2017年2月28日火曜日

女はブラックボックス



「女は汚い」「女は臭い」とか、
特に月のものを指して、差別的なニュアンスで言う男の人っていますよね。
いると思うんですよ。
だから男が優れてる、っていうか女は動物的で生臭くて、同じ人間として並べるに至らない的な。


ところがね、ruもそう思う。笑
ru女だからね、自分も含まれてるんだけどね、めっちゃそう思うよ!笑


生き物としての生理の話だから、
その性として生まれてきた身にはもうどうしようもないし、
「そんな言い方ひどい!差別だ!」って言えるんだけど、
ruは「女って汚い、臭い」って言われても、

ですよね~、あんたの言いたいことたぶん分かるよ~
って思うよ。笑


「What makes you think I'm "Straight"?」 どうして私が『ストレート』だと思ったの? の中で、

相手が女の子だったら、もうそんな自分たぶん許せないと思うのよね。

自分が女だから案外図太いことちゃんと分かってるんだけど、
傷つけてしまったどうしよう、
ってすごい動転すると思うのよね。

触れたらまずい爆弾。




って書きました。

けど、綺麗に書きすぎたな、正確な表現じゃないなって思って、
少し考えてたんですよね。


したら、ある瞬間に、
「女はめんどくせえからだ!」って思い当たった。


どんだけ綺麗に装ってても、
本質的にはぐっちゃぐちゃでカオスで、
汚いものもごみも何もかもいっしょくたに入ってる沼やぬかるみみたいなもので、
ときどき理不尽に爆発してなんの説明もしないし、
天然で計算高くて自分のことしか考えてなくて暴力的。

本当おそろしいブラックホールみたいな存在なんだよね。


そんなもん、絶対関わりたくないわ。
(宿命づけられているなら仕方ないが、あえては、という意味。)


なんの計算もできない向こう見ずの無鉄砲だから、
そんな恐ろしい存在に自ら飛び込んでいけるのであって、

わたしは自分の生理も、
めんどくさいとしか言いようがない頭の中も、
自分でいるだけで必死なのに、
あえて似たような存在の中にとびこんで行って、
さらなるぬかるみや大爆発を体験しようとは決して思わない。



だから、わたしが同性に間違っても手を出しちゃいけないと思う理由は、
繊細すぎて壊したくないからではなく、
その逆。

絶対にぐっちゃぐちゃの汚いものがたくさん入っていると分かっている
ブラックボックスには関わりたくない、というのが本音。

ブラックボックスなんです。
綺麗とか汚いとか切り分けられる前の、
何もかもが強烈な圧力を加えられた状態で収まっている。

何かの拍子できっと爆発する。



怖すぎますよ。



そんな危険な存在には、
生き物ならだれしも赤信号点滅すると思うんですよ。



(全然気づかないほどぼーっとしてるか)
点滅してる信号に気づいてても抑えきれないほどの衝動があるから、
自分でその衝動を抑えきれない人が、
死を覚悟で(それか自分の実力を過大評価して)たぶんブラックボックスを開けようとするんですよ。

明けたらいろいろ出てきますよ。

大爆発で自分が木っ端みじんになりそうだとか、
逆にブラックホールに吸い込まれて自分がどこかへ消えてしまいそうだとか、
とにかく死が近づく。



わたしはそういうことを考えてみて、
やっぱり男性の、衝動に身をまかせる単純さ(愚かさ)は尊敬に値すると思いました。
それがたぶん、男性と女性で一番違うところだという気がします。

「飛んで火に入る夏の虫」というか 笑

未知の存在かつ自分の手に負えないと知ってて(知る前の人もいるでしょう)、
よく突撃しようと思うな。

ミステリアス…とか、
そんな素敵な言葉で表せるような状況じゃないぞ?
「得体の知れない脅威」だよ。


わたし絶対ムリだもん。

馬鹿じゃないと絶対できないもん、それ。
めんどくさすぎて。怖すぎて。



今パートナーいる女性の方、
自分のめんどくささがきっちり分かってる人なら、
相手に対して「あんたほんとによく来たね。馬鹿だね。すごいね。」って
思いませんか?笑

感謝と愛情と尊敬が同時に感じられませんか?笑


わたしはすっごい思いましたよ。
これでうまいこと世界は成り立ってるんだな、って思いましたよ。


だから、男性が女性に対して深入りしようとして、
本能的に怖れを感じて逃げ腰になったり、
もっと楽な方向に気をそらそうとトライするのはよくわかる気がします。

そりゃこえーよ。

死ぬもんな。笑

おまえ殺されちゃうもんな。笑


相手(女性側)、意識的じゃなくて、
無意識に殺そうとするもんな。
食っちゃおうとするもんな。
自分のコントロールの仕方全然わかってないもんな。

そんな相手のぐちゃぐちゃに巻き込まれてるうちに、自分のことすらわかんなくなっちゃうもんな。怖いよな。


だから、
そもそもシンプルな作りの男性は、
自分のコントロールできる範囲内に逃げ戻って、
しかも「逃げた」ことすら理性で言いつくろってなかったことにしようとしたとしても、
本当に当然の反応だと思うのね。

一人でいれば、そんな恐ろしい体験せずに済むのだもの。

一人穴ぐらの中で「俺は強い、大丈夫だ」って言ってられる。



でも、この世界は素晴らしい。

ちゃんと、いつか、「俺は本当に強くなった」「今の俺ならできる」って、
正面から腕試しをするべく、現場に戻ってくる。
愚かしくも愛おしいではないか。


言ってるだけじゃなくて証明したいよね。
強さ、実感したいよね。


少年ジャンプを読んでる頃から、
強くなりたくてなりたくてたまらないんだもんね。笑

ラスボス、いつかいきたいよね。

難敵であればあるだけ挑み甲斐があるよね。


相手が得体の知れないブラックボックスなら、
どうやっても攻略できないくらい強い相手なら、
もう死ぬまで挑み続けるほかないよ。
相手にとって不足なし。



がんばれよ。


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ruはそんなめんどくさいこと絶対お断りだけど、
そういうのに命を懸けたい人もちゃんといるんだろうなって、
うまいことできてるなって思った。




あ、ちなみにこれは、ruが男女の本質について思う話です。
お互い偽物で仮面被って逃げてる場合は、
こういう展開にはならないと思うので、ご了承を。




2017年2月25日土曜日

あばよベスコンプレックス


最近、また少しだけ変化した気がする。
思考や感情(罪悪感)を挟まずに動けるようになってきてる。


なぜその変化が生まれたかというと、

前よりも、
「人なんかどうでもいー」と思ってる。笑

そして、
「自分なんてどうせクソ」とも。笑

「どう必死に頑張ってもどうせ成長もなく今のまんまの自分のまんま死ぬし、優しくも愛に溢れた人にも光に包まれた人にもなれんし、葬式の後『ruってさぁ、スピとか学んで聖人目指してたんだろうけど最後まで欲深の俗人だったよね。結果出てないし、超可哀想なんだけど、うけるー』『しっ、どこで聞いてるかわかんないよ。たたられるよ笑』とか言われるんだ。わたしなんぞその程度なんだ終わった」
と勝手に絶望し、楽になっちゃったのです。笑



ちょうど一週間前、
わたしは鬱々とした気分でした。
↑ちょうどこのときです。
鬱々っていうか、文中でも書いたけど、わくわくの糸口が見つからないなという気分。
迷子になってるみたいな感じでしたね。


なんだけど、たぶん結局それで落ち込んだのが良くって、
「価値があることを証明したい自分」や、
「誰かに認めてほしい自分」がいることを認めて、
「もういいや別に認めらんなくても」って感じが強くなったら、

もう、強がんのも正義ぶるのもいい人ぶるのも優しい人ぶるのも気が利く人ぶるのも出来る人ぶるのもやーめた、エゴエゴの自分のまんまで結果地獄行きでも仕方ないと思いまーす、みたいになっちゃった。笑


頑張ってみんなに認められて、
いったいあんたはどこに行こうとしていたんだい?って感じなんだけど、
(そしてその感覚はまだしみついているんだけどね)
今は、「もういいやこのまんまで」「もういいやここで」です。
どこにも行く場所なんかないじゃん、です。



Twitterで書いたけど、
わたし若草物語の三女ベスみたいになりたかったのね。
なぜなら、自分がベスとは程遠い性格の持ち主だからです。
ベスは、弱い人や動物に優しくて、いつでも人のことばかり考えてて、
自分のことは自然とあとまわしにするような、本当に心が綺麗な子なのね。
天使か聖母のような。

わたしまじでそれとは違う(言いたくないが逆)からさあ、
ほんっとにベスコンプレックス、もしくはベスの呪い。笑

ベスになりたくてなりたくてたまりません!みたいな。
素質全然ないのに、ないゆえに、もう努力と力技でどうにかベスになろうとしたわけですよ。自分でも気づかないほど、ベスならばどうする?が基準ですよ。わたしの憧れの人はベスだったわけですよ。




まあ無理でしたけどね。



もっと早く気づけ。



ベスが素晴らしい天使ゆえに、
エゴがすごいruには大変なプレッシャーです。
型が全然ちがうので。
全然はまりません。スムーズじゃないです。


ほんっとに、もっと早く気づいてもよさそうなもんでしたが、
最近髪乾かしてるときに「若草物語」って急に浮かんできて、
あっ!てなりました。
わたしベスになりたかったんだったぁ~って。

てゆーか
絶対無理 笑
ってすぐ笑けてきて、

エゴエゴruが解放されるときがやってきました。
自由のときです。



ベスを目指してないruがほんとのruです。
ここまでベスに執着したところからもわかりますが、わたしはベスの逆ベクトルをゆく人間です。
執着もエゴもすごいし、まあ妬みや恨みは感じにくいけども、
そもそもあまり他人に関心がなくてかなりドライで冷たく優しさも少ないです。
ナチュラルに超わがままでまず自分!て感じです。


よくもまあ光だけになろうと思えたものです。笑
自分に対しての誤解がかなり大きかったんでしょうね。
思い込みの力ってすごい。


まあそういう自分を認めてしまうと、
「罪悪感」が湧いてきたときにも、
「ハァ?どの口が言う?」ってベスぶりっこruを蹴り飛ばせるのです。


罪悪感ゆえに自分が望まないこと(たとえば犯罪)をしてしまう人もいるでしょうが、
「自分はダメ人間」と認めてしまえば、逆説的ですが自分ごときを裁く必要ないんです。だってダメなんだから、保身のために嘘ついても普通だし簡単にむかつく器の小ささも当然じゃないですか。そしたら罪悪感、あんま感じる機会ないですよね。


だから、結構自由に行動できるようになるんですね。
(冒頭の変化に繋がる)


ダメ人間なのはお墨付きなんですよ。
どーせ、これからどんだけ頑張ったり修行(笑)しても、
今いる自分から成長とかしないわけですよ。
がっかりです。


じゃあもう頑張りませんよ。

意味ないもん。



やめたやめたやめたやってられるか馬鹿らしい!ってなりますよね?



………


なんかスピでも、
「ダメな自分を愛しましょう」とか「受け容れましょう」とか「認めましょう」とか言うやん!?
あれ、かなりかっこいい、綺麗な感じで言うやん!?

はーもう何それって感じ。

ruの場合さぁ、
「ベスとか最初から無理でしたー」って結論になっただけですけど。


「あなたはあなたのまんま完璧です」は、
「あなたはエゴっててダメなところ満載ですけど、まあ仕方ないですよ。諦めましょう。いいじゃないですかダメでも。それがあ・な・た♥まあそんなあなたなりに生きていきましょうよ」
って、キラキラしてない、あきらめ感のある気づきを得ましたけど!?


まあ、別にいいけどね。
自分にそんな期待してないし。
ある意味であきらめたんで、「人に嫌われてもまあ仕方ないな」って素直に思える部分増しましたね。だってこんな自分ですもの。
仕方ないんす。



だからベスぶりっ子ruとは永遠におさらばして、
オリジナルのruに戻ります。

オリジナルのほうは、かなり自分のことしか考えてないので、
もうまじでおまえやられるぞ!と思うんですけど、
結局ruはそういう人間として生まれてきてるので、そのまま生きて天寿を全うします。


きっとオリジナルがわたしを引きずり回すように導いてくれることと思います。





2017年2月21日火曜日

罪悪感は世界一意味ない



罪悪感って、世界一役に立たない感情だと思う。


いや、役に立つとか立たないとかないよ。
この世界に善悪もないなら、価値のある感情もないんですけど、

もっと卑俗な我々人間レベルの話ですよ。笑


ほっとしたり、
身体が緩んだり、
思考が止まって自分の中の葛藤がなくなったり、
体内から湧き出してきた情熱に身をゆだねていたり、
理屈や根拠なく自分が好きで認めていたり、
恍惚としていたり、

そういう状態を望む状態だとすると(わたしが望んでるのはそういう状態)、

罪悪感っつーのは、
それの真逆であり、究極だと思うわけです。



やっちまった、
わたしってダメ、
わたしのせい、
そんな悪いわたしはわたしが責任を持って罰します。
決して逃がしたりしません。
幸せな気分になることなど許しません。
わたしはわたしが犯した罪の重さをきちんと理解しているから。
だから追求の手をゆるめたりせず、わたしをどこまでも追いかけ痛めつけてみせます。


これが、罪悪感を感じている状態です。


自分からは逃げられないので、
永遠にほっとできなさそうですよね。笑



わたしも、ずっと周りの顔色を伺い、
望むことを口に出せず、
「良い」とされていることに追従し、
追従できないときやしたくないと感じるときはばりばり罪悪感を感じてきた人間なので、
罪悪感のからくりのいやらしさがよくわかります。



いやらしさとは何か。



だから、あなたはわたしを責めないで。

これが、
上の文に続いてるんですね。


わたしは自分の罪の重さを自覚しているの。
悪いことをしたと分かっている。
わたしはいい人間だから、ちゃんと常識もあるから、言われずともちゃんと苦しんでいる。
だから、あなたはわたしを責めないで。


ホントはこう言いたい。笑




わたしは、自分はそれなりにいい人間だと思って生きてきました。笑
(今もその名残があります(^^ゞ)

だから、すごくわがままだったり、
他人を傷つけるようなことを言ったりしたりする人に対し、
「信じられない。人に悪いと思わないのかな。わたしにはあんなことできないわ(なぜなら常識があるいい人間だから)」
と思ってました。ジャッジマン♪

大したことない(ように私には見える)仕事でお金をもらったり、
バイキングで食べきれないほどの食べ物をよそい結局捨てたり、
水を流しっぱなしにしたり、
もともとあった約束をキャンセルしてもっとやりたいことをやったりすること、

それらは全部してはならないことで、
もしやってしまったなら罪の意識を持ちました。

罪の意識を感じなければならない、と思ってました。

罪の意識を感じることで、何かから許してもらおうとしてました。



だから、
あまり罪の意識を感じてなさそうな人が、
「あ、あのときはごめんねっ☆」って軽く謝って流してきたり、
そもそも忘れてそうなときなんかは、

まじでありえないわ普通もっと悪いと思うだろ笑ってられんだろどうやって謝ろうとかもっと悩んで罪の意識感じろよ自分責めろよ

って、超モヤってました 笑

(いやたぶん、周囲からしたら逆にわたしが自己中でマイペース人間に見えると思うけど、それでも空気読んではこんなこと思うような人間でした)


わたしに迷惑かけたんだから、
もっと苦しめよ

わたしがおまえを許してないんだから勝手に自分を許してんじゃねえよ

って思ってた。
(言語化するとそういう感覚ってことであって、はっきりそう認識できるほど自分を見つめる覚悟も当時はなかったですよ)




でも実際のところ、
誰かが罪悪感感じてることで生じる利益ってないわけですよ。


ふつーに分かるよね?

何かミス(と解釈されること)が起きたら、単純に実際的な対応が重要なのであって、
誰かが罪の意識を感じて苦しみ続けることが、
別の誰かを幸せな方向へ押し出すことはありえないじゃん。


何かが起きました
→はい、じゃあどうする?

ってだけですよね。



ほんっとに何一つのメリットもない感情なんだよ、罪悪感って。
無根拠だし、役立たずなの。

自分で自分を責めるから、それで十分だから、
あなたたちはわたしを責めるのはやめてね。って言いたいだけなの。


しかもそういう人って、
自分で自分責めたとしてもなんの意味もないのに、
他人にまでそれを押し売りしようとするの。

他人が罪を背負わず呑気に幸せに生きてるのが許せないの。


残念すぎて、
逆に超おもしろくない?




わたしが大学時代共依存にはまっていたとき、
大学のカウンセリング室を訪ねたことがあります。

わたしは性被害に遭い、
めっちゃトラウマ症状があって、
夜は寝れんし自分の家のドアさえ怖くて開けることができなくて、
とにかく日常生活に支障をきたしまくっている時期でした。

そんなとき付き合っていた彼は、
わたしがより不安定になることばかりを繰り返し、
わたしは彼の言動にいちいち反応して振り回され、もうありえないくらいしんどかった。(これが類友の法則。おそろしや。)

友達には「そいつありえないよやめなよ」としょっちゅう言われていたけど、
わたしは離れなかった。

彼はことあるごとに、わたしに「裏切者」「俺を捨てるの?」と言い、
友達と出かけるタイミングで「今出かけるなら俺死ぬから」と言い連絡を絶ち、
わたしは何度も彼に「それは違う」という旨の長文メールを送った。

彼はいつでも、前に自分がやったことなどなかったかのようにして、
謝ることもすべて省いて、わたしに会いに来た。


カウンセラーの人に、
「彼のどこが好きなの」と聞かれ、わたしは答えられず、
「なぜ付き合いをやめないの?」と聞かれ、
とっさに自分の心に浮かんできたのが「彼が可哀想だから」。

思ってはいけない言葉だった。
蓋をして隠して抑圧して抑圧して気づかないようにしていた。
でも出てきた言葉は取り消せない。
もう本音が分かってしまった。

好きだから、愛してるから、ではない。

わたしは彼が可哀想だから彼の傍にいるのだ。


口に出せずに、もう泣いた。


わたしは裏切り者ではないと、
彼が過去に感じてきた感情を味あわせるような人間ではないと、
どんな言葉で罵られて尊厳を傷つけられ無責任な行動をされても、
それでも彼を見捨てるようなことはしない人間だと証明しなければ。

わたしは彼を尊敬せず、同情していた。

可哀想な彼。
そんな彼を救う、優しくて忍耐強く愛情深いわたし。


彼といたいからではなく、
彼から離れたいと思ってしまう自分を否定するために一緒にいる。

それが真実でした。


同時に、わたしこそめちゃくちゃ可哀想なのに、
なんで彼の面倒を見ないといけないと思っているんだろう、と冷静になった。
わたし何様?
そして、罪悪感のパワーってスゲー!と思った。

結局、わたしの中にたくさんの「こうあらねば」があり、
わたしは「いい人間」なのだから、
「いい人間」らしくないことはしてはいけないと自分をがんじがらめにしていた。



わたしは、
「彼を好きなのではなく同情しているだけだ」と気づいた後も、
そんな自分に罪悪感を感じ、
「ごめんなさい、こんなことを感じてしまってごめんなさい。
(罪の意識を感じ続けるから許して)」
と、彼からやっぱり離れなかった。

わたしは罪悪感を捨てる用意ができておらず、
自分のために行動する練習もまだまだ足らず、
自分の自分勝手さや冷たさ薄情さ(と感じられる部分)を認めるだけのニュートラルな視野もなかった。


今のわたしなら、
「つーか、ぼろぼろの人間をさらにぼろぼろにする男なんかクソだよ。勝手にどうにでもなってください」って思うけど、
まあそんな風に思える状態なら、
たぶん彼と出会ってないし、そもそも被害にもあってない気もするので、
考えるだけ無駄ですね。笑



だからね、思ったのは、
罪悪感感じやすい人っていうのは、
自己評価が低いゆえにありのままの自分を見る事ができず、
反動でめっちゃ「いい人」だと自分を過大評価してて、
そうじゃない自分は受け入れられないから自分を裁いて安心し、
他人に対してもジャッジマンってこと。

謙虚とはほど遠いんだってこと。

トリッキー。笑


謙虚ってことは、
「自分ってあんま大したことないよな」って普通に思ってるってことだから、
ダメな自分がいても「まあ自分なんてそんなもんよな」って思えるんじゃない?

だから、傲慢な人ほど罪悪感を感じるのかな。





長い文章だし、
きつい言葉が並んでるし、
落としどころがわかんなくて今正直困惑しているんだけど、笑

最後に。


犯罪を犯した人に対して、
「あいつがのうのうと幸せに生きてるなんて許せない」
と言う人がいる。
ニュースやテレビドラマ映画などで聞いたことありますよね?


したことを反省して前向きに生きてほしい、ではなくて、

たとえば被害者やその遺族が受けた苦しみや失望や痛みと同じように、
永遠に苦しみ続け自分を責め続けろ、
という発想。


それもたぶん今まで話してきたことと同じなんだ。
極端な例に思われるかもしれないけど、
「罪悪感」が利用される以上、からくりも目的も同じに見える。


罪悪感や、
個人が苦しむことからは、
何一つ生産的な結果は生まれない。

それが分かっていても、誰かに「罪悪感」を望むのは、
その人も自分を責め続けているからなんだと思う。


「あいつを許し」たら、ダメだ。

この怒りや憎しみを手放すなんて、
わたしだけが自由になるなんて、
忘れてしまうなんて、許されるはずがない。

忘れたら、被害にあったあの子が可哀想だ。

わたしはその瞬間、何も気づかず呑気に幸せだった。
防げなくてごめんなさい、力不足でごめんなさい。
わたしには何もできなかった、ごめんなさい。

何もできなくてごめんなさい。

わたしがこの問題を忘れて楽になるのは罪だ。

楽になりたい、
いや楽になりたいなんて思うこと自体が罪だ。


そうやって、
自分を何重にも責め続けている人は多いと思う。


誰かのために、
自分を苦しめ続けることで「いい人間」である自分を証明する。
苦しむことで安心できるから。


それって、意味あるのかな。
何かを生み出すのかな。


ほんとはただ幸せになりたいはずなのに。
楽に、力をぬいて、安心して、優しい気持ちでいたいのに。
いや私だけ幸せになりたいなんて、許されるはずがない。

……。ね。


うーん、結論。
やっぱり「罪悪感」は意味ない。
とりあえず、ほっとしたいなら、自由を望むなら、「罪悪感」はいらないよ。





2017年2月20日月曜日

春色ニットget♥ 思考をはさまず買える?




今日は、
春っぽい、綺麗な色のニットを二着買ったよ。

全然買い物するつもりじゃなかったんだけどね。


本来の目的はミュゼでの脱毛で、
ハイジニーナ(IVO)のコースを申し込むこと。
(他にもしたい部位はあるのに、なぜかハイジニーナ。なぜにハイジニーナ。我ながら優先順位がわからない。笑)
さくっと申し込んで施術受けたよ。


で、その帰りに、ランチ&おやつとショッピング~
って、楽しかった♥笑


実は、軽く食べていこうと寄ったサブウェイで、
happyちゃんのblogを見て、
急いでインスタのアプリをDL!笑
スマホにイヤホンをつなぎ、動画に集中。
周囲を気にせずニヤニヤして怪しい人と化していました。
(ときどき斜め向かいの若い男性と目が合い気まずかった)

今日は、ラブハちゃんとhappyちゃんの韓国でのトークショーを、
インスタlive発信してくれてたんだよね。

すごく面白かった。
笑ったし感動したし。
泣いてる人の気持ちもわかった。
あんなふうに存在認めてもらったら、そらぁ安心して泣けるわ!
笑い飛ばして全肯定だよ!
めっちゃクリアで軽い人は、何を言おうと言うまいと、存在だけで人を解放するんだなって目の当たりにした感じ。あれはすごい。

途中で充電なくなって最後まで観れなかったのは残念だけど、
とっても軽くなったし元気をもらった。
自然にありがとうって言いたくなりました。
本当にありがとうございました。

逆に、自分がまだまだ重たくて(ていうか枠の中)、
ジャッジしてるってこともふつーにわかりました 笑



でも元気になった状態で、
お洋服がいっぱいある場所を歩くと、
「いいなぁ♥」と思えるお洋服がいっぱい目につくのはナゼなのだろう…

ラブハちゃんとhappyちゃんもいっぱい話してくれてたけど、
わたしもお金のブロック(打算、心配したがりの癖、貧乏思考)があるので、
それをとっぱらうべく、
ほしいと思ったら思考を挟まずお金を使う練習もしてるので、
これもトレーニング!ということにする。笑


「あったら便利そう」「安いよ」「色はちょっと妥協すればあとはばっちり」とかは、全無視する。

「さっきもお金使ったのに、また?」「これ高いよ」「旅行も行くのに服も買うの?」とかも全無視。

「ほしい」「好き」「連れて帰りたい」だけを聴く。

思考はさまない☆
って決めたら、買っちゃうよね。


ピンクのやつは、
色にまず惹かれて、素材見たらコットン+カシミヤで肌に気持ちよくて、
試着したら、袖のデザインが好みじゃなくて気になったんだけど…
わたしどうせニットはいつも腕まくりするし、
腕まくったらちょうどいい好きな膨らみ方だったから、
袖に関しては大目に見ようと思って。笑
もしくはびろんと伸ばしてぶりっこ的に着る 笑



イエローのやつは、
どっちかっていうとPC春っぽい、ひよこっぽい黄色なの。
ちょっと温かみのある黄色。
わたしはPC夏なんだけど好きだなぁって思って、
試着したらリブの具合もいいし首元のカッティングも綺麗で、
Vネックもリブを伸ばして横広にできるし、
ほどよくフィット、でも繊細すぎない感じがわたしにちょうどいいわぁと。笑
着ててわたしが喜んでいる感じがしたので決めた。


どっちも、レジでお会計するときは、
ほくほくした気持ちでいられた。
好きなもの買うって、こういう気持ちだよねーって思った。
自分で決めたんだー(*´▽`*)って気持ち100%で。


数年前までは、
欲しくもないものに結構な額を費やし、
お会計するときは「なくなる」っていう気持ちと罪悪感、
それから家に帰って「なんか違う」っていう違和感と後悔、
がわたしのショッピングにはつきものだったのですよ。

そのあとの処分までのモヤモヤも。


ありゃもったいなかったな笑
思考もお金も。
いろいろ考えて悩んでる間に、変なエネルギー出しまくってただろうな笑


まあだからこそ、
好きなものを自分で選んでお金を払う、
手に入ったことを喜ぶ、
っていうことをできている嬉しさを今しみじみ感じられるわけだけどね(*'ω'*)


そして、服を買うのは楽しい。

2017春を前に、
綺麗な、優しい、柔らかい肌触りのクローゼットへと変化中。





※happyちゃんとラブハちゃんのblogはおすすめです。
すごい軽くなる。
このblog右サイドのお気に入りブログにもリンク貼ってあるし、
お名前で検索してもすぐヒットすると思います。
ご存じなかった方は見てみてね♪



2017年2月17日金曜日

「愛と光」を目指さない


「愛と光」といえば、
スピリチュアル界では二大金字塔的ワード。笑


それを説く人はたくさんいるし、
なんとなく気持ちいい気もする。

でも正直、すべては一つ、とか一つになりましょう、とか言われても、
「え…」という感じで、ちょっと引き気味なわたしがいました。
だって「一つ」という実感もないし、
そもそもみんなで集まって熱く団結するとかは苦手なタチなので(;^_^A



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神との談話」というblogを、
わたしは愛読してました。

メモルさんという女性の、数年間の意識の変遷が見てとれるのですが、
最初のほうはすごく人間ぽくて感情や思考回路も理解しやすいのですが、
後半(2016年くらい~)はすごく難解に感じられました。

メモルさんは、過去の自分はすべてをさかさまに解釈していた、とおっしゃっていて、

現在はblogのほうは閉店ガラガラーされて、
twitterメインでの発信になっていますが、
今でも興味深く読ませてもらっています。

twitter メモルさんのページ


最近では、

「愛はクソだ」とか、
「光と闇は同じもの」という言葉にわたしはとても惹かれて、
惹かれるというか「そうそうそう」と思ったんですね。
(彼女は「美」についても同じことを言っていますが)


というのは、
「愛」や「光」を説く人のblogや本を読んでいると、
なんだか高揚してはくるんだけど、
頭に血が上る感覚というのも同時にあって、
それがいったい何なのかココロのどこかでずっと違和感があったのです。

これ、わたしにとって本当に望む方向に進んでいるんだろうか。
「本来のわたし」の在り方として正しいんだろうか。
そんな違和感です。



あと愛や光を目指すことも「自分」への憎しみと同じだと。
「良くなろう」「進化・変容しよう」という意識それ自体が、
「自分」への攻撃と同じだと。

言葉は違うかもしれませんが、そういうことを感じたとおっしゃっていて、
もちろんわたしはメモルさんの意図することを100%理解したと言えるわけはないんですが、なんとなくしっくりくるのです。

「本当の自分」=「地球・自然」など、
頭では全然理解できていない部分も多いのですが、
なぜか読んでいて落ち着きます。



「愛はクソ」発言についてですが、
わたしがそれについてすごく共感したのは、
やっぱりJとのかかわり合いが大きく影響していると思います。

「愛って何」って、固定概念がかなりグラグラにされたから。

当時のわたしは感情を大きく揺さぶられ、
わたしにとって特別な縁のある相手なのではないかと思ってスピリチュアルなblogを読んだりしていましたが、
今はもうよくわかりません。


ただ、やっぱり彼は特別です。

ロマンチックな話をするつもりはありません。

ただ、わたしはもともと「人と人は分かり合えない」を前提に生きています。

「分かり合えない」とは、
「私の言う赤」と「あなたの言う赤」が「同じ赤」だとは永遠に確かめられない、というレベルでの「分かり合えない」です。
人はそれぞれの世界を生きており、交わっているように見えて交わっていない。

もっと俗な意味で「分かり合えない」人も多々いますが、
すごく近いと思う相手であっても「究極には分かり合えない」と思ってきました。
淋しいけど。
みんな違うから。
いいでも悪いでもなく、みんなそれぞれオリジナルだからね、という意味です。



ですが、Jに関しては違った。


言葉も違うし国籍も性別も違う。
性格も全然違うのに、「わたしと同じ感覚の持ち主だ」と感じました。

近い感性の持ち主、というよりは、
「わたしは彼が感じていることをかなり正確に理解している」し、
「彼はわたしが今何を言いたいのか言わなくても分かっている」と感じました。

それが事実なのか、
相手も同様に感じていたのかは分かりませんし、
上の理由によっても確認できません。

それでも、

なんの引っかかりもなかった。
情熱もなかった。
激しい感情自体が何一つ湧いてこなかった。


彼はわたしの中で綺麗な空気や水と同じでした。

ただただ「この人の傍にいるのが自然」と感じ、
逆に言葉で何かを伝えることができなかった。
I love youともし言ったなら、逆に今感じていることを貶めるような気がした。



そのとき、今わたしが感じているこれは「愛」ではないと思いました。


「愛」という言葉が、
多くの場合はギラギラした欲望のエネルギーをまとっているように感じられました。
強すぎた。
素朴ではない、人工的なにおいを感じました。


「光」も同じく。
ギラギラしているというか、
不自然さや嘘、虚飾があるような気がしました。



「愛」⇔「憎しみ・無関心」(とか何かネガティブな感情)
「光」⇔「闇」
「善」⇔「悪」
など二元性を前提にしているので、
逆のものを巻き込んで己に含んでいるのは当然ですね。




といっても、
わたしも「顛倒」しているでしょうし、


【顛倒(てんどう)】とは、物事をさかさまに見ていること。
つまり、真の仏の知恵とは反対の考え方。


【四顛倒(してんどう)】とは、
私達人間が抱く【真実から180度違う四つの妄念】を指す。


● 無常を常
● を楽
● 無我】を我
● 不浄】を浄


※ http://whitelotus66.jugem.jp/?eid=126
  ↑こちらのblogから引用させていただきました。


メモルさんを正解とするわけでももちろんありませんが、
「愛と光」を目指すのがゴールだというスピリチュアルの一般的な思考の枠を取り払う可能性を見せてくれたことに感謝しています。


それで…

逆に、「善くなろう」「成長しよう」「変化しよう」という考えを手放すのが、
意外にとても難しいことに気づきました。
ふと気づくと、「自分」を否定し、変わろうとしてしまっている。

いつでも焦っていて、
何かを取り込んで安心しようとしている自分がいる。

その根本には、
「ダメだダメだダメだ!こんな自分なんてダメだ!」
という強い自己否定があります。
確かに自分への攻撃ですね。
それ以外の何物でもない。


たぶん、そのままの自分で在ることを見つけた人は、
もう「愛」や「光」を目指すこともないのかな、という気がします。
だからといってもう既に「愛」や「光」だからだよ☆と言っているわけでもなく、
ただ二元性ではない世界でくつろいでいるだけだから、という。

そしてそれが「本当の自分」であり、「生命」の状態なんだろうと思います。

(思います、気がします、だけでごめんなさい。
でもこの分野では私にとってまだ全部が「なんとなく」なので…)



――――――---------------------
♥♥♥

メモルさんのtwitterやblogで知ることができた、
もののケのしおり さんのtwitter も、フォローしてます。

小学生の女の子(か、そのお母さん)のtweetですが、
数学や物理、化学に詳しい方はご覧になってみてください。
わたしは全然わかりませんが、
分からないなりに、音声を聴いて想像したりしてます。
面白いです。




エイブラハムは「あなたは自分自身が誰かにとって価値があることを証明するために地球上にいるのではない」と言う



最近のわたしの特徴。


チョコレートとナンバーズ(海外ドラマ)漬け。
毎日TSUTAYAに通い、
チョコレートは板チョコ2枚分くらいの量は食べてる。
(ガーナとかアルフォートとか、ドラッグストアチョコメインで)


そういえば、大学四年で卒論に夢中だったときも、
一日一枚のチョコをかじりながらご飯も食べずに生活してたなぁ。

チョコレートLOVEです。

バレンタインも、
誰にもあげてないですが、
(職場でのカンパにはお金を出しましたが)
自分用にはたくさん買ってたくさん食べています。


―――――――――---------------------


きのう今日と、なんとなくすっきりしない、
もやっとした気分でした。
きっかけになったかなってことはあるにはあったのですが、
それはわたしの中にあったモヤモヤに気づかせてくれたきっかけにすぎません。

強い感情が湧いてくるわけではないのですが、
今の瞬間と次の瞬間をつなぐものが感じられないような感覚でした。
平易に言うと、わくわくしない。
内的なインスピレーションと繋がれない!っていう焦りがありました。


こんなときは…

いい気分になれることをする、
いい気分になれることを考える、その側面にフォーカスする、
じたばたしないでそのフィーリングを感じる、身をゆだねる、
そもそもモヤモヤしてるってことは何か間違った信念を信じてるってことだからそれを探ってみる、

などなど、

いろいろトライしてみながら、
「もしかしたらトライしてること自体が抵抗であり思考なのかも?」と思いもしながら、

結局は、
「気持ち悪いよぉ~」と、夕食後の皿洗いもせず、母親への多少の罪悪感もありながら自分の部屋に入り、布団の中でぼーっとするに落ち着きました。
そして、布団の中が自分の体温で暖かくなってくるのを心地よく感じながら、
眠りに落ちました。(21:30頃)


たぶん何かの夢を見てたかもしれない。
目がさめると、モヤっと感がとれてました。
携帯を見ると、夜の11:11
「寝てよかった~」と思いました 笑

そして元気な気持ちで、すれ違った父にハグし、
食器洗いをしなかったかわりではないですが、夜から洗濯物を干しました。(室内)



今回のモヤっと期間にわたしが気づいたのは、
わたしはまだまだ自分を認められていなくて、
何かをして自分の価値を証明しなきゃと思っていたということです。
(今朝、そう感じながら目覚めました 笑)

ていうか、「証明しなきゃ」の感覚、めっちゃ深いところに頑固にしみついてました!笑
だから、じんわりと「そうやんなぁ~」って目覚めた。←なぜか関西弁

その焦りが根本にあって行動をしようとするから(それは不純な下心だから)、
いまいちしっくりこない結果を生み出す。



あとは、
人からどう見られるかを気にしています。

自分が不安定なときは誰でもそうだと思いますが、
人の何気ない言動をネガティブに取りがちですよね。
(ただ雨が降っただけでも、わたしは運がなくて不幸とか思いたきゃ思えるし)

大した意味のない事柄に大げさな意味をつけて、
自分を否定されたような気持ちになって落ち込んだり。

わたしの場合は、特に、理解されていないと感じたとき、
そうなることが多いです。
からの→ 「自分が間違っているのかも」の思考


そういう自分を俯瞰で見て、
「うーんやっぱり自分を保持するために外側に依存してるなぁ」
ってしみじみ感じました。
これは自己否定じゃなくて、やっぱりなぁって感じでした。

自信がないんだなぁ、って思いました。


じゃあどうすればいいの、って、
結局自信があろうとなかろうと、
自分の内側(身体感覚)に耳をすませて、
少しでも身体がすすむほうに実際に行動する、ってことしかないと思います。


じゃあ今までと一緒じゃん、ってことなんですが、
「ああ自分は不安なんだなぁ」
「まだまだ自分の価値を自分で認められてないんだなぁ」
ということを自覚して、
強がらないこと が大事なのかもと思いました。

自分の現時点での実力を過大評価するから焦るのであって、
まだまだ弱いなーとちゃんと見てあげれば、
まったく同じモヤり方は避けられるはず。
同じところで引っかからないなら、わたし的にはOKです。クリアとします。

それが得られるなら、わたしに失敗はありません。笑
だって経験値上がってるもんね。


――――――――――――---------------------


上のことと関係するんですが、

わたしは最近、「内側にフォーカスする」「外側を自分の意識の反映とする」
ことを意識づけることをモットーに日々を過ごしていて、
ときどき意識的に「この世界がぜんぶわたしの脳内で作られた映像であり感覚であるのなら」と思いながら世界を観ようとしています。

そうすると、すべてがバラバラに壊れていくような感じがするんです。

一瞬だけしかその感覚を味わうことはできていませんが、
ちょっと怖い。
記憶や知識やあらゆるものを捨て去る、というのは、
この感覚に類するものかもしれないなと思います。(勘違いかもしれないけど)

そしてこの怖さが、わたしのエゴでありこの世界をつなぎとめているものかもしれません。





2017年2月14日火曜日

嘘つきのエネルギー



人に対して気持ち悪いと思うことがある。


前はとてもじゃないけど、
人に対して「気持ち悪い」なんて言葉、
絶対使っちゃだめだと思ってた。

「嫌い」も言えなかった。

言うことを自分にOKしてなかった。

だから、わたしには「嫌い」な人はいなかった。


わたしには、「ちょっと苦手」な人がいた。
「いい人なんだと思うけど、わたしとはちょっと合わないな」って人が。


それも、半分は本当だけど、
半分は嘘。

いやもっとたくさんの割合で嘘かも。



今のわたしは、
「うわっ気持ち悪っ」って思う瞬間が結構ある。人に対して。

そう感じること自体は、自分にもうだいぶ許した。
口に出しては言わないけどね。
(言う必要ないから、と思ってるけどほんとは勇気がないからかも)


何が気持ち悪いかっていうと、
その人たちが自分に嘘ついてるから。

嘘ついてる、ってその人たちは思ってないかもしれないけど、
わたしから見ると「嘘だらけじゃん」て感じるからです。

そうすると超違和感。


ぞぞぞ、って感じです。


今日も思ったよ。


「わたし、今食べたいものを食べたいだけ食べようと思ってるんだよね。
でも、もうお腹いっぱい、もう食べたくないってなってるのに、止められなくて惰性で食べちゃうときあるんだよね。そんなとき、あ、失敗したなって思う」
ってわたしが言った。

その人は、
「でも、食べたいときとかバイオリズムってあるからね(以下略)」
って言った。


その人は、いつもフォローするようなことを言ってくれる。


でもわたしはフォローしてほしいわけじゃない。


だって、わたしは別に自分を責めたりしてるわけじゃなくて、
わたしは挑戦してることがあるけど失敗もする、ってただ報告しただけだもん。


しかも、
それは毎回なの。

いつもいっつもフォローしてくれるの。

別にしてほしくないのに。





わたしはいい加減理解した。


その人はわたしのためにフォローしてるわけじゃない。
優しいからとかそういうんじゃない。

ただ、クリアに見ることが怖いんだ。
淡々と見て明らめて、
自分の感じてることや望むことと照らし合わせて次の展開を選ぶこと、
それを避けようとしている。

だから、

わたしがわたしが単に現状報告をして、
それが「失敗」のようなことだったりすると、
それをネガティブな否定としてとらえるんだと思う。

そんで、「いやそういうこともあるって」みたいな、
「できなくても当然だよ、人間だもの」みたいなことを言うけど、

それはわたしへのフォローのようでいて、
自己防衛なのだ。


お願いだから世界をぼんやりとゆるく捉えて、
あなたをフォローしてるんだからあなたもわたしを攻撃しないで、
と彼女は言っているのだ。

無意識にわたしと取引しようとしている。
わたしの選択に干渉しようとしている。
暗にプレッシャーを与えようとしている。



彼女は、責任の所在をぼやかしておきたいのだ。

したいことも言わず、
他人が望むから、という体で、
他人に便乗して責任を分散させたうえで行動に移りたいのだ。


分かってるから、
わたしは意地悪になってしまう。


ほしいと言われたらいっぱいあげる。

でも、わたしからの「あげる」を待ってる人には何もあげたくない。
あげたら今度はわたしが嘘つきだ。



言葉がきついのは自覚がある。


でも、やっぱり全然好きになれないんだよな。


その人が嫌いなわけじゃない。
「嘘つき」は、その人のすべてじゃなくてただの習慣、その瞬間の態度だから。

だから、文章の冒頭で、
過去のわたしには「嫌い」な人がいなかったと書いたけど、
やっぱり今もいないんだ。

「嫌い」じゃない。

人に対して「気持ち悪」って感じる瞬間が増えて、
そんな人とはただ距離をとりたいだけ。

どっちが残酷かわかんないけど。




ねばねばしたエネルギーを感じるの。

今言った人のことを言ってるんじゃなくて、
自分に嘘をついている人全般の話ね。

追いすがるような悲痛な感じのときもあるし、
表面では笑顔でいい感じなのに実は嫉妬とかマウンティングされてるようなときもあるし、
こっちは否定してる気もないしそもそも興味もないのに「わたしを否定したな~」って恨みぶつけられるときもある。


これたぶんわたしが特別に敏感なんじゃなくて、
前はわたしも気のせいだと思ってたくらいなので、
すごくナチュラルなものなんだと思う。

わたしは触感で「うわ、こいつやたらぶつかってくるな」とか思うことが多いけど、
みんな個人個人でオリジナルの感じ方してると思うんですね。


それで、合う合わないとか好き嫌い決めてるんじゃないかな。


でね~何が言いたかったかな。
忘れたな笑


そうそう、嘘つきの話ね。笑


今言ったように、嘘つきの人は周りに違和感与えるし、
感覚としては「なんか気持ち悪い」。

言ってることは、なんか頭に入ってこない。
???
何が言いたいの?ってなる。
メッセージが届かないってことですね。

もちろん人の心動かしたりすることもないし、
そもそも本当の意味でのコミュニケート、通じ合うこともない。
だから孤独。
いや、周りに人いっぱいいるかもしんない。
でもみんな似たような人ばっかになる。だからみんな孤独。




それとは逆に、
自分に嘘ついてない人、クリアな人。

これもruのただのフィーリングの話になりますけど、
その人のblog読んだり動画見たり声聴いたりしてもそうだし、
まじかにいたらもっとそうだと思うけど、

傍にいると、視野が広がる感じがする。

身体が軽くなって、思考がシンプルになる。

身体の奥のほうがどきどき、キュイーンってテンション高くアクセル踏み込んだような感じになる。

全身のいらない淀みが流れて消えて、
頭は天へ足は地へ貫かれてエネルギーが通る。

生きてるなぁ~って感じてぴょんぴょん飛び跳ねたくなったり歌いたくなったり踊りたくなる。 ←これruだけ?笑


その人たちはなぜかくっきり存在感がある。
目立つ。
その空間から浮き出して見える。
思考が非常に合理的で、義理人情など人間的なことはあまり見られない。
際立ってシンプル。

人がその人の言葉を聞きたがり、よく届く。

でも強い。
クリアに見て、物事を浮彫にしてしまう。
だからぼやかしておきたい人は、その人が怖い。
怖れて隠れる。
嫌な相手として見る。
自分の弱さ(っていうか全体)をはっきり突きつけられたように感じてしまう相手。



こんな感じかなぁ。




わたしもそうなりたい。

類友の話はちゃんと理解してるよ。
だからこそ、気持ち悪さとは早くバイバイしたい。


以前とは違い、
今のわたしは、

今はエネルギーがクリアだ!!!って感じる人であれば、
何を言っても行動がいかに人間ルールを破ってても、
全然OKなんですよね。
むかつくことされても言われてもむかつけない 笑


気持ち悪くないだけで超OKっていうか、もう尊敬だし好き!!!

何を言っても言わなくても、
勝手に「好き!!!!」ってなるから面白いです。笑





2017年2月13日月曜日

「What makes you think I'm "Straight"?」 どうして私が『ストレート』だと思ったの?



数日前から、「レズビアン」というワードが頭から離れない。


だからちょっと考えてみた。

過去を思い出してみた。




わたしは、自分が女性であることに違和感を持ったことはないし、
女性として女性に恋心を抱いたこともありません。

ですが一度だけ、
「男なんてみんな死んでしまえ!ペ二★スがついてるやつは全員しね」という心境だったとき、
わずか1分ほどではありますが、
「もう、レズになっちゃおうかな」って思ったことがあります。


そのときすぐに連想したのが、Sex。

わたしは女性に対して欲望を感じることができるのだろうか。



想像しました。



わたし好みの美人が、裸で目の前にいます。


さ、触ってみよう…

えーっと、たとえば首筋にキス、
胸を優しく…
最終的には下半身にも手を……????








………



まっとけ!!!!!!!!!


無理!!!!!!!





想像の中のわたしはとっても困惑してました。



わたしは、
柔らかくていい匂いで複雑で繊細な相手に欲情することはない、
それがはっきり分かりました。

わたしは馬鹿で単純でごつごつして力が強いやつがやっぱり好きみたいでした。


だから1分で同性愛の可能性を諦めたのでした。



それに、


異性愛に挫折して同性に向かうなんて馬鹿か。
ただの逃げでしかない。

そんな下心で依存相手を探すなんて失礼にもほどがあるだろ、

って醒めた頭ではわかってたんですね。




だから、むかつくけど、
その時点では色々整理できてなかったけど、
わたしは結局男を好きになるしかないんだって諦めました。





そんなわたし、
付き合った人たちには必ずと言っていいほど、
「ruって、女の子と付き合った経験ないよね?」
って言われます。

たぶん「おまえバイだろ」って言いたいんだと思います。


いいえ、ストレートです。


そのことを、親しい女の子の友人に話したりすると、
「わかるー、なんかそう言われるとそれもアリそうに見えるもん」
てなことを言われます。


飲み会とかで、みんなの前で「キス~♪」って軽くちゅってしたことは、
そりゃあ2,3回あるけれど、
リアルなやつは皆無。


なのに、そう見えるっぽいです。


どっからそういうのって感じるわけ?におい?




一番最近別れた年上の彼氏には、
「ruさんのことが好きなんです!!って迫られたら、好きじゃなくても受け入れちゃいそうだもんおまえ」
って言われて、
はぁ、なるほどって思いました。

性癖って、コントじゃん?
これの、その当時のわたしのかなり重い感情やテンションに「合わせられる」ような、
経験値と安定感のあった彼氏 のことね♪

つまり、幸か不幸かそういう機会がなかったってだけかもしれません。汗


相手が男か女かに関わらず、押しに弱いんです。


このブログ長らく読んでくださってる方なら、
なんとなくおわかりかと思うのですが、

中途半端に気使って優しくして、
最終的には、そんなつもりじゃなかったごめん、っていうKUSOパターンをやるやつです。
っていうか散々やってきました。

恋愛観の変化①彼氏に絶対の安心感なんて求めるべくもないと思ってた

セ ックスについて鱗ぽろぽろ。わたしのことゲスの極みと思わないでね。

(だからもうやんないよ?学び強くなりました!)



ruは、過去女性に対して特別な感情を抱いたことはないし、
そもそも欲望を感じないってことは上に書きましたが、

未来はどうか分かんないよね?って正直思ってます。

自分がバイじゃないとは断言できません。


ていうか、男性だからとか女性だからとかじゃなく、
一人の人間としてどうしても惹かれる人が現れたら、
まぁ恋に落ちるでしょう。

そんときは、「女性には何も思わないし欲情しない」云々言わず、
その人に触れたいと思うんじゃないかな。




その点では、人間ならみんなおんなじ★派です 笑




でも。


でもね。



男相手になら、最悪「そんなつもりじゃなかったごめん」が自分的にOKなんです。

まぁおまえ男なんだから、
学び反省し次に生かせよ。

それでもっと大きな男になれよ、的なことを上から思います。


なんだけどさぁ、

相手が女の子だったら、もうそんな自分たぶん許せないと思うのよね。

自分が女だから案外図太いことちゃんと分かってるんだけど、
傷つけてしまったどうしよう、
ってすごい動転すると思うのよね。

触れたらまずい爆弾。




なんでだろう。


わたしの中にも実はすごい「認識違い」が存在してた。




こんなことをつらつら書く気になったのは、
宇多田のアルバム「Fantome」の「ともだち」という曲を聴いたから。(遅い?遅いね…)



笑顔見れる 距離にいれる
それだけでいい
友達なら側にいてもおかしくない
君に触れるあいつ見てる
報われない想いばかりが募る夜更けは
どうしたらいい?
気付かないフリとか
中途半端な優しさに 泣きたい
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
Oh 何故ならば触りたくて仕方ないから Oh
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
もう君の一番じゃないと意味がないから Oh
胸の内を明かせたなら いやそれは無理
とても上手に嘘つけるのに 心は馬鹿正直
キスしたい ハグとかいらないから
Let me have one kiss やっぱり…
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
Oh 今すぐに触りたくて仕方ないから Oh
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
もう君に嫌われたら生きていけないから Oh
恥ずかしい妄想や 見果てぬ夢は
持っていけばいい 墓場に
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
Oh 何故ならば触りたくて仕方ないから Oh
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
もう君の一番じゃないと意味がないから Oh

最初は、女ともだちに片思いする男の子の話だと思ってた。



でも、歌詞はすごく切なくて生々しくてでも曲はかっこよくて、
すごく好きだったから検索してみたら、

これはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイ、トランスジェンダー)の人たちの
心の中を歌ったモノだといわれてて。



まじか、と思った。


いや、恋愛なんてさ、
誰対誰とか関係なく普遍的なものだと思うよ。

いろんなパターンあるだろうし、あっていいと思うし、
正直人がどんな恋愛してようがあんまり興味ないです。




たださ、これがもしトランスジェンダーの人、
その中でも身体が女性で自己認識が男性の人だった場合、
(ていうか曲聴くとそれが一番しっくりくるんだけど)

めちゃめちゃ切なくて。


そこで、自分の中での特別扱いに気づいた。


ある意味では「彼ら」をタブー化してることに。



彼女は彼であって、
男として扱ってほしいと思っていたとしても、

だから、いろんなことをネタとして笑ってほしかったとしても、

たとえば今のruは、
心のどっかで、女性に対しての繊細な扱い、を心がけると思う。
粗雑に扱うのは(粗雑にする必要ないけどね!!!)、できないよ。



そんなことを思って、胸が痛かった。


階段差が大きいね。




そうあらしめてる自分にもむかついたよ。




自分の中にどんなこだわりがあるのかはまだ正体不明。
手放していけたらと思う。

もし本能的なものであれば、それを理解したい。




あと、宇多田がtwitterで、
「What makes you think I'm "Straight"?」とつぶやいたのに対して、

宇多田がカミングアウト!!?とか言うやつは真性の馬鹿だと思う…


っていうか宇多田のセクシュアリティなんて、何でもいいんじゃないの。
だって他人事だぜ?
話題になるようなことだろうか。


いや、なるんだろうね…





※YoutubeにはCOVERしかなかったので、
ご自身で「宇多田 ともだち」とかで検索してみてね。

すごくいいよ。


2017年2月9日木曜日

感情をとるとSNSはツール



最近、SNSを普段使いしている。

このblogもそうだし、
facebookやtwitter、simplogも始めた。
(simplogは自分用。自分がしたいと思った些細なことをやってあげたときに、写真と文字で記録してる。)

前のわたしなら考えられなかったことだ。

SNSとかなんか意味あるの?
自己顕示欲のかたまりなの?
自分の情報さらしてリスク負ってるだけじゃん?
そのせいで今このときを逃してるだけじゃないの?
淋しいからでしょ?

みたいな 笑


だからわたしはSNSなんかやらないよ、って思ってた。


大学生のときはmixiやってたけど、
それも自分の中ではバランスとりながら、
それらの自分の中での位置づけを探り探りって感じだった。

道具として、
自分なりの使い方を編み出してやるぜ、っていう
いい意味で自分本位な主体的な感じではなかったと思う。


今はどうだろう。


今も、それらとのかかわり方、
「わたしが」どう使うか、ということを模索している途中なのは同じ。

でも構えなくなったかも。


たぶんわたしにとってSNSという存在は、
「自分を表現する」こととすごく密着していた。


何をどこまで、誰に表現する?
なんでそれをしようとしてるの?

それが、わたしにとって重要な問いだったし今もそう。
本質であると思う。


わたしがわたしを卑下しているときは、

どうせ誰もわたしになんて興味ないのに、なぜ表現する必要がある?
くだらない情報。
どうせ聴いてもくれないし見てもくれないよ。
無駄だよ。

そう思ってた。

ただの自己満足に恥ずかしい自己顕示欲。
愚かさがばれるよ。
揚げ足をとられて攻撃されるよ。
惨めになるだけだよ。
損するだけ、傷つくだけだよ。
痛みを味わうだけ。
それくらいなら、小さな部屋で丸まって寝てたほうがいいんじゃないの?


SNSは、わたしのそういう葛藤をあぶりだしてくれる、
象徴としての役割を果たしていたということだ。

わたしの発信することに価値なんてない=わたしに価値なんてない
っていう。



でも、現実で、実生活の中でも自分を出そうとすると、
SNSだけが葛藤を感じる機会じゃなくなった。

わたしはあらゆる場所で自分を表現しようとし、
痛みを受け入れる覚悟をし、
泣いたり喜んだりするようになった。


すると、わたしにとってのSNSは、
葛藤を感じる象徴役割としての比重が全体の中で下がった。

結果、感情と切り離されたただのサービス機能になった。

わたしが、あえて余計な感情を付加しなくなったから。


そしたらなんの葛藤もなく、
ほんとの意味で自分にとって有効な使い方を考えられる。
ただのツールとして。

馬鹿とはさみは使いようっていうけど、それは馬鹿とはさみだけの話してるんじゃないよね 笑

馬鹿は嫌いだー!とか、
はさみは尖ってて怖いーーー!とかがある人は、
馬鹿もはさみも自分にとって都合よく使うことは難しいじゃない。
無理くり使おうとしても、エネルギーを無駄に消耗しちゃうし。

でもクリアに見ることができるなら、なんでも役に立つんだよね。
役に立てられるんだよね。


えっと話それたね。


あと前は単純に、新しいものへの警戒心が強かったのかな。
未知のものが怖いっていうの?
それに人も怖かったんだね。
過剰にリスクばっかり見てた。
それが少し弱まったのかなと思う。


結局今は、
自分だけを見れるようになりたいっていうのが一番にあって、
しかもそれは「今」の自分ね。

だから、「今」に集中するためにSNSも使いたいし、
それが後々ネガティブに見える展開を運んでくるとしても、
それは未来のわたしがどうにかしますよ、っていう。


ただ、わたしの役にたってくれてありがとう、と思う。
開発者の人にも、アプリにもそう思う。





あ、twitterは、
このblogの右サイドに埋め込んであります。

PCからご覧の方は既におわかりでしょうが、
スマホからご覧の方は気づかないかなと思うので、
今ここでご紹介です笑

blog更新してないときもtweetはしてることあるんで、よかったら観てみてねー。




2017年2月4日土曜日

ゆるくて女っぽくて自然素材で赤かピンクで身体をしめつけないワンピースがほしい



断捨離を何度も繰り返し、
また新しい服を買ってはしばらくして断捨離し、

そうやって今わたしのクローゼットはちょっと落ち着いた。


眺めていても、

うん、わたしの趣味だな、っていう感じがする。


(とはいえ、永遠のクローゼットではなく、今のわたしの状態に割合フィットしたクローゼットで大きな違和感は感じていない、という意味ですよ。)




前から何回も言っているけど、

わたしは天然素材が好きなので、
コットン、ウール、カシミヤ、シルク、麻、他(竹繊維由来など…)
から作られたもの(それらの組成割合が多いもの)が多く残っています。


それで、これも何回も言ってるけど、
ゆるくて女っぽいベーシックなデザインが多いです。

そういうのが好きだからね。

(ほっこり、森ガール、エコ都会系はわたしのジャンルではありません)



ざっくりしたニットでも、襟ぐりが深めOR広めに開いていたり、
シンプルだけど柔らかいリブで身体にフィットするとか。


着ててリラックスできるので、それらはわたしの好みなのでしょう。





だけど、眺めたとき不満というか、
物足りないなと感じるところがあって、

それは色と、ワンピースがないこと。




色が超かたよってて、


白、ベージュ、紺、ブルー系…が8割。


さらに大ざっぱに言えば、
白か紺かです。


それらは確かに着てて落ち着くわたしのベーシックカラーなのだけど、
つまんないなぁと思って。


暖色系がほぼない。

赤、オレンジ、ピンク、イエロー…。



なので今は、そういう色のものを買いたそうと意識しています。

惹かれます。


特にピンク。薔薇色。






また、ワンピースがないというのも相変わらずで、

今までは自分はワンピース体型じゃないからなぁと思っていたのだけど、
今は内側から衝動のように、
「ワンピースほしい! ワンピース着たい!!」と湧いてくる 笑


ゆるくて女っぽくて自然素材でできててナチュラルな雰囲気で、
身体をしめつけなくて、赤とかピンクみたいな色あいで、
それでいて寒くない!!!!


今わたしが欲しているのはそんなワンピース 笑


結構わがままです…



夏場なら結構探しやすそうなんだけど、
冬は条件を満たすの探すのが大変です。

第一頭の中でイメージできていないからね、今。




冬場に着れる自然素材のワンピースとなると、
ウールかカシミヤがメインになると考えられますが、
厚みがあると身体のラインが出にくいよね。


身体をしめつけない+女っぽさ

という条件を満たすのが難しいんだよね。たぶん。



現実的にいうと、値段も考慮しないといけないんだけど、
それ以前に、そんな服売り場にあるのかっていう…





身体をしめつけないっていうのは、
以前のわたしにはなかった条件なのですが、
(ていうか多少の不快はガマン前提だったので気にもしてなかった)

今はなるべく可能なところから、
身体にとっての快を広げていきたいなぁって思ってて、


そうなるとスキニーやベルトの締め付けや、
寒さ暑さや静電気、
上着の重さ、
なんかも排除対象となってきた。



重いのやゴワゴワ感が嫌ってなると、
上質な天然素材が一番いいわけですよ。

硬いせんべい布団よりも高級ダウンのお布団が快適なのと同じ。




今は下着もユニクロのブラトップがメインだけど、(;^_^A
それでも寝るとき脱ぐと楽だから、
ヌーbraや、NO braの可能性も模索していきたい。





現時点でも、
クローゼットはわたしには納得いくものになっているんだけど、
それはまだまだ縛られたわたしのOKラインを超えている、
ということに過ぎないのかもと思います。


もっとわたしに 快、 、 を!!!!






以前はコンプレックスである脚の太さを気にして、
スカートなんてとんでもないって感じでしたが、


今は、
ミニめのワンピースが欲しいなんて思ってるんだから、

人は変わるものだね。



だってわくわくしてるもん、今。

2017年2月2日木曜日

あなたが自分を粗末にしたときに傷つく人



親を悲しませるようなことはしちゃだめだよ、ってよく言うでしょ。


あれキライだった。
いかにも忠孝を説く、道徳みたいな感じがして。



最近になってようやくわかったんだよね。


子どもが、自分自身を粗末にすることが、
親を一番悲しませることなんじゃないかって。





わたしは、全体的に親の思い通りにならない、
甘ったれで口ばっかで反抗的で優しくもない子どもだったという自覚があるけど、

そのせいで親の顔をつぶしたこともあると思うけど、


それ以上に、

わたしの暗黒期のダメ恋愛、
クズ恋愛、

自分を粗末にしていた時代を知らせたくないよ。



主に泣いてました、みたいなとき。




自分を傷つけて、
自分に価値なんかないんだって思って過ごしてたとき。


アホな男の顔色うかがって(こちらもアホでしたから心底お互い様ですが)、
アホな要求を断れなくて、
そんな自分に自己嫌悪と後悔でいっぱいだったとき。




あんなわたしを、
親には見せられないね。



きっとショックで泣くからね。






映画なんかで(たぶん事実にもとづいた写実だと思うけど)、
「戦争で死なせるためにここまで息子を育てたんじゃない」って叫ぶ母親がいるね。



特攻隊がいくら勇ましく見えても、

死を覚悟した悲壮さがいくら美しく見えても、


潜水艦に突撃するため、ただONE WAYの道のりを、
深海に向かって沈んでいく人間魚雷。

そんなものに乗り込ませるために、はぐくまれる命なんかないね。






自分のいのちは自分で使うんだ、

好きなように、

その人生を経験するために。






…そうだけど。





たとえばわたしの場合、

いくらクソみたいな恋愛であっても、
自分には必要な経験だったと思うんだ。



だから、いくら親が悲しむとしても、
周りがやめろというとしても、
結局は本人が決めて動いていくものなんだけど。




でもやっぱり、

親(その人を大切に思う人、と言い換え可)がひたすらに傷つくようなことは、
しないほうがいい。



しないほうがいいけど、
大きな意味でその人の人生に必要なら止められない。



けど、基準にはなる。




それをしなきゃ、と思ったとき、

それは本当か?と問いただす。自分に。


自分のこころが望んでいることなのか、
それとも広い意味では社会からの刷り込みなのか。



親にもエゴはある。

だから、エゴのままに反対することもある。




でもわかるはずだ。




相手がエゴで感情的になっているのか、
あなたが自分を粗末にしているせいで傷ついているのかは。




そんな気がした。



そしてあなたがあなたを粗末にしないと一緒にいられないと感じてる相手は、
言っとくけどあなたがいくら自分を粗末にし続けても、
いっこうに傷ついたりしないからね。


残念。





誰を大事にするの?











2017年2月1日水曜日

「自分」をどこまでとするかによって人生の身軽さは変わる



救急車やパトカーとすれ違うたび、不安になる。




今日は、誰が?

まさか、うちの家族じゃないよね?



そう思っては怖くなる。




大切な存在があるから失うのが怖いのだと、
それは幸せなことだと人は言うけど、

わたしは単に幻にやられているだけだとも感じている。



怖いというのは幸せなことじゃない。



失いたくない、としがみつくのも幸せなことじゃない。




だって苦しいじゃないか。



執着がすべての苦しみのもと、といった釈迦はすごい。


人は執着して、
自分をがんじがらめにして苦しめている。









断捨離する。


好きな物を残し、
好きじゃないもの、必要じゃないものを捨てる。


好きな人と付き合い、
好きじゃない人と付き合う時間を、
その必要性をなくしていく。

縁を切っていく。



次は?


好きなモノを捨てていく。



必要だと思っているモノを捨てていく。




心の中で。



大好きなバッグも、
思い出の手紙も、
大好きな友達も、
その子のためなら死ねると思える我が子も、

捨てる。



捨てる、というよりも、
いつでも失って大丈夫なんだ、と思う。



思えるかどうかはわからない。




じゃあ次は?


もう、わたしに付属する、外側は捨てきったんじゃないの?



いやまだだ。





わたしの中の、思い出を捨てる。

わたしを作ってきてくれたたくさんの情報を捨てる。



愛された思い出も、
ひどい目にあった過去も、
頑張って積み重ねてきた実績も評価も、
人に迷惑をかけてはいけない云々といった常識も、
こうしたらこうなるといった憶測も、
知識も知恵も、


記憶も。




全部なくしてもいい、とする。





今人から得ている信頼も、
たくさんの時間を積み重ねて作ってきた思い出も、
愛しあっている関係も、

罪悪感も、


全部捨てる。



なくてもいい、とする。




これで全部か?




あとは身体も。




今スムーズに動いている身体、
健康である状態、
手足があること、
声がちゃんと出ること、
脳みそが脊髄が腎臓がちゃんとあることを、


いつ失ってもいい、とする。



ありがとう、
でもいつなくしてもいい、とする。







これは全部、
わたしというアイデンティティをなくすということ。


捨てるということ。


失うということ。



「わたし」がばらばらになるということ。



だから、死ぬということ。






「自分」をどこまでの範囲に定義するかで、
人の苦しさは変わってくる。


小さければ小さいほど、生きやすい。



死んでもいい、と思えたら生きやすくなる。





その人の周りにたくさんのものがあったとして、
それ自体はその人を苦しめない。


その人が、
どこまで「自分」に取り込もうとするかにかかってる。





その瞬間に生きるということは、
毎瞬死ぬということに他ならないんだな、と最近思った。





それができる人が、
身軽で幸せそうに見えるのは当然のことだ。