2017年1月27日金曜日

なんか聞きたいことある人手あげてー

最近、ブログという媒体にちょっと飽きてきている…

どうしよう。




ということで、

もしruに何か聞いてみたいことあったら、
メッセージ送ってきてください。


PDや骨格もろもろのファッション関係でもいいですし、
恋愛とかなんだかんだでもいいですし。


なかったらないでいいですYO

そして応じるかどうかはru次第ですGA


そんな感じで。




 ちゃお(^^)/

2017年1月25日水曜日

夢/ビジョン



Jではなくて、その前に心惹かれた男性と接近していく中で、
あるイメージが頭に流れ込んできた。

浮かんだ、でもいいんだけど、ここは流れ込んできた、で。


突然恋バナいいですか?  ←この、頭ん中お花畑の頃




わたしが、
大き目のバックパックを背負って、
ほこりっぽいイメージの市場を歩いているところ。


たぶん誰かと一緒で、
その相手は男性で(たぶんパートナー)、
わたしの前を歩いている。

わたしはきょろきょろしているが、
迷っているのでもないし不安もないし緊張しているわけでもない。
目的があってそこを歩いている。

ほこりっぽい地域で、乾燥してるんだと思う。
色は赤茶けた印象がある。
たぶん中東か北アフリカ。




そういうイメージ。




わたしはその頃海外旅行というものは身近に感じていなかったし、
とにかくどうしてそういうイメージが浮かんだのか意味不明だった。


だけど、

その直後に、気になる彼(そのときは気にもなっていなかった)が、
自分の海外での体験を話し始めて、
数年したら海外に行きたいと思っているなんて言ったもんだから、

わたしは、
「もしかしたらこの人と海外に行くの?」
なんて思ってしまった。







結局、

残念ながらその人とは距離ができてしまい、
今後も最接近の予定はないけれど、


そのイメージだけは、くっきりはっきりと残っている。



一緒にいるだろう誰かが彼じゃなかっただけで。






Jと知り合って、
あの映像は南アジアかもしれないな、と思ってる。




その誰かがJだといいのに、とも思った。

でもJじゃなくても、
少しずつヒントを与えられながら、わたしはあのビジョンに近づいている。


誰と一緒かはわからないけど、
いつどういうシチュエーションでかは分からないけど、
信じるに足るビジョンかどうかも分からないけど、
わたしはそれを目印にしてすすんで行きたいと思っているし、
そんな風に今は使っている。






わたしの望んでいることは何か。



自由と美。




具体的には何か。


わたしを表現できること、
自分の裁量で変化を起こして動けること、
豊かな経済力、
世界中多様な文化とのつながり、
旅、
上質な環境を創り出すこと、
ハーブ、オイル、天然石、ソイル、ベジタリアン食品、アート、アパレルなどの輸入輸出、
スパやエステ、セラピー



わたしは、

デザインしたり手を動かして物を創り出す才能には恵まれていない。

大きな組織の中で働くことも、
っていうか大きなかたまりには興味がない。

エステティシャンや美容師さんのように、
直接人様のからだに触れて癒したり治したりすることにも惹かれない。





じゃあ何ができるんだ?




わたしは仕組みづくりが好きだと思う。

立ち上げて運営して、
軌道にのったら人にまかせる。


上質で美しく普遍的な美しさをもつものにだけ関わって。



でも儲けるのも好き。
お金は大好き。
たくさんの体験をするために使う。
人のためにも使ってあげられる。





規模は小さくていい。

数人、多くても6人くらいで動けるグループ。


恰好よくて頭のいい、
計算ができる男と働きたい。



キラキラ女性起業家とかは嫌だ。
ガラじゃなさすぎる。


ru的には、
しれっとまるーく稼いで、ゆるーく世界の片隅で暮らしている。

そんで結構な頻度で旅に行く。



そんな感じがいいなぁ。




最初の赤茶けたビジョンを感じつつ、
自分が惹かれるものを繋げていく。



小さいところから自分でビジネスができるようになったら、
どこにいても、誰といても、
どんなモンダイを解決するためにも自分の能力を使える。

その自信がほしい。





冒頭のビジョンは、
そうなりつつある、今のわたしよりも進んだわたしの画だった。








2017年1月18日水曜日

今は尖ってる系よりも脱力系に惹かれる、カナ♥

関ジャムで、蔦谷さんが勧めてて、
初めて知りました。


KOHH


すぐyoutube検索した。



やばいかっこいい。


笑った 


KOHH - "貧乏なんて気にしない" Official Video



そして思い出した。




彼。




窪塚さん♡



はい、わたしは中高のとき、
当時の男子の例にもれず(いやわたしは当時も女子でしたが)、好きでした。

きゃあきゃあゆってました 笑


彼の、群を抜いて透明感とカリスマがあって揺れてて危うげでとにかく美しいところが。

画面に女優さんと並んでても、
どんな表情でも目を奪う佇まいが、もうもうもうもう。



なので今もさん付け必須です。
もうクセです。



(当時CMいっぱい出ててかっこいい映像たくさんあったのに、
今探したらなくなってた。ざんねん。)






ちなみにわたしが中高大時代好きだった男性芸能人は、

渋谷すばる、
山田孝之、
森山未來、
窪塚洋介、
桜井和寿、
須藤元気、

みたいな感じです。


なんかわかるねー
偏ってるねー


いっかい壊れそうになって、メインストリームからどこか別の場所に移動して、
新たに活動始める感じあるねー 


そういうかんじで、
どこかがとがりすぎるほどアンテナ立ってる人に惹かれてたんだよね。

触れたら血が出そうな。





それはそれとして、


今のわたしのタイプは、


所ジョージ、
千原せいじ、
大野智(嵐)、

みたいな感じですーーー



あと、TOKIOの城嶋リーダーにも、たまに萌えてます。




帰って来たヨッパライ【自主制作アニメーションPV】




おらはしんじまっただー
おらはしんじまっただー
おらはしんじまっただー
天国に行っただー



KOHHさんの曲聴いて、
窪塚さんを連想したときからずっと頭の中でリフレインしてたこの曲。






吉幾三 俺ら東京さ行ぐだ 1985年360p H 264 AAC




これも。


たまらんすー




ハァ
テレビも無エ ラジオも無エ
自動車もそれほど走って無エ
ピアノも無エ バーも無エ
巡査 毎日ぐーるぐる
アヤ 朝起ぎで 牛連れで
二時間ちょっとの散歩道
電話も無エ 瓦斯も無エ
バスは一日一度来る

俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コア貯めで 東京で牛飼うだ カァ

アァそれ アァよいしょ

ハァ
ギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ
喫茶も無エ 集いも無エ
まったぐ若者ア俺一人
婆さんと爺さんと 数珠を握って空拝む
薬や無エ 映画も無エ
たまに来るのは紙芝居

俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コア貯めで 東京で馬車引くだ カァ





ハァ!!!!!!





もいっちょ。




だまって俺について来い  植木等


ぜにのないやつぁ 俺んとこへこい
俺もないけど心配すんな



わはははははっはh



しませんしません ははははははは






…というわけで、これ何記事なんでしょ。


わたしの、好きな男性のタイプの変遷…?ちがうか。


最初に戻って、

KOHHさんの歌見ててなんかいもわらけてしまったので、
どうぞ、皆さんも聴いてみてくださいね。


もらったらお返しをするズルい損得はいらない


昔からみんなよく言ってる「お金よりも愛」 わからない
とりあえず俺は貧乏なんて気にしない 貧乏なんて気にしない



かちょいーです。


豊かでもないけど、
びんぼーくさくないってこういう感じだなぁって思いました。




ではさいならー



2017年1月12日木曜日

他PDと対比することでロマンスの特徴をクリアにしてみる (過去記事より一部抜粋)



非公開にした過去記事の中に、

誰かの参考になるんじゃないかな~という部分があったので、
抜粋して載せます。


もともとは有名人の方の画像と一緒に載せていた文章なので、
文章だけだと分かりにくいところがあるかもしれませんが、ご容赦ください。



――――――---------------------


ロマンスの特徴を押さえておきたいと思います。


逆説的ではありますが、
他PDそれぞれと共通している要素/苦手な要素をあげてみることで、
それをクリアにしてみたいと。



対ファッショナブル  
極端に盛る、飾り付ける、大人っぽい   ×強そう、攻撃的


対ナチュラル    
ゆるい、ヌケがある、大人っぽい    ×ラフ、カジュアル

対グレース
素材自体が高そう、高級メゾンっぽい、大人っぽい  ×きっちりミニマム、無駄がない

対フェミニン
大人の女性感、柔らかさ    ×きっちり、清楚上品

対ガーリッシュ
甘い       ×子供っぽい
 
対アバンギャルド
極端に盛る、色気    ×尖っている

対ボーイッシュ
◎????(共通点が見つからない)   ×ラフ、子供っぽい





ここから、ロマンスは、

大人っぽく高そうなもので極端に女性的に飾り付け、
でも攻撃的に尖った感じではなくてゆるく甘く色っぽくするのが似合う。

ってことがわかります。



逆に、

きっちり上品、子供っぽい、攻撃的、ラフさ は合わないってこともわかります。


―――――――---------------------


繊細でゴージャスなレースや、サテンやベロアの艶が似合います。

シースルーで肌が透けて見える感じもいい。

どの骨格でも関係なく、タイトなラインであか抜けて見える。(でも素材は異なる)





ロマンスの場合は、
必ずしもドレスの雰囲気が非日常とはいえないです。


贅沢さをかもしだしている要素を理解して、普段着に取り入れたい。





繊細な素材や上品な感じなら、ワイドも綺麗。シフォンとか。

刺繍が、ゴージャス。贅沢・豪華絢爛。

大き目の花柄とか、模様は均一ではないほうがいい。(動きが感じられるほうがいい)



――――――---------------------


★綺麗目

綺麗目と言うことで、まず素材がちょっと上質(に見えるもの)です。

ニットやブラウスですね。

襟はなるべく柔らかい形のものを。
(たとえ骨格ストレートの人でも、普通の白シャツとかは馴染みにくいと思われる)




ruの場合は、どんなに綺麗目のカットソー(Tシャツとか)であっても、
基本部屋着以上には見えません。

たぶん、あの軽さ(⇔重厚感)がダメなんだと思います。

もちろん、
夏沖縄でTシャツ着ないとか不便すぎるし着るよ。


ただ、コットンやテンセル素材のブラウスを(わざわざ)アイロンかけて着るようにはなりました。





★カジュアル

カジュアルといえども、ヘアメイクばっちりですからね。

こらぁ大変だ。


>大人っぽく高そうなもので極端に女性的に飾り付け、
でも攻撃的に尖った感じではなくてゆるく甘く色っぽくするのが似合う。

の、全部の要素ではなくても、なるべく多くの要素を取り入れる。

苦手なスウェット生地なら、
ボディラインにフィットするワンピを選んだり、肌露出多めに着るとか、
メイクきっちりやってアクセサリーもつける、みたいな(>_<)



――――――---------------------




コピペは以上になります。笑


もう一年以上前の記事になりますので、
当時はもうちょっとPDや骨格診断に重心がある洋服の選び方をしていました。


今はだいぶゆるくなって、

(自己診断)PDサブナチュラルの特徴をフルに利用しつつ、
カジュアルな重心低めの服をたくさん着てます。



2015年夏にたくさん着ていた
(骨格ウェーブ+ロマンス+ガーリッシュ)みたいな雰囲気のブラウスも全部処分したし。




逆に、あんまり履いてなかったニューバランスのスニーカーを履くようになり、
リサイクルショップで買ったEDWINのジージャン(シェイプなし)や、
厚めコットン生地の太めストレートパンツをしょっちゅう着てます。




でもやっぱりそれなりにPDや骨格、PCも気にしてて、
全部ハズさないようにはしてます。

わたしの場合はいかなるときも、
「女っぽく、ゆるく」っていうのがテーマかな。笑

極端にカジュアルになって、やる気ない部屋着のおばちゃんになる日がないわけじゃないけどね。
(特に旅先では結構悲しいことになることが多い…スニーカー一択になる時期は余計に)



では、そんな感じで。


どなたかの参考になればうれしいです。











2017年1月10日火曜日

動物か宇宙人みたいな女だなんて、おこがましいです~



「動物か宇宙人みたいな女だな」

とは、昔付き合っていた人がruについて言った言葉ですが、



ruはもっと「動物」を極めたいです。



「宇宙人」を極めたいです。




だって、わたしそんなに全然本能的でもないし、
人間世界の常識から縁遠いところで生きてるわけでもないから。今。



ruは、

動物みたいに、
虫みたいに、
植物みたいに生きてみたい。



あーだこうだ色々考え込んだりしないで、

本能が赴くまま、
感覚に素直に従って(っていうか反発する何かがないならそれが自然)、
死ぬまでは死を意識せず生きていきたい。





1行きれい塾―「かわいい女」になる!読めば、きっと変化する! 寺門 琢己著 ←amazonリンク




10年くらい前、整体師の寺門さんのこの本を読んだんだけど、

そのときにね、
「猫は赤ちゃん猫であっても老猫であっても、見た目にはそれほど違いはない。
少なくとも、人間くらい大きな差があるのは特殊」
みたいな趣旨のことをおっしゃってて。




結構目が開きました。




年取ったらいろんなところにガタがきて、
結構な割合で病気になって、
記憶がおぼろげになったりして、
肌は水分がなくなってしわしわになって、
腰は曲がり脚も曲がり…

っていうのが超当たり前の事だと思ってたけど、

疑いもしないほど当然のことだとして生きてきたけど、




それってちょっと変なのかな?って。




他の動物そうじゃないの?

うちらだけ?


んーーーーー、それってなんでなんだろ?って。








それから、

物理学や脳科学や心理学や超心理学や、
スピリチュアルや文化人類学や…っていろいろ知識を得ました。

自分の実体験からなるほどって思えることも、それらに上乗せしてきました。




するとね、

うちらただのエネルギーなんだったら、
老けるとかなくね?って思うようになった。今ね。


病気って基本治るんじゃね?って思うし、

お金入ってこないのは不自然だろ、って感じだし、

なんかやり方変えたら、今みたいなやり方で肉体脱がなくてもよくなるんじゃね?
ってことすら思う。




わたしが本当にゼロに、無に、無常識になったら、

エネルギーをどんな形で結実させるか、
カタチを与えるか、
流れを決めるか、

すごいクリアな意識で全部決められるようになるんじゃね?って思ってます。
(決めるっていうか…自分の進むべき道が分かるようになって、それを自分の意思として従えるようになる、のかな)





だから人間っぽい自分が、すごく邪魔なのよね。



人間ぽいっていうのは、エゴってる自分ね。

「〇〇だったら■■に決まってるだろ」って、
記憶を自動的にリプレイして、
似たような体験を創り出す自分ね。


固定された視点から物事を決めつける自分ね。


頭が悪くて傲慢な自分ね。




それもいいんだけど、

「人間っぽい」中での最高の刺激は、
超クリアな意識においての体験のすべてにかなわないだろうからな。


わたしはもっと想像を超えて面白いのがいい。





でも人間ruが超クリアな意識にチューニングするのはとっても難しいので、
その第一段階として「動物」の意識を想像してみてます。


「犬ってひどいことされてもすぐ忘れるよなぁ。恨まないよなぁ」とか、
「猫ってずーーーーっと一匹で遊んですごせるからすごいなぁ。食べ物以外無目的で生きられるからすごいなぁ」とか、
「見た目悪い自分には価値ない、しにたい、とか思わないんだろうなぁ。いいなぁ」とか。笑


ruにとっては「今に生きる」の先生たちです。

「自分の感覚に正直」の先生。




人間の中にはなかなか「今に生きる」の師は見つけられませんが、
動物たちはみんなそうだから、わたしは彼らを尊敬しています。






2017年1月9日月曜日

友達、の捉え方が完全に変わりました



今のわたしには、
時間を割いて会いたいと思う友人は数人しかいない。

数人いる、と言ってもいいけど。


うん、片手で足りる。




だから人に誘われたとしても、

その飲み会や集まりに顔を出すよりは、
一緒に旅をするよりは、

一人でドライブしてたほうが、
部屋で読書をしてたほうが、
家事を終わらせたほうがずっといい、という判断をすることが多いです。



めんどくさいんですね。(え?コミュ障っていうんですかこれ)

えーっと、

言い換えると、
気が乗らないことが多いんですね。





わたしはだいたい4年ぐらい前から時間をかけて、
段階的に人間関係を縮小してきています。

すべてがわたしの意志じゃなくて、

なぜか分からないけど人が離れて行く、という感じが強かった。



いっときは、
わたしの何かが悪いんじゃないかと、
割と深刻に受け止めていたときもあったし、

すごく淋しくも思ってた。




今はそうでもない。




自分の本音をしっかり見ようとすると、

会いたいと思える人は、
自分と同じくらい(かそれ以上)に自分自身をぎゅっと見ようとしている人に限られる。



もう取り繕うとかできないから。


もう、沈黙で気まずくなるのが嫌だからって、
世間話をするなんてことはできないし、
いまだにそういう反応をする相手とは一緒にいられない。


沈黙に怯えられても、というところです。



わたしは、そういう瞬間が訪れてもフォローをしようとしないので、
相手としても居心地が悪い物と思われます。


お互い様なので、離れて行くのが自然のなりゆきです。





そういうものなのね、と今は思う。



ただ、傍にいられないだけ。






そんなわたしでも、
時間を一緒に過ごしたいと思える人はいて、
相手も同じように思ってくれているのがとても貴重に感じられます。


ほんとにほんとに。



いてくれてよかったな、と思う。



何かしてくれるわけでもなくて、
こっちとしても何をしてあげるわけでもない。


お互いの近況を話して、

どっちかっていうとお互いの思考の整理をしたり、
違和感を感じた部分を伝え合う鏡としての役割を果たしているって感じ。

相手をヒントを得る媒体とする。



そういう相手はわたしには数少ないし、
きっと相手にとってもそう。




これを「友情」と呼ぶのか?


なんか似つかわしくない言葉に感じられるけど…

そして少なくとも、
過去に思っていた「友情」や「友人関係」とはだいぶ違うけど、



無理がなくて、
自分にとってはすごく必要で大事で幸せな時間。





「わかるよ」



「傍にいないけど、がんばろうね」



って感じ。

言葉にはしないけど。






彼女たちが何かを掴んだら、
素直に喜べると思う。


置いていかれる気持ちになる可能性だってもちろんある。



でも、彼女たちの成功はわたしの成功でもある気がしているから。



間違いじゃなかったんだ!
って、自分に対しても思える機会だから。








さてそんなわたくし、
年末ぐらいから、なんだかJのことが遠くなってきています。


そんなことより自分のこと、という感じ。


自分のことはよく考えています。



これから具体的にどう動いていこうか、
どう生きていきたいのだろうか…とか。


そっちに頭がいって、Jのことにはほぼエネルギー使わなくなっているのです。




うん結局、


わたしはJよりもわたし自身のほうが好きなんだ。



わたしのことが大事なんだ。





Jは、

特別に感じられたとはいえ結局は他人だし、

あいつ彼女いるし、 笑 ←


この(大切な、愛すべき)わたし自身に傾けるべきエネルギーを大きく費やす存在では、どーーーー考えてもないよね。



どー考えても、わたし自身の方が大事だろ!!!!!




うん。




…という感じになっております。笑





おもしろいな。

今のruのエネルギーは、たぶん恋する乙女のものではありませんよ。



Jのことは今でもたぶん(←) 好きですが、
それよりも自分のことがずっとずっと大事です。


彼はあくまでも脇役、って感覚が急に強くなりました。



むしろJはどうでもいいです。




もっと自分のことが知りたいです。



自分が何を好むのか、
何で満足するのか、
どんな人たちとこれから出会っていくのか、
そういうことに興味があります。



このままJのことが消えてく可能性もありますが、
とりあえずは今の感じを記録しときます。






それじゃあ、読んでくれてありがとう。

おやすみなさい。






2017年1月7日土曜日

「感謝」がめんどーだニャー



スピリチュアル好きとしてはあるまじきことかもしれませんが、
わたしは、
「感謝しましょう」と言われるのが好きじゃないです。



強い違和感→→→拒否反応が出ます。



ほんとに嫌なんです。


「またそれかよ」と思って、
本であればすぐ閉じます。





きっと、そう言われて素直に「感謝」できる人もいるのだと思う。

とりあえず「ありがとう」を口にしようと心がける人も。


そして実行したのち、
実際に身体の中から感謝のバイブレーションが、
じわーっと広がっていくのを感じられる人もいるのでしょう。




でもわたしは、できないの。


「けっ」って思っちゃう。




感謝は波動が高いという。

それは分かる。



でも、ブッダやキリストが一日百回「ありがとう」って言ってたかって、
全然想像できないのよ。


感謝の波動、
よろこびの波動を纏ってたとは思うよ。


でも「Thank you」連呼してたかっていうと。ねぇ。笑



動物も、ありがとうとか言わんし。







「感謝」というのは、
わたしにとっては感覚であり状態なので、


「うれしくなれ」とか、
「感動しろ」とか、
「悲しくなれ」とか言われているのと同じで、

なれって言われてなれるもんじゃねーだろ、という気がしている。



個人的には、無理!!!!!って拒否反応が強すぎて、
違和感MAXになるのでもうやりません。



でもそれはわたしがスーパー頑固なだけかもしれないんだけどね。







さて最近思うこと。




現象はただの現象であって、
良いも悪いも本当になんの意味もないんだなぁ、ってこと。


運がいいとか悪いとかもないし、絶対もないってこと。



こうやったら幸せになれるとか、
こうだから幸せにはなれないとか、全部うそ。



意味づけが完全に委ねられているという意味ではすべての人が超自由の身。



そしてその権限は100%守られていて、

だからめちゃめちゃ一人ぼっち。



孤独な世界。



一人ぼっち。



でもめちゃめちゃ自由。





責任はすべてあなたにある。




孤独って言葉から連想されるネガティブな意味も、
自由って言葉から連想されるポジティブな意味も、

本当は要らない。




ただ、そうなだけ。




ありがたいねって思わない。





現象に意味づけする自由がわたしたちに与えられているなら、
どうせなら「ポジティブ」な意味をつけたいな、

前のわたしはそう思っていたかもしれない。


だって、「引き寄せ」とか考えると、
「ポジティブ」な思考、「ポジティブ」な感情が、
さらなる「ポジティブ」な事象を創り出すらしいじゃない?


だから。





でも今はそれに違和感がある。




「ポジティブ」な意味づけをすることすらめんどくさい。




だって、そもそもプラスでもマイナスでもないのにさ。





別にいいよ、どっちだって。


「喜べ」とか「残念がれ」とか「感謝しろ」とか言うな。
めんどくさい。





「感謝」することで、何かを得ようとするなんてすごくすごく卑しいよ。



てかそれ感謝なの?笑





現象は現象であって、
それがどんな意味を持っていたのかは、
一つのストーリーが完結して全体像を把握できるタイミングでしか分からないじゃん。


死ぬときとか。


ひとまずこの人生が終わるタイミングで、
なんかいろいろ分かるんじゃないかと思うんだけど、

それまではきっと見当はずれなこと考えてる気するんですよ。





そう思うとさー、


無駄な体力使いたくないなーとか思うわけ。










どうせ、

瞬間ごとに変わる一貫性のない物差ししか持ってないんだったら、
そんなのでいちいち現象を測って、
いいとか悪いとかギャーギャーいって一喜一憂して疲れたくない…



そしたら、

「あれもこれもほんとは特に意味ないんだよね」
って、しれっと生きていけたら楽よね。



この世界に意味ゼロ。



わたしが生きていることにも、いいも悪いもない。


頑張っても頑張らんくてもいい。


好きにやっても罰されない。



っていうか、いいとか悪いとかない。本気で。




ただ、


目の前にあるものをクリアしていくだけ。



クリアっていうか…


「こうしたい」って思ったことをその瞬間ごとにやってみて、
「あれ、違うな?」と思ったら変更してみて、
状況を好きな方向から見て自分に都合よく利用して、

涙が出るときは泣いて、
笑いたいときは笑って、
笑い泣きしたいときは笑い泣いて、
惨めなときは惨めになって、

そんな感じでいいのかなと思う。



目の前のアトラクションをただ通過(経験)していくだけってこと。






自分でこねくりまわさずに、
そのまま体験していくっていうこと。









2017年1月4日水曜日

2016の振り返りと2017の展望


明けましておめでとうございます。

いつも見に来てくれてありがとう。
今年もよろしくお願いします。






挨拶もそこそこに、
本題入らせていただきます。



最近、ブログ記事【ブラックru】とタイトルつけたものが、
割と見られているようで、

へぇーって感じです。



興味あります?笑



ブラックなのかなんなのか、
アタリきつめの言葉で記しておきたい気分というのがあって、

そんなときは書きながら、
自分でも「うわ~黒~、言葉づかいきたな~」「上から目線で随分偉そうだな~」って思ってます。
字面で見るとよけいにね。


だからって最近黒くなったわけではなく、

ずっと前からです。笑


昔から、身近な人たちには、
「毒舌」
「口悪い」
「そのまま言い過ぎ」
「ゆるく見えてシャープ」(←これ褒め言葉だよね?ね?)

とか言われてました。


 【参考】感情とノリに引きずられて言葉を使う自分はただの乱暴者だと落ち込む




でも、なぜかブログではそのままは書けなかった。

別に汚い言葉遣いする必要はないんだけど、
「ブログを通して悪い影響を与えたくない」
と思ってた。

何様なのかね。

そして、
「明るくテンション高く振る舞って、嫌われないようにしなきゃ」
って思ってた。

結局は媚びてたんだろうね。
人に、自分に。


その心は、攻撃を、未然に防ぎたかった。 敵がいっぱいの前提で。



自分の中から出てきた言葉を、
一回頭の中で他人の目を通して変換させてから、出す。


文字として並んでいるものを読んで、
さらにマインドが騒ぎ立てる場合は、
またいじくる。

自分の中では、
最初に出てきた言葉がリズムがあってキレがよくて、
すっきり「出た~」って感じだったのに、
 
それを何度も変形させていた。


 

まあ、自分の中で感じることなので、
人様からはどう見えているのかは分からないのですが。


そして今はこの変化が自分にとってどんな意味を持つのか、
まだ分かっていません。
わたしが望んでいる方向に進んでいるのかも分からない。

ただ、もう少しして自分が進んだら、
「汚いと綺麗」や「善と悪」、「魂とマインドの声」についての認識が少し変更されるかなと思ってます。






 さて、

年末年始といえば、

「あなたにとっての2016年はどんな年でしたか」
「2017年はどんな年にしたいですか」

などという質問がよく聞かれますね。


ruも考えてみました。



 漢字一文字で 笑 (あえての)



 難しいんだけど、
あえて言うなら、

2016は、「歩」や「練」 や「闘」でしょうか。


一歩一歩、繰り返し繰り返し。

できたと思ってたのに、またそうきますか!!!
ははあなるほどね、わたしまだまだでしたわ!

みたいな、


 掘って掘って掘って掘って、
捨てて捨てて捨てて捨てて、 



そしてまだ先は見えず… 笑





そんな中、きました2017



どんな年にしたいか。



「挑」ですかね。


今までも、ちょっとずつやってみたいことつまみ食いしてきたけど、
今年は腰をすえて、
逃げ腰ではなく挑戦してみたいです。

「わたし」がやってみたいことに。



二番目とか三番目にやりたいことで誤魔化すのではなく、
それらを逃避に使うのではなく、
今一番興味があってやってみたいことにストレートに手を伸ばせるようになりたいです。

怖いことに「挑む」のかも。

未知に「挑む」のかも。




捨て終わってないことはまだ続くでしょう。

逃げてきたことはまた現れるでしょう。


葛藤はまだ手放せていないので、
2016の「闘」は、わたしの内側にあり続けるでしょう。

まだまだ自分を「練」り、見晴らしの悪い低い場所を「歩」み続ける必要があるでしょう。




わかっとるわ!!!




でも、2018年のわたしが、今よりも強く軽く美しくなっていればいい。




なるに決まってるけどな。





そんな感じで、
今年も皆さん、どうぞよろしくお願いします。

(^_^)v イェー