ある。

だから、一つやったことが終わると、
別のことにも目がむいて、それもさくさく終わらせることができる。


目の前にあることに集中できるから、結果も出やすいし、不安も少ない。




「情報断ち」っていうのは、
積極的に日常的に意識してやったほうがいいな、と思いました。






PCを職場に忘れたことで、

そういうことに気づくことができた週末でした。



とはいえ、情報INPUTの誘惑(言い換えると「現実逃避」の誘惑)はすごいので、

やられて(いつの間にかスマホでネット見て)いる自分に何度も何度も気づいて、
それで自分はどうしたいかを問いかけることを繰り返すしかないのですが。








2016年12月14日水曜日

内側がクリアになるとドライになったように見える、かもしれないけど



内面は見た目を担保しない

で、


内側が綺麗(クリア)になると、
それが外側に反映されて外見も綺麗になる…

と書きました。



わたしは、

クリアな人の言葉しか聴きたくないとも書きました。




クリアというのは不純物が少なくはっきり見えるということです。

境界線が明確に見える。


そしてそれに従って行動する。






となると、

傍目からは、冷たくてドライでパッキリ割り切りすぎと言う風に見えるかもしれません。


オブラートに包んだり、
濁ったものを積極的に受け入れたりはしなくなるから。




すべてを自分の責任として引き取ろうという意識があるからそうなるのですけど、


お互いに甘え合って依存しあって(それをゆるして)いる状態が、
「親しさ」であり「愛」と思う人の目には、
感情がない冷淡な人に映るかもしれません。





でも、わたしは、「クリア」であることが、

「境界線」をはっきり見てお互いに尊重することが、

誰かと本当の関係を築くには絶対に必要なことだと思います。





相手への尊敬と尊重が、必要ということです。




「いやだ」を尊重する。

「これが好き」を尊重する。


その人の選択を尊重する。




立ち入らない。





その上で、

相手とはどれくらいの距離をもつか、
どんな関係を望むかを自分の中ではっきりさせる。


相手に伝え、関係を創造する。






わたしも練習中なんですが、
今言葉にしておきたいと思ったので書きました。





内面は見た目を担保しない



見た目と内面は同価値と思っていませんでした。



内面が大事!と思ってました。




わたしは自分のファッションセンスに自信がなかった、
+「女性らしく」あること、女性が求めるとされていることを求めること(甘えたい、美しくなりたいと思うこと自体)に強い抵抗があったので、


そんなの興味ないさぁ~!

くらいの振る舞いをしていたし、
自分にもそう思い込ませようとしていた。




たぶん幼い頃から、
人の心理やスピリチュアル(当時はそんな言葉知らないけど)に興味があったのだけど、

上で述べたコンプレックスの反動から、
やたら「内面」を重視する人間になっていた。



見た目や人の視線ばかりを気にするなんて薄っぺらい。

美しさというのは、
内側から醸し出されるものよね…




長い間、わたしの葛藤は消えることはありませんでした。







そして今思うのは、

「心が綺麗な人」=「見た目も美しい」

ってことです。



生まれ持っての造形のことを言ってるわけではないです。


でもなんとなく裸の状態の造形も整ってくるのかもって気持ちもあるし、

自分を客観的に見ることができるようになり、
自分の客観的な特徴を生かす恰好ができるようになり、
装いの洗練度は増すと思うし、

なんとなく幸せそうで満たされていて、
柔らかい光に包まれているように感じられる、



そうであるはずなんです。




内面は見た目を担保しません。




内面が美しい人は、見た目も美しいはずです。


なぜかというと、葛藤がなく素直だから。

コンプレックスがなく、
人の目を癒し楽しませることにまで意識がいくから。


なにより自分を気持ちよくさせたいから。





内面が大事っていうことは、今も思う。


でも、内面だけが大事、っていうのは逃げだと思う。


なんで、
内面も外見も両方綺麗じゃいけないの?





今は、スピリチュアルや精神的なことを伝えている人でも、
見た目で選びます。


お洒落とか美人とか自分の好みのジャンルうんぬんってことじゃなくて、


すっきりしていて、
明るくて、
シンプルで、
めんどくさくなさそうな人。笑


表情も、髪型やメイクも、服のセンスも、ふるまいも声のトーンも。




宗教っぽい人はいやです。

駅とかで「未来を見てあげます」系の人は怖いです。笑

重たいエネルギーの千羽鶴折るのもいやです。




綺麗な人がいいです。




わたしは最初、
まず自分に対してこの考えを適用し、

それから具体的な変化を現実で起こしてきました。


すると、

今までは「すごい愛があるなぁ」と思ってた女性に対しても、
「あぁこの人はセクシュアリティにブロックがあるんだな。」
って見えてくる。



最初はそうわかってしまうこと自体に罪悪感がありました。

自分がジャッジしてるみたいで。



なんで、心が綺麗なんだからいいじゃん、って、
罪悪感からマインドが騒いでました。




でも、いいとか悪いって話じゃないんだよね。

「クリアではない」ってだけ。

それが透けて見えるだけ。




わたしは、クリアな人の言葉だけを聴きたい。

だから綺麗な人の言葉しか聴けない。






結局、美しさというのは内側から醸し出されるものなんでしょう。


でも、

内面>>>>>>外見  みたいなことではない。



内面がクリアで綺麗になったら、
絶対外側にも反映されるよね、ってこと。


だから、外見がぼっさぼさでちぐはぐなら、それはあなたの内側の反映ってこと。

(これは、子育てで忙しいとか状況に制限されている物理的な外見のことではないですよ!
「手をかけない」を選択している人のことです。)



結局なにも言い訳はきかないね、っていう話でした。






2016年12月13日火曜日

最近感じてる変化一覧



最近blogのUP頻度が増えたのは、

「書きたい」って気持ちに素直になって、
とりあえずPC開けて書き始めちゃうってことができるようになったのと、


だから適当さが増して、
記事を作りこまなくなって、
短い記事を連発するようになったのと、


あんまり外側の目を考えなくなったことと…




そういうのが理由かな。



でもたぶん、今はそういう時期で、
そのうち全然書かなくなるときもくると思うんだよね。


飽きちゃう、
もしくは忙しくなっちゃう、
もしくは感じてることに言葉が追いつかなくなって、整理期間が必要になる、

みたいなね。


なので今書いてます。




前は、「こうでなきゃ」が強かったから、
なんでかわかんないけど、

一日一記事、もしくは12時間に一記事みたいな 笑

そういう思い込みもあったんですけど、
(気づいてなかった)


それが外れると今度は連打になっちゃってね。笑


------------------


ここで記事を終えると、
いったい何を言いたいんだかさっぱり分からないにもほどがあるので、

ちょっと前の自分からは変化だなぁと思うことをつらつら書いてみるよ。

(今書いとかないと、変化が進むと忘れちゃうと思うから)




【参考記事】自分の内側に繋がると不安が減る(でもマトリョーシカ構造)


・よく笑うようになった。

・人のことがどうでもよくなった。

・落ち込む時間が減った。

・瞑想がちょっと気持ちよくなってきた。

・Noを言うのが平気になってきた。

・自分の失敗とかエゴってる部分を人に言う抵抗が減ってきた。

・より客観的になった。

・より冷静になった。

・ハプニングが起きても、自分の一部が「それで?それで?」と次の展開を期待してる部分があるのに気づくようになった。

・一人が前より辛くなくなった。

・まだまだエゴエゴだけど、そんな自分に焦らなくなってきた。

・服の好みが変わった。

・食習慣が変わった。

・自分のいいところを言う or 表現することに抵抗なくなってきた。
(前なら、自慢と思われるかな"(-""-)"どうしよう、の葛藤があった。っていうかいいも悪いもないけどね)

・恥が減った。

・人間関係がスムーズになった。

・人間関係が、ときどき極端に亀裂が入るようになった。

・心の声(毒舌)が大きくなった。

・お通じが良くなった。(ゆるくなることはあっても、便秘はない)

・自分の気持ちに嘘がつけなくなった。前よりももっと。
(世間話やら愚痴が不可能)

・より単純で素朴な人間になった。




はッ!


最後に出てきた、
「単純で素朴」、これはキーワードです。



また次の記事で書くねー!








2016年12月12日月曜日

料理本であっても好きな波動のものを選ぶ



小説家だと誰、
映画監督なら誰、
歌手なら誰がいい!とかありますよね。


表現者だと分かりやすいの。


人それぞれ、

合う合わない、
好みがあって当たり前だと思いますよね。



でもその感覚の適用範囲を、もっともっと広げてもいいと思うの。



わたしの場合、

最近料理をしたーーい!って熱が急激に高まり、
図書館でたくさんのレシピ本、
ネットではCOOKPADとかblogを見たの。


それでね、分かったことが。


実用本であっても、相性ってすごくあって、

本なら、装丁が自分の好みじゃないものは、
レシピも今の自分の好みにはぴったりこないんだ。


見た目がポップでちょっとガチャガチャしてるものは、
マクロビ嗜好の人にはきっと合わない。

簡単だけど電子レンジフル活用とか、
味がかなり濃いめとか。




で、ね、

同じ「ベジタリアン用のレシピ」であっても、
レシピ本の見た目から自分が感じるものと、
味付けやら食材の選択やらが合う/合わないのフィット感は比例してるみたいだった。



たくさんのレシピ本を読んで、

結論、


たくさんの本があっても、
見た目の雰囲気が好みのものを選べば間違いない!!!


ピンとくるのが大事!ってことに。





それで、

ruが好みだなーと思った料理家さんたちを紹介するね。



ウー・ウェンさん♡   → amazon リンク


崔 智恩さん♡     → amazon リンク



コウケンテツさん♡  → amazon リンク



中国&韓国関係の方ばかりになったけど、
それを意図したわけではないです。

ヘルシーな野菜料理で、
あと見た目が好きでおおらかな感じ…って選んだんだけど。

結局は、
その料理家さんや、本を手がけた編集者さんやデザイナーさんも含めて、
わたしは好きなんだろうと思う。

人柄ね。



あ!忘れちゃいけない人がいた!

庄司いずみさん♡  → amazon リンク

blogもよく見てますが、
彼女の本は野菜料理のレパートリー増やしたい人は読んで損はしないと思います。
すごいおすすめ。




えーっと、
かなり料理本の話に入り込んだけど、

言いたいのは、実用本であっても「自分の好み」を大事にして選んだほうがいいのかも?ってこと。

情報を得るだけだから、
なるべく新しくて多くの情報があるほうがいい、
と思うかもしれないけど、
そうじゃないと思う。

あなたのためになるusefulな情報は、
目を通す前から直感で選んだほうが効率的じゃないかという気がする。
ru個人的には。



「好みだなぁ」
「なんか地味だけど嫌いじゃないなぁ」

って選んだもののほうが、
今のあなたの波動にフィットしてて、
かつ必要な情報が入ってると思われます。

だからやみくもに手をつけるより、時間のロスはだいぶ減るはずだよ。(経験上)




たぶん、ちゃんとセンサー働いてるんだと思うよ。

いわゆる非言語の情報を既に得て。



うちらすごいな!笑






過去記事公開します



二カ月前の満月の夜、
ruはぶるぶる震えていました。笑


覚えてらっしゃいますかね?

このblogが、一時的にclosedになる直前のことです。



closedになってる間も、
「ちきゅうはじっけんしつ2」としてopenにした後も、
以前に書いた記事を読むことはありませんでした。



なんかものすごい恥ずかしくてね。


恥ずかしい+違和感で。


だって、2になってからとなる前では、
だいぶテンションとエネルギーが違うんだもの。

人が、そうでもないよ?と言っても、わたしの中では違うから。

めっちゃ恥ずかしい。





でも改めて、しみじみ自分の変化を想うわけ。



そして、

このblogを立ち上げる当初、

「わたしはこれから変化していくから、その過程を記録していきたい。
読んでくれる人が、人ってこんな風に変わっていくんだな、って感じてくれるものを創りたい」

って思ったのを思い出した。



もちろん、記録っていうのは最初と最後では確実に時差があるので、
変化というのは読み取れて当然なのだけど、

わたしはそういう意図をもってこのblogをスタートしたんだったな、
って思い出したのです。




だから、昔の記事を読んで、
わたしのエゴが今恥ずかしいって感じてるのは、
悪いことではないのかも。


一年前は、もっともっと今よりもエゴエゴだから、
その頃書いたものを読むと、

「助けてほしい」
「変わりたい」
「認めてほしい」
「不安。どうしようどうしよう」
ってエネルギーを、わたし自身ばりばり感じるんですけど、


まあそれはそれで、

うへぇ~…ってなりながらも、誰かの参考になればと思います。




ということで順次、過去記事公開していくね。



BUT

骨格PDの芸能人のやつはその類ではないので、
ご了承ください。





先週買ったモノたちをまた手放した。完璧なモノだけがほしい。




という記事の中で、


新たな出会いを得ました。



ときどきは「えー、それ絶対夏色じゃないじゃーん、いいのー?」とか
心配やさんのマインドが言ってくるんですけど、

「いいんだよ!!!!!」で終わりです 笑


鏡見て自分の感覚で、
「うん、アリ」って思ったら、OKなんです。



と書きましたが、
その日買った五着のうち、四着を今日手放してきました。
(なので写真載せらんないです~)



原因は、色。
全部PCオータムのこっくりした色。
(一着は、ちょっとだけ肩の大きさが合わなかった。お直しも難しそうなので。)


はは…

引っかかりを感じながらも
やっぱり勢いで手にしたものは、やっぱり完璧にフィットすることはないですね。

断捨離対象となりました。





でも、買ってみて良かったです。
今まで手を出してはいけない、という縛りがあったジャンルを一度手にできたので。

それが一番の収穫でしたし、
買うときからそれを一番の目的にしていたので。



しかし一方で、テンション上がりすぎたせいで、
ディティールに対してジャッジが甘く妥協した部分があったのも事実。

ワークウェアやカジュアルなジャケットで、
大まかに見たら好きな雰囲気のものなんだけど、
だからといってなんでもいいわけじゃないわ。

見慣れないものだから、判断がゆるくなってた。


でもそれを手持ち服と合わせてみて、
またハンガーにかけてクローゼットにつるしてみて、
わたしは完璧なものがほしいんだってわかりました。



そりゃあがっかりしたけど、
次はもう舞い上がらずに、もっと自分の好みに合うものを選び取れるでしょう。




ねぇ、

完璧なモノに焦点当て続けるって、
なかなか難しいよね。


「あ、コレだ!」って身体が、♥が反応するときはすぐわかるの。
(手に入れられるかは別。それはそれで抵抗があったりするものだけど、今は置いておくよ)


でも、ほどほどに好み(だけど引っかかる点がある)のモノを、
「これは違う」って棚に戻すのが難しいの。


「中途半端は要らない」って言うのが難しい。



「まあこんなもんかなぁ」が曲者なんだよ。






自分にとっての「違うもの」を潔く捨てるには、
信頼と勇気が必要。


でも、ほんとは確信がほしい。

確信があれば、信頼も勇気もいらないから。



まだそのレベルに至ってないから、「信頼と勇気」。






服なんて着れればなんでもいいよ、
ってさらっと着こなせる人はかっこいいと思う。

わたしもそうなりたいと思う。


でも今のわたしにとって、
気に入らない服は、妥協を受け入れていることの象徴なんだよね。


確信に至る前の、

信頼も勇気も潔さも、望むレベルに達せていない自分の象徴。


ダサいから見ていたくない、
だから何度も何度も手放す。


何かに気づくまではこれを繰り返すんだ。



嫌だけど、プロセスの中にいるから仕方ない。

ダサくても一歩一歩。





2016年12月11日日曜日

あなたが最後まで気にかけるのはなんだろうね?



もし、


何か素晴らしい存在があなたのもとを訪れて、
あなたの手を引いたら。


どうする?



「ここよりももっと素敵で、あなたが望む世界に行こう。
あなたがずっと望んでいた世界に行こう」

と、その存在は言う。



あなたは、なぜかもう既に知っている。

その存在と行けば、
今いる場所よりももっと自分らしくいられる場所が待っている。

ずっと待ち望んでいた世界。




あなたは行くと決める。




でも心に引っかかるのは、

わたしなら、そんなときに思うのはやっぱり家族のことかな。


「もう会えないんだなぁ。
 行ってくるよって伝えたいなぁ。
 寂しがらないで心配しないでって、
 ありがとう、楽しかったよって伝えたいなぁ」

きっとそう思う。



「友達にも、もう会えなくなるんだな」
って、寂しくなるかもね。





でも、きっと絶対、

今持ってる洋服に未練なんか感じないな。
きっと思い出しもしないな。



------------------


前フリが長くなりましたけど、
これ、断捨離中に考えてたことです。笑

思わせぶりでごめんね。




身体一つあればいい。


家族や友達が、大事な人が、大事な人との思い出が、
わたしが最後まで心に思うこと。


それがわたしにとって大切なもの。



だったら、執着の優先順位が低いものは、本当はどんどん手放せるようにならなきゃいけない。



正確には、モノ自体は持っててもいいんだけど、
「手放すなんて絶対いや!無理!」って反応を手放したい。

未練や執着を手放したい。





1000枚の服を持っていてもいい。

そこにすがる気持ちがないなら。
不安や怖れから持っているのでないなら。


いつでも手放せる心の軽さがあるのなら。


-----------------------



最近、また自分の部屋にある、増えてきたモノたちが目について、
整理したい気持ちが強くなってきている。

だけど、ある程度、もう全部わたしの好みなのです。


「ある程度」が曲者。


前のわたしから変化していて、
だから今必要ないもの・好みじゃないものもまぎれているはずなのに、
(てかそう感じてるのに)


それが分からない。




感度をもっととぎすませないと、
今よりクリアにはなれない。



だから冒頭のような突拍子もないケースを想像して、

どれを手元に置き、
どれを手放すのかをシミュレーションしているというわけ。





自分の心の状態が変化すると、
現実でもいろいろ変えたい気分になる。


見た目とか、
生活習慣とか、
部屋のインテリアとか。

もろもろ。


そして、変えたくないのに変わっていくのを受け入れざるをえなくなることも起きる。

主に、人間関係。

(もしくは家電や車の故障とか病気。お金かかる系ね。)





今は、変えたい気分が強くて、
同時に仕方なくいろいろ変えてる部分もある。



自分の選択できる範囲で、怖いよ~ってなっちゃったとき、

「素敵な存在があなたをもっと豊かで美しくクリアな場所に連れて行こうとしているとき、
あなたはまだそれにしがみつく?」

って考えたら、


しがみつくほど魅力を感じているものは、たぶんほとんど思いつかないと思う。





潔く、さようならできる人になりたい。






2016年12月10日土曜日

なぜか分からないけど涙が出る。新しい世界の在り方。「君の名は。」

公開終了ぎりぎりすべりこみで観てきました。


「君の名は。」


始まると同時に涙腺決壊したわたしは変でしょうか。





なんで泣いてるか分からないけど、
次から次へ、涙が溢れ出して止まらない。

そんな映画でした。



触れられているのに気づかないくらい繊細なやり方で触れられ、
一番やわい、弱い、柔らかい部分が、
勝手に反応して溶けだしているみたいで。


多くの人が、わたしと同じように、
ほろほろほろほろ、自分の感情とは切り離された部分で、
涙をこぼしたんじゃないかなぁ。




映像も曲もとてもとても綺麗で、
ストーリーの構成・編集も鮮やかですっきりしてて(いまだに謎もあるけど)、
アニメーション映画のクオリティとしてもすごく高いものだと思うけれど、

わたしはそれ以上に、
透明な新しい世界を描いた映画だという印象を強く受けました。



より正確に言うと、
「世界を見る新しい視点」を描いた映画。


「新しい人たち」の映画。



若かった頃、青春時代にピュアな恋をしてた自分を懐かしんで切なくなるんじゃなくて、

もっと未来の、
これからのカタチを見せてくれてる。





悲しいから涙を流すわけじゃないし、
ずっと一緒にいるから相手を知れるわけじゃないし、

知っているから好きになるわけじゃない。




なんでか知らないけど、ほろほろ涙が出る。



深い場所で「知っている」からだ。



でも、わたしは何を「知っている」のだろう?



ただただ痛くてくすぐったい。





理由は分からないけれど。




ただただまっすぐに。





世界中でこの映画が受け入れられているということは、

きっと世界のどの国に生まれても、
どんな言葉を喋ってどんな習慣を持っていても、
この感覚を共有しているってことなんだなぁ、と思って、とてもぐっときました。

(感覚の共有ができるできないは、個人差であって地域差ではない、ということです。)




みんな、誰かを探していて、


みんな、思い出したくて思い出せなくて、もどかしい。





これが、新しい世界の在り方だと思う。


新しい恋愛の在り方。

透明な世界の在り方。





スパークル【君の名は】-RADWIMPS



野田くんてば、

歌詞もメロディも、ぽろんぽろんといちいち琴線に触れてくる。


海外の人たちにも、
ニュアンスそのままで聴かせてあげたいなぁ。




互いの砂時計 眺めながらキスをしようよ
「さよなら」から一番  遠い  場所で待ち合わせよう




運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を
伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする
時計の針も二人を 横目に見ながら進む
そんな世界を二人で 一生 いや、何章でも




2016年12月8日木曜日

最近まで知らんかったし




最近まで、

自分がエステ好きって知らなかったし、
オイル使って丁寧にマッサージされるのがこんなに気持ちいいなんて、
自分がここまで満たされるなんて知らんかったし。




最近まで、

自分がこんなに野菜とフルーツと豆と海藻と…みたいな、
菜食中心の生活でも全然いける人だと知らなかったし、
ついでに言うならときどきの魚やちょぴっとの肉はすごくおいしく感じられるなんて知らんかったし。
(でもなくても大丈夫、って知らんかったし。)




最近まで、

自分が洋服好きな人、
ファッションに興味のある人だって知らんかったし。

もはや勉強したり知識入れるなんて意識はゼロなのに、
人の「わたしはこんな服が好き、恰好がしたい」の表明に一緒にときめいて、
そういうblog見ると似たような記事探しちゃうぐらい、
そういうの好きって知らんかったし。




最近まで、

自分がここまで俺様って知らんかったし。

今まで超偽善者だっただけで、
本音に仮面かぶせてただけなんて知らんかったし。




最近まで、

自分が本気でガチでスピリチュアルな人って知らんかったし。

いや見ないふりをしていただけで、
ずっと昔からその傾向はあったし、ときめいていたんだって知らんかったし。

もちろんお遍路も巡礼もしたいし、
日常で「波動」って言葉使えたらどんだけ説明が楽かってぐらい「波動」ですべてを認識してる人間であるなんて知らんかったし。(まぁ言い換えると空気、とか?)




最近まで、

不思議なほど純粋に一途に、
諦められないほど強く深く、
不安なく誰かを想うことができるなんて、




自分の中に答えがある、って、知らんかったし。









他人軸でblogアップする時間帯きめてたよ…

martinak15



自分の内側に繋がると…なんて記事を書きましたが、

「おいおまえまだめっちゃ他人軸やん!」って
自分につっこむことありました。


しかもこのblogについて。





最近、わたし頻繁にblog UPしてますよね?

なんか書きたいこといっぱいあるんです。

書きたいことはなくても、
書きたいなって気分だけはてんこ盛りにあるんです。




だから、
一気に何記事かばーって書いちゃうんだけど、


「いつUPしようかな?」って考えて、
結局スケジュール予約することにしたんですね。


「あしたの…朝7時頃?」とか、
「じゃあこれは二日後仕事終わりの18時頃がちょうどいい?」とか。

いつなら目に留まるかな、とか考えて。




でも今の勢いでばーーっと書いた記事が、
50時間後にUPされるなんて、
なんか気持ち悪いなって思ったんです。

50時間後のわたしは、きっと今とは違う気分だよね、と。



もしかしたら死んでるかもしれんやん。



そんなときに「今わたしHAPPYです!」とか、
気分じゃなすぎるやん。




でも、

見てる人に、 (そうあなたに)

「くどいって思われるかな」とか
「飽きられるかな」とか、

最悪、「暇人が、けっ」って吐き捨てられるんと違うか、とか。


そう思うところもあったので、
時間をばらしてUPすることにしたのでした。



どんだけ~!!!




ネガティ部( ;∀;) ←まぁたとえポジティ部でも他人軸なら同じですけど。






よく考えたら、どんだけ他人軸なんですかっていう話でした。



見てるかどうかわからない誰かに、
あんたはどんだけ媚びるつもりなんですか。




何が自分の中心じゃ。

内側じゃ。



おまえなんか、

百層あるマトリョーシカの一番外側じゃ!



自分では、なんとなく気持ち悪く感じてはいたものの、
目線を外にもっていってたとは気づかなかったので盲点でした。




いつの間にか他人軸へとスライドしているのが、
この道の険しく難しいところです。



ご清聴ありがとうございました。
















自分の内側に繋がると不安が減る(でもマトリョーシカ構造)



最近、あんまり悩まなくなった。

悩まないっていうか、考えなくなった。



思考が強いとか、
左脳が強いとか言われてきたruとしては、
ちょっと前の自分とはだいぶ違うという実感があります。


前はね、
頭の中ですごいネガティブな言葉が渦巻いてて、
ぐるぐるぐるぐるしてて、
頭が熱を持って足が地に着いていない感覚がすごくあったの。

それだけは分かってた。



わたし、自分の中心と全然繋がれてない、
って自覚だけあった。



でもどうしていいのかわからんくて。




でも、
「今どうかんじてる?」
「本当はどうしたいの?」って自分に何度も何度も問いかけながら、

きっとそれでもエゴの声に何度も負けながら、
失敗したと思っては「どうせずっと分からないのかも」とかまたもエゴエゴしながら、笑
トライ&エラーを繰り返してきました。




今、あの当時より進んだ、という確信はあります。

いかばかりの変化か、と言われると、
亀の歩みです。



ただ、現実の状況は当時と大して変わっていないのに、
圧倒的に不安に感じている瞬間が減りました。

切り替えがすこーしうまくなったんだと思います。


「こんな風になったらどうしよー、不安だー、どうしよー」
みたいに漠然とした不安と恐れが湧いてきても、


割とすぐに、

「でも未来のことなんか分からないし!
なったらなったでその瞬間に集中してひとつひとつ選択するしかないんだから、今どうこう考えられることなんかないやん。
じゃあ考える必要ないやん。
さて今の自分の感覚はどうなってるかな(意識を身体に持っていく)」

ってなります。



わけもなくネガティブ思考に時間を割いていた過去の自分からすると、
だいぶ合理的かつ現実的になりました。


…たぶん。




で、前よりも自分の中心に意識を近づけられるようになってきた気がする。



今のわたしの感覚では、
「自分の内側に意識を向けて」って言われると、
内側には二段階ある。

ただのイメージなんだけど、ゆで卵の白身と黄身みたいな。


内側に意識を向けて、
一番に感じられるのは白身の部分。

表層的な部分。


それから、もっと落ち着いてさらに奥を感じるようにする。

それが黄身の部分。





具体例でいうと、

たとえば駄目恋愛をしてて、
くっついては離れての男と今度こそ別れたいとき。(例えがこんなんばっかりだな)


「いやだ別れたくない、好きだもん愛してるもん。だって長いこと一緒にいたから、この人失ったら一人ぼっちの孤独を長いこと感じなくちゃいけないもん。もう新しく好きな人なんかできないかも。私のこと認めて気にしてくれる人なんていないかもしれないもん。この人がいなくなると困る、お金が、人脈が…とにかく困る。損だし寂しいし苦しいし…(以下略)」

みたいな、台風のように吹き荒れる感情と思考が、
上でいう白身の部分。(特徴はうるさいこと)



それに対して、
「いや、もう終わりだ。もう分かってるでしょ、同じこと繰り返しててもしょうがない。
今は辛くても、自分のために別れるの」

という、静かな確信めいた声が、黄身の部分。



渦中にあると、
両方が内側から自分を引き裂くように感じられる。


白身部分に翻弄されて、

「きっとこんなに強い感情があるんだから、わたしは彼を本当に好きなんだ。愛せてるんだ。だから別れちゃ駄目なんだ」
とか、勘違いもよゆーでする。(イタイ)




恋愛じゃなくても、
たぶんそういう経験は皆さんにおありだと思うので、
なんとなく感じをつかんでいただけたらいいです。



まあそういう感じで、

そこまで激しい闘いじゃなくても、
日々の生活の中でわたしたちには両方の声が聞こえているはずで、

わたしはなるべくより深い部分、

奥の部分、

黄身の部分に意識して触れていたい、と思っていて、


それがだんだんと、
ちょっとずつ亀の歩みではあるけれど、
意識してできるようになってきたと感じています。





いや多分ね、

ゆで卵のような二層構造ではなく、
マトリョーシカのようになってるのが真実に近いと思うので、

まだまだまだまだ、先は長い。



というか、
それこそ終わりがないということなんだろうけども、

途中報告ね。笑





で、すこーしだけ中心に近づいてきたことで(自称ですけど)、
悩まなくなったと言いましたが、

それは決断が早くなったとイコールで、

前だったら「飲み会嫌だけど行ったほうがいいかな、でも行きたくない、けどカドが立つかも知れないし、なら体調悪いって言おうかな」とか
ちょっとしたことでいちいちthinking timeをとってましたが、

それを、格段に早いタイミングで自分のアンサーを決め、
実行できるようになったってことです。


結果が出るのが早くなった。


だから変化が早くなった。(自分比ね)




すると、すんげーストレスって減るのね。

今の自分ですら、過去と比べたらそう思うもん。



だから、今まで感じてたなんとなくの息苦しさって、
「無駄に悩んで考えて足踏みしてた」こと自体からのストレスだったんだなぁって思う。

失敗したくなかったからなんだけど、
なんであんなに失敗したくなかったんだろう。

ダメージ受けたくなかったからなんだけど、
ダメージって、ダメージと思わなきゃ大したダメージにならんのにね。


つまり、
完全に自分の頭の中で「苦しさ」や「ダメージ」創り出してるよね。




これ、すごい面白いことですよ。



「考えすぎ」って、イコール「馬鹿」ってことなのよ。


面白くない?






※「白身」「黄身」のたとえ部分、途中ごっちゃになってました。訂正しました。
混乱させてしまっていたらごめんなさい。(2017,1,4 追記)


2016年12月7日水曜日

彼にはわたしのサポート役をやってほしい



わたしは男のサポートなんてしたくない。


男に、わたしのサポートをしてほしい。





どう考えてもそうなのに、

言語化するほどはっきり気づくのが遅くなってしまった。




わたしが好き勝手に歩いていく後ろを、
しょうがないなと広いココロと視野で見守ってくれて、

わたしが脱ぎ散らした靴や、
置き忘れた携帯に気づいてちゃんとついてきてくれる、

そんな人が好き。





内助の功なんて、わたしの人生とは縁遠い言葉。




でもそこんとこを、
無理やり方向変えようとしていたから、

そっちが普通だし楽そうだと思ってたから、

わたしの人生がねじれておかしなことになっていたんだ。




誰だってそうだけど、

自分の人生の責任は自分でとらないといけないよね。





誰にも頼れない。


代わりに歩いていってもらうことなんてできないよね。



どの方向から考えても、
わたしはわたしを基軸とした生き方を考えないといけない。




だって、

わたしの人生には絶対の信頼をおけるパートナーの存在は必須だけど、

わたしが自分のやりたいことを知らなければ、
行きたい道を先に歩くことができなければ、

彼は何をサポートすればいいというのだろう?



サポートさせてあげらんないじゃん 笑





結局じぶんのせいでした。





2016年12月6日火曜日

そこは、男にとっての女の価値にはあまり影響ないのでは?という話



わたしはデート用の服を持っていたことがない。


デートだからスカートとか、
いやコットンの白いワンピースだろうとか、
可愛く見せたいからピンクとか、

そういうことを考えたことが一切ない。


女友達に「え、それでデートすんの?」と言われるようなレベルでした。





彼氏に手料理をふるまうということも、
ほぼしたことがない。


一人暮らしのときは自炊だったけど、

彼氏との(彼氏のおごりのリッチな)外食が続き、

「今日は外食したくないから家で食わせろ」と主張し、
近所の八百屋で野菜を買って、
それで味噌汁と炊き立てのご飯と漬物と鯖缶にしょうが刻んだものを載せて…

みたいな、

ごくささやかな日常の食卓を囲んだことはそりゃああるけれど、

それはわたしが食べたいから、
相手をそれに付き合わせるという形であって、



彼氏に作ってあげたいご飯☆
ハンバーグ、カレー、やっぱり肉じゃが☆?

みたいなことは一度たりとも考えたことすらない。笑





男友達→彼氏となった相手のときには、

気恥ずかしすぎて、
相手が家に到着する前に作ってあった
なす味噌炒めをフライパンごとロッカーの上に隠したことはありました。笑
(きっと匂いはしていたはずだけど、結局言わずに外食した)



ある意味では可愛いけど(ある意味ね)、
基本的には全然可愛くない女だったと言える。


あなたに捧げるもの=わたし 

という感覚の強さよ。



尽くす≠労働すること

わたしが女(の身体を持っている生物)であることが、あなたにとっての価値でしょう?
というのが、わたしが強く持っていた信念だったのだと思います。





朝は、必ず相手が先に起きる。

わたしは寝てる。


ぜったい寝てる。



女性とのお付き合い経験が多かった最初の彼氏は、
「おまえはほんとに朝ごはんとか用意しないなぁ。そういうのする子が多かったんだけど」
と驚いたように呆れたように言っていましたが、

ruは逆に「へぇ!みんなすごいな~」と驚き感心しただけ。(そしてまた寝る)



どの彼氏も、すぐにそのわたしの在り方に慣れ、
前日にちゃーんとコンビニやスーパーで翌日の朝ごはんを(わたしの分まで)買うか、
朝マックやらブランチで外食をするようになったのでした。



わたしにとってはそれが当然で自然。

いちばんストレスのないやり方。



そして、それらは決してトラブルの種にはなりませんでした。




わたしの経験からいうと、

わたしが「こうしないとダメだ」と思いこんで頑張って無理したときにだけ、
色々こじれて喧嘩になってわたしがいじけて距離ができる、
という謎の悪循環にはまっていた気がします。



だから、
男は、毎朝ちゃんと起きて朝ごはん作ってあげるとか、
そんなのどうでもいいんだと思います。

どうでもいいというか、本質ではないというか。


「いや、作ってあげたいの(⋈◍>◡<◍)。✧♥」
作ること自体が喜びだし、食べてくれるならもっと喜び倍増♥
みたいな軽くて楽しいエネルギーならその類じゃないですけどね、


女の「こうしなきゃ」という思い込みからくる、
キリキリ感。
男はそれがもう超嫌いなんだと思う。


あいつら自分でなんでもできますよ。大人なんですから。






だから、全然頑張らなくてよくない?

テキトーでも。

世間的には、う〇こでも。

やりたことやりたいって言って、
やりたくないことは頼ったり手抜いたりして生きてけば。


そのほうが絶対ご機嫌でいられるじゃん。



そんなことを突然思いました。




なんでこんなこと書いてるかわからんのだけど、
誰かに届くといいなぁ。





2016年12月5日月曜日

みんな言い訳スゲー



「できない」って言ってることのほとんどは、
「できるかもしれないけど実のところはそこまでやりたくないこと」だ

と、人のふり見て我がふり直している今日この頃。



ruは断食をして、
そのあと古塩抜きもやってみて、
野菜中心(+酢と海藻を倍増)の食生活を続けてみて、

それで体調がかなり良くなった。



具体的には、お通じがよくなりお肌の調子が良くなり、
食べたあとにくる強烈な眠気や、朝のだるさがかなり減少。

もちろん体重も減ったし、
ウエストは当社比で細くなったし、
脚のむくみも減ったと思う。



もちろんこれは個人の体質とか嗜好やライフスタイルや意志や興味の強さにも関係してくるので、
みんなに無理にやってみろという気はないけれど
(つーかやる気ある人以外はできないよね)、

聞かれたら、「わたしはこうやったよ」くらいは(前のめりに笑)伝える。



たいていの人は、
「へーすごいねえ」と言うが、

その後に、
「私もやってみたいんだけど、今は●●だからできないなぁ」
と言う。


●●の部分にはいろんな言葉が入るけど、

たとえば
「今は忙しいからできないなあ」
「お金がないからできないなあ(酵素ジュースに大金払えないという意味かな)」
「家族のご飯作らなきゃいけないからできないなあ」
みたいな感じ。


「ruさんは独身だし、自分のご飯のことだけ考えられるからいいね」みたいに
言われることもある。


こっちとしては、
んーーーーー……、って感じです。



ruは断食三日やったけど、
一日でもいいし一食でもいい。

断食が無理なら、
フルーツだけとか古塩抜きやって家族には自分で調味してもらってもいい。

ホントにやりたかったら、
興味があったら、
自分でできるところだけ、
始めやすいところから試してみるよね?


ruはそのつもりで、
ruのような健康マニアじゃなくても精神的なハードル低く挑戦できるような、
ポイントをおさえた説明をしてるはずなんだけどな…

と思って、なんかめんどくさくなった。





一方で、

「わたしすぐ断食は無理だけど、
 土日にスムージーでやってみます」

「スムージー面倒だから市販の野菜ジュースでやってみるね」

→→「やってみました」


って人ももちろんいて、
そういう人たちは行動が早い。


そしてここで強く言いたいことは、
わたしはそういうひとが好きだということだ!!!!!!





いや勘違いしないでほしい、
わたしが勧めたことを実行してくれる人という意味ではないですよ。


ある女友達はruの断食経験の話を聞いて、
即答で「わたし全然興味ない」と言い放ったが、
それも全然アリなのです。

「食べ物よりも運動で痩せるからいいです」
とかも小気味よいよね。


ただ、

「やってみたいんだけど~、今は●●だからできないの~」って言ってるやつが
心の底からめんどくさいだけだ!!!!!!!!!笑




ちげーよ、
あんたはやりたくないんだよ!!!


やりたくないならやりたくないで全然全く無問題なんだから、
「やりたい」体を保とうとすんな!!!!

濁ったエネルギーの対応しないといけないこっちの身にもなれ!!!笑


あんたは気を使ってる気なのかしらんが、
逆にわたしは疲れてんだよ!


●●だからできないって言われたら、

こっちはバカだから
●●でもできるようなやり方を、ちゃんと考えてしまうわけなのよ。



でもやっぱり、
「●●だからできません」の人は、
次から次へ「▽▽だから」「■☆だから」とか言い出すからね。




「痩せたいけど痩せられない」って人、

ほんとは、
「あと三キロ減らしたいんだけど~やっぱりお菓子はやめられないよね☆
これだからわたしいつまでも痩せられないんだなぁ笑」

って、同じような友達と言い合ってるほうがいいってことなんだよ。

それが心地いいってことなんだよ。


「わたし別に今のままでも自分に満足してるし、
食べるの好きだし我慢は嫌いだから、このままでもいいや」
って言えよ!!!!

そっちが魅力的だよ!!!!





「断食」っていう、自分がやりたいと思ったことを行動に移してみて、
一番の気づきはそれでした。


みんな言い訳すげーーーーーー笑



言い訳言ってる間に死なんようにしないとな。




あ、言い訳がダメってことじゃなくて、

本音では「別に痩せたくない」なのに、
「痩せたいって思ってなきゃ」「痩せたいって言わなきゃ」とか思ってることが、
エネルギーのロスであり濁りだから、
それに気をつけようという意味です。



これはかなり大きな気づきでした。


やってる人から見ると、すべてすっけすけなんだと。

恥ずかしぃ…


わたしもやってるよね。
気をつけるよ。




そして更に今気づいたが、
他人の生きる姿勢にいちいち反応してるわたしが馬鹿なんだね。

「そーなんですかぁ」でスルー(無視)というワザを習得するときがきたのだ。

がーんばろ。




2016年12月4日日曜日

カジュアル、トラッド、ベーシックに方向転換中


前に、

「ruさんは自分で思っているよりも、
PDナチュラル要素が多めだと思いますよ」って言われたことがあります。


その指摘は納得。



今の自分の認識としては、
ロマンス:ナチュラル=6:4くらい。


5:5でない理由としては、

わたしが似合うカジュアルというのが、
露出(ラインを出すも含む)ありきのカジュアルだから。

あと、素材がくしゃくしゃのコットンや麻だと途端にくたびれた感じになるから。



でもやっぱりナチュラル要素がしっかり入ってるな、と感じるのは、
柄ものより圧倒的に無地が似合うから。

甘い(細かい)装飾や柄が多いと、
くどい感じ OR 詰まった感じがある。




なんで久しぶりにこんなこと書いたかっていうと、
最近またいっぱい服を買っているからです。


それは、

今までも好きだったけど、
どうせ自分には似合わないし諦めようって思ってたスタイルのものたち。




いや最初はね、

「もう理論とか頭で判断すんのもうめんどくせー、
似合うからってあんま好きでもないもんにお金払いたくなーい!

いつ死ぬかわかんないのに、好きなもん着させろーこのわたしに!!!!」

って自分への反乱からスタートしました。

(人に「縛られないように」とか言いながら、自分めっちゃ縛られてました。ゴホゴホ。)



で、台湾の友人へのお土産に、
日本のファッション誌をいくつか持って行こうと思ってBook・Offに行ったときに、
「可愛い♥♥♥」
と思って手に取ったのがこの雑誌。

「vikka」 2014 Dicember

FUDGEの姉妹誌で、隔月発行。

わたしは何でも読むので、
何度か立ち読みとかしたことあるはずなんですけど、
「自分の方向性じゃないし」と思ってたかも。


今回は、「可愛い♥」からの、お買い上げからの、眺めてにやにや。笑


2014年12月号だから2年前のものだけど、

「可愛いなー♥ トラッド、カジュアル、ベーシックーーーー♥」と、
意外なほどときめいている自分に驚く。



こういうのなら、ruでもイケそう。

ウールのざっくりニットはやっぱり苦手なので、
ハイゲージにするとかそういうアレンジは必要だけど。

なんとなく、雰囲気とかバランスの話ね。




↑こういうコートなら、
カジュアル苦手め+ウェーブでもいけそう…かな。

かわいいー



その他、可愛いなと思ったスタイル。 ↓↓↓







ruには真似できないけど…きゅんときたコーデ! 下↓

佐藤栞里さん、めっちゃキュートな!!!!
このマフラーがね…きゅん♥
今世では攻略不可能なアイテム…


そうやって眺めていると、
そういうアイテムほしくなっちゃうよね。

クローゼットの中身がんがん取り替えたくなっちゃうよね。


カラフルな靴下とか、
堅牢な革靴やスニーカーもほしくなっちゃうよね。


苦手だし~…って思ってた子たち、
カモンカモンカモン!!!ベイベ!!!って気持ちになっちゃうよね。





というわけで、

クローゼットの中で大人しくお休みしていた、
気分が変わった OR 着心地やらなにやらであまり着なかった子たちを
マンガ倉庫でお嫁に出しました。


一方で、新たな出会いを得ました。

(そして冒頭の話に戻る)



理論とかもう関係ねーですだ。

ただ、鏡だけがわたしの味方ですだ。



でもね、

PCPD骨格などの理論や概念は完全にわたしの身体に入ってますし、

ときどきは「えー、それ絶対夏色じゃないじゃーん、いいのー?」とか
心配やさんのマインドが言ってくるんですけど、

「いいんだよ!!!!!」で終わりです 笑


USEDで安いから気楽っていうのもあるね。


でもそれよりも、わたしが着たいって言ってんだからおまえ(わたし)は黙ってろ!!!
って気持ちが強くてですね。

鏡見て自分の感覚で、
「うん、アリ」って思ったら、OKなんです。


たぶんそれができるようになるために、
過去悩んだり、学んだり、人に説明してたりしたのかなと、
そんな風にも思いました。




そんなわけで、
買ってきたお洋服たちは、手洗いして今乾燥させてるところです。

そのうち載せます。(たぶん)




しっかし今回のお買い物で痛感した。

人の、根本的な好みって変わらんもんだ。


ruは、中学生ぐらいからデニムや作業着などのワークウェアが好き♥

男の人も、
スーツよりなによりワークウェアが似合う人が好き♥

ミリタリーも好き♥


イタリアのベーシックなスタイルのお洒落なおじさまたちも好き♥


刺繍や繊細なレースが好き♥
シルクの光沢が好き♥

美しくて官能すら感じるシェイプのハイヒールやバレエシューズが好き♥



30歳の今、自分の現在の好みに従ってクローゼットを更新していこうと思ってます。









My Favorite Things - Julie Andrews Sound of Music

「サウンドオブミュージック」より。

Raindrops on roses and whiskers on kittens
Bright copper kettles and warm woollen mittens
Brown paper packages tied up with strings
These are a few of my favorite things


Cream colored ponies and crisp apple strudels
Doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles
Wild geese that fly with the moon on their wings
These are a few of my favorite things.

Girls in white dresses with blue satin sashes
Snowflakes that stay on my nose and eyelashes
Silver white winters that melt into springs
These are a few of my favorite things

When the dog bites, when the bee stings
When I'm feeling sad
I simply remember my favorite things
And then I don't feel so bad


ただ好きなものを並べているだけの歌詞にときめくのはなぜなんだろう。




GONTITI My Favorite Things

ゴンチチのカバーも、
粋でかっこいい。



2016年12月3日土曜日

相手の神聖さを侵さない



どうせ男は女の身体にしか興味がないのよ。




もし、あなたがそう思っているなら、
あなたは相手を汚している。



相手の神聖さを侵している。





女は男の金しか見てないんだ。


これとイコール。





そうじゃないよね。



存在の全体の中で、どこを見るか。


それは選べる。





どこを見てもいい。



相手のどの部分と共振するかを選んでいい。





ていうか既にもう、いつでも選んでいるから、

もしあなたの周りにろくな男がいないなら、
あなたが男を「ろくでもない」として、見たいだけで。



あなたが男の「ろくでもなさ」を引き出し続けているだけで。




あなたが、
自分の惨めさや汚さ狡さ弱さ価値のなさを、
相手を通して見たがっているだけで。




あなたがそういう態度でいるから、
自らの神聖さを発揮したい男はあなたに寄ってこないのだ。


誰も、汚されたくなんかない。


貶められたくなんかない。





自分は汚くて卑怯で弱くて無価値な人間だと、
無意識で強く信じている男は、

そんなあなたが自分にちょうどいいと、近づいてくるかもしれないけれど。




それも、お互い様ということで。





もっと、いつでも、俯瞰で見れたらいいのにね。





11月の台湾でお買い物備忘録+photoアルバム

ソウルに続きまして台湾篇でございます♥



台湾はね、
そもそもお買い物目的じゃなかったので、
そんなにお土産だのなんだの買い込むことはしませんでした。


ただ、
友達用に日本のスナック菓子と雑誌、持ってったけどね。
(ちなみに、雑誌もおかしも現地で普通に買えることが分かったので、次はどうしよっかなぁ)



で、結局持ち帰ったのはこの子たち。


・パイナップルケーキ(泊めてくれた友人のご両親からの頂き物)
・ビーフジャーキーみたいなのと、
 ミートペーパー(?肉を薄く伸ばしたせんべいみたいなもの)(友達からのお土産)
・するめ
・ラズベリーのドライ
・ラーメン(乾麺?)(友達からお土産)
・スナック(ポテチみたいなやつ、友達のおすすめ)
・薬膳スープのもと(全部入れてお湯で煮ればいいらしい)
・ジンジャーティーのパック
・乾燥緑豆
・インスタントのシリアル(パウダー)


お土産としては、ラズベリーが評判よかったですね!
ドライフルーツ、次も選びます。


肉やスルメ系は、
量が少ないぐらいがいいと、今回学びました。
次はやめとくかも。



台湾は食材がとっても豊かで、
デザートもいっぱいあるじゃないですか!

スーパー連れて行ってもらったら、
わたしは豆や乾燥野菜やなんやらのコーナーから動けない…

今回は、重さも考えて緑豆しか買ってこなかったけど、
次は目新しい豆やナッツ、大人買いしたいです。




で、買ってきてよかったーーーーーー( *´艸`)と思ったのは、
インスタントのシリアル(パウダー)!!!

店頭にはすっごくたくさんの種類があったよ。


日本ではベーシックなオートミール(+メープル)しかみかけない
クエーカー(Quaker)ですが、
台湾ではストロベリーとかチョコとかしょっぱい系の味付けもたくさんあった。

台湾の子たちいわく、
「馬玉山(Green Max)が老舗だよ」ということだったので、
そっちも買いました。

小豆やその他の豆類、ナッツ類が粉末になってミックスになってるやつ♥


砂糖入りが普通だけど、
無糖もあって、
ベジタリアン用の軽食としてもいいですよ♪って扱いのようでした。

今は職場に持っていって、
小腹がすいたときにお湯で溶かして食べてます。



現地スーパーでは一袋500円以内(結構安い)だったのですが、
今ネットで調べてみたら2000円くらいで売られているので、
次台湾行ったら現地スーパーで大量買いしてきます。


豆天国です、台湾♥






そして、

今回は頭になかったけど、
次回は素食用の食品をお土産にしようと思います!

超Happyになれるなぁ♥






で、番外編は、

前回にも紹介した故宮博物館で購入した絵。

台湾の美術は、
全体的に好みです。

行くたびに、一つずつお気に入りに出会えるといいな。




買い物の記録はここまでで、
ここからはザーッと台湾photo galleryです。

ご興味のある方だけどうぞ♥

2016年11月5日 @桃園空港

台湾の伝統的なお祭り…?おもしろかったー

これ、今回滞在中食べたもので一番すきだった
タコのつみれ?
スープはお代わりできます
↑上のタコのスープは、花枝■ 55台湾ドルでした

アボカドジュース
@基隆マーケットのそばの港
  
@基隆の港の広場

 
@基隆のビーチ
サーファーがいっぱいいた

@友人の家の屋上より

友人宅の近くの駐車場で週二日催されるナイトマーケット


基隆は山(丘?)が多い
軽く山に登る

基隆は港町


@陽明山
ハイキングした♥
カップルがらぶらぶしてた 
ウェディングドレスで撮影してるカップルが、
本当にたくさんいた


かわいいカフェでお茶。
ナッツやフルーツが贅沢に使われてて感動



高台にあるおしゃれなレストラン
@陽明山の近く
台北っ子にはデートコースとして定番らしい


台湾の朝ごはん
甘い豆乳と、胡椒のきいたお饅頭みたいなの


 
友人と別れ、一人で中国茶を飲みに
でも…(別途書くかも)



朝ごはん用のフルーツ♥
たくさん買って友人ちの冷蔵庫に残して帰国



ピーナッツのぜんざい
英語で話しかけたら、友達が一人増えた
そしてサンドイッチおごってくれた
これめっちゃおいしい


台湾の友人たちに、
色んな場所に連れて行ってもらいましたが、

どこに行ったのかさっぱりわからないのが残念なところ。


でもすごく楽しい旅行だったので、
また近いうちに行きたいです(*´▽`*)


次は台南かな。