2017年3月30日木曜日

Jを好きでいることで生まれるメリット(嘘まみれの自分に気づくの巻)


解消して次に進みたいけど、何を解消したいのか?

の、モヤモヤの、
答えになりそうな部分が降りてきました。



わたし、

Jが韓国人だから、外国人だから、
お互い英語でコミュニケーション取ることが必要な間柄だから、
年下だから、

Jがいい、って思ってない?



今まで付き合ったことがないような相手だから、
シチュエーションとして新しいから、

自分の経験値のコレクションに加えようとしてない?


さらに言えば、
「そういう恋愛をしているわたし」でいるために、これを続けようとしてない?



そういう問いと答えが、一瞬にして同時に降りてきた。


答えは、

「そういう部分がないといったら嘘になる」
「ないわけじゃない」




ゼロじゃないなら、あるんだよ。
あるよ、あったよ。



「そういう経験をしちゃっているわたし」アピールね。
これは、他人様というより私自身へのアピールね。
自分に対して、キャラを立てるというか、
「わたしってこういう人なんですよねえ」と言いたい。


そのために、彼を使って。



Jの存在を、アクセサリーのように使って。

彼の外側の情報を、
わたしのキャラクターに厚みを持たせるために利用して。
わたしをもっと大きく見せたい。特別に見せたい。



これは、あれじゃないですか。
「俺、きのう日本人の女とヤったぜ」っていうような、
そういう分かりやすいシンボル的な浅い考え方と一緒じゃないですか。


「金持ちのイケメンで身長は178㎝以上、MARCH卒以上の大学出てて長男以外と結婚したい」
と、本質的に変わらないじゃないですか。


「本当に自分に自信のあるイイ女とは自信がなくて付き合えないから、そこそこで」
って言ってるのと変わらなくないですか。



言ってる内容は違うけど、

本質を、その人自身の魂だけを、100%純粋に見れてない、というのは同じ。


わたし腐ってるわ。
汚いし濁ってるわ。
最低やな。



Jに、もし「日本人の年上の女の子と付き合いたかったんだよね」って言われたら、
絶対嫌。馬鹿にすんなって感じだし、しねって思うよ。ていうか軽蔑する。
ていうか相手にしない。



それ、わたしがしてたよ。


わたしが、わたしをどう演出するか、
人にどう見せるか、自分自身にどう見せるか。
わたしは自分の意図する見られ方を実現するために他人を利用しようとしてた。

てことは、もちろんJのことだけじゃなくてあらゆる関係性でその視点があったってことになる。
ほんとに臭いわ。


汚すぎて反吐が出る。


わたしがわたしとして意志を持つんじゃなくて、
他人目線で自分を見て、他人や自分(この場合は他人目線の自分)にどうプレゼンするか、ばかりを日々考えているってこと。
視点が回転してるってこういうこと。



わたしは「特別な人」として見られたいんだから、
ありがちなシチュエーションなんて求めてないんじゃないの?

刺激が必要なんじゃないの?

彼の魂はそのままで、
日本語を話す日本人で、お付き合いのハードルがもっと低かったとしても、
彼に感じる魅力は変わらない??


…わからない。




わたしが出会ったのは、
韓国人で異文化をバックグラウンドに持つJだし、
それ以外のケースをたらればで考えるのには意味がない。



分かっていることは、

今のわたしには、
Jへの想いにも打算が含まれてるってこと。

Jの外側の情報や、
彼を好きでい続けることが、
わたしをより「特別」であらしめるという思い込みのもとに。



ていうか特別ってなに?笑
超比較してんじゃん…




しかも、ほんとはもっとある。



彼と今すぐうまくいきたくなんかない。


現実は面倒くさい。
気持ちなんか移ろいゆくものだしそれが終わるのを見るのも嫌だし、
現実的に具体的な策を練ってふたりで努力していく自信も覚悟もなかった。
夢を見ているほうがずっと楽だ。

だから、今が望み通りの状況だ。





超笑える。


どうしてどうにもならないの?は嘘まみれの問いだ。

どうにもならないのがわたしにとって都合がいいから、
いつまでたってもどうにもならない。

自分誤魔化してる人は、問いからしてインチキで嫌になる。
答えを出さないための問いだから。



とりあえず、
視点を反転させて他人目線で自分を見てる自分は気持ちが悪い。
不気味だし不自然だし醜い。
誰にプレゼンして特別になろーとしてんの?

まじで勘弁。


自分リスペクトできてないのに他人リスペクトできるはずない。



ごめん自分、だからだね。
そのレベルで嘘まみれだから、いつまでたっても出会えない。


会いたい。



いつかJに会うことがあるなら、
100%彼自身だけを見て、自分がどう感じるのか見定めたい。

やっぱりそうだと思うのか、
勘違いだったと思うのか。



たった一人のパートナーは、
魂だけで選びたい。
選んでほしい。
選べる目がほしい、覚悟がほしい。


そういう自分になりたい。





2017年3月29日水曜日

解消して次に進みたいけど、何を解消したいのか?


きのうは情緒不安定な一日でした。


新月だったみたいですね。



Jのことを何度も思い出し(たぶんわざと思い出している)、
仕事中なのに涙が出てきて、
どうしようもないからトイレへ行く、みたいな感じ。


夜家へ帰ってきてからも、
ご飯を食べた後はすぐに自分の部屋にこもり、
泣きました(おかげで今日のまぶたは何かオカシイ)。




去年の今頃は、
確かにこんな感じでした。


「いやいやいや、おまえ振られてんだよ」
「よくもまあそんな都合よく考えられるな」
「サムすぎ」
「てゆーか、相手だってめんどくさいから逃げたし避けたしメールも返さないんでしょ」
「いい加減気づけよ。馬鹿なの?」
「くだらない妄想やめなよ」

からの↓↓↓

「そんなおまえ(わたし)、死んじゃえ」


の、一人SMを繰り広げ、
めっためたにぼろっぼろになっては、よく部屋で死んでました。



それから時間が経つにつれ、

ちょっと気持ちが落ち着いたのでしょうか、
だんだんとJのことを考える時間が減り、
ほとんど思い出さなくなり、

でもまあ消えはしないんですけど、

このままどうなっていくのかなー、
そのうち忘れちゃうのかな、
でもそれならそれで別の未来があるからいいのかなー、
くらいに思うようになってました。



だけど、

今回東京に行って帰ったくらい(三月の満月前後)から、
体調とともにメンタルも少し不安定になり、
なんだか自分の中がぐちゃぐちゃにかき回されてる感じです。



きのうは、
久しぶりに以前のSMプレイをやってる自分を見て、
「これ、本音なの?続けたいのやめたいの?何をやめたいの?」
ってほんと分からなくなって。


自分が何かに執着しているって感じはするんです。


これって純粋な恋心なの?って分からない。

てゆーか、
愛がもはや分からない。


いわゆる世間で言われる「愛」「恋」「情」が、
ほぼエゴまみれのものばかりって分かってるから、

自分が今何を追いかけていて、
何を目指していて、
何を指針とすればいいのか分からない。

もちろん自分が今置かれている状況も把握できていません。



わたしは、
「ツインソウル」という概念を知ってから、
そんなもんあるわけねーよ、っていう気持ちがほとんどではあるけど、
信じる気持ちもあって自分が分裂している気がします。


概念っていうのは、
それはすべてのものがそうだけど、
知って自分の中に組み込んでしまったら、
それに気づいて取り外すのが結構難しかったりする。


スピでは、

赤ちゃんのときは自我がない(とても薄い)から分離不安なんてないんですよ~、
この世界や宇宙とひとつという感覚で至福の中にあるんですよ~

だけどいろいろなこと(概念)を学ぶにつれて、
いわゆる「自我(への執着)」が作られていき、
人はそれによって苦しむんですよ~
とか言いますよね?



そんなの聞いたらさ、
そもそも「すべては一つ」の世界にいたんだったら、
そっちが幸せそうだし、概念なんていっこもないほうがよかったよ!!!!
っていう気持ちになるんですが、


それと同じレベルで、

「ツインソウル」なんて胡散臭い概念、
そもそも頭に入れないほうがずっとずっとピュアに生きやすかったよ!!!
なんてことしやがったんだーーーー!!!!!
って、きのうは情報発信している人にすら腹を立ててました笑
(いえ、わたしが情報を集めたんですが)



そしてね、

わたしはもはや彼が好きなのかどうか分からなくなってるんですよ。
ていうか、最初から分からないわけ。
だからたかだかI like you.なんていう中一レベルの文が出てこなかったわけ。

執着しているのか、
ほんとに「ツイン云々」ぬきにしても特別だと感じているのかも、
ほんとうに分からないわけ。


いやたぶん魂レベルでは「知ってるくせにぃ~」って話だと思うよ。

でも、

瞑想しても分からないわけ。
魂の声がクリアに「yes/No」とか言ってくれないわけ。
ただモヤってるだけなわけ。



もうほんとにモヤモヤして自分をdisって泣いて。
オマエは一体何がしたいんだ、っていう話ですよ。




それで、あるタイミングで、
なんか誰かのblog見て、だったかな。

「なんで白黒つけないといけないの?」みたいなことが書いてあったのかな。

いや「ほっとした状態になると、それまでの問題なんてどうでもよくね?」的なことが書いてあったのかな。


それと、わたしTwitterで、
OSHOの言葉をフォローしてるんだけど、

「闘う必要なんかない
 泳ぐことすらも必要じゃない
 流れといっしょに漂うのだ
 川はそれ自身でひとりでに流れている
 あらゆるものが必ず究極の大洋に至る
 あなたはただどんな妨害もしないことだ
 川といっしょに行くというそのこと
 川とともに漂うこと
 川とともにくつろぐこと
 それがタントラだ」


っていうのが流れてきて、


なぜかそれを読んで楽になったのね。




で、これを読んで楽になったということは、
とりあえず今の時点では、

「苦しいなら苦しいままで、純粋じゃなくてエゴからの執着かもしれないけど、
そんな自分が許せないかもしれないけど、そのまま行け」
ってことなのかも、と思った。

今はいいのかも、このまままで。と思えた。



「時間無駄じゃん」
「可哀想すぎw」
と、自分でも思うわけ。


結局、

片想い♥美しい愛貫いてます♪
とか言っても、エゴ的な自分の思い癖にはまってるだけだったら悔しいし惨め。

早く気づきたい、
無駄な時間やエネルギーは使いたくない、
って思うじゃない。




でもさ…

無駄ってなんなんだろう?

よく考えたら笑



やっぱり、賢く生きたいよ。
賢く立ち回りたいよ。
コスパがいい生き方っていうんですか?
その気持ちはまだ捨てきれてない。


でも、
おまえなんか最後そのへんで野垂れ死ねばいいんじゃね?
って思ってる、自分のどっかが。
合理性とか効率とかそういうのと切り離された部分で。


変かもしれないけど、
そう思ったら楽になる。




結局わたしの恋愛体質というのは、
「恋愛」を利用している、
「男」を踏み台にしている、と同じ意味で。


わたしは今Jを利用して前に進もうとしているんだ。
前に進むというか、自分の要らないものをはぎ取るというか。
だから本質的に利己主義だし自己中心的だ。

わかってる。


今わたしは彼を利用して自分を理解している。
歩みを進めている。


とはいえ、飲まれるし苦しいし痛いんだけどね。




こうやって書いているうちに、
少しずつまた自分が見えてきた。

まだモヤってる部分は全然あるけど、


きっとわたしが捨てたいのは、
解消したいのは、
「打算」で、
「自我」への執着だ。


変わりゆくものを、変わらない(ように見えている)ものを受け入れろ。
すべてはわたしのコントロールを離れて、
勝手に自然に動いていく。

わたしにできることは、その流れの中に在ることだけ。


判断を挟むな。


おまえはいなくていいんだよ、死んでしまえ、


と、そういうことなのかな。





何も早送りできないし巻き戻しできない。
しようとしても苦しいだけで、したいならしようとしてもいいけど、できないよという笑。


何度もこれを思っては、
このblogにも書いているけど、
やっぱり自分を殺すというのは難しいな。



2017年3月27日月曜日

駆け引き上手、のココロの内【ブラックダーティーru】



わたしは恋愛体質だ。

自分のその性質を利用して人生を動かしている自覚はあるし、
今世はそういう生き方しかできないと思う。



大学生のときは、
完全に恋愛「依存」だったし、
それにも気づいていないくらい経験も浅かったので、
友人との会話のトピックは基本「恋愛」「男」についてでした。
(まあ、周りもその年頃というのもありました。)


そんな中、ドライブの車内で、
わたしのことをよく理解しているかなり近い女友達に、
「天然で駆け引きする人は、自分が駆け引きしてるって気づきもしないんだねぇ」
と、興味深そうに(呆れたように?)言われたことがあります。


わたし的には、
え?駆け引きって何? 状態。

何、今話した中でどれが駆け引きってやつなの?おしえてよ。状態。

きょとーーーん、でしたね。




そのことを、ふとした瞬間に久しぶりに思い出しました。
10年ぶりくらいに。




詳しい状況説明は割愛しますが、

わたしは非常に酔っぱらっていて、
ある、年下の男の子の気を惹こうとしていました。


別にその人が特別に気になるわけじゃないし、
そもそもわたしの中にはいまだにJが居座っていてどうしようもない。

だけどその子からはとーっても軽いですが好意を感じていて、
周りから「あいつどうよ?」的なことを何度も言われていて、
「いやいやいや、でも彼にだって好みがありますから」とか言ってる状況。

髪型とか骨っぽい手とか、頭のかたちが綺麗だなぁーみたいなことは思ってた。
(やっぱり骨格ナチュラル 笑)


だけど、別にそれ以上には思ってない。



なのに、

みーんなが酔っぱらった場で、
深夜すぎのカラオケボックスで、
彼が別の女の子と、少しだけ距離が近いのを見て、
酔っぱらったわたしはちょっとムッとした。


離れた向かい側の席から
「どうしてやろっかな」
「こっち見ろよ」
くらいに思ったね。

わたし、結構ぎりぎりの所狙いにいけるほうだからね。
相手がプチ混乱をきたすぎりぎりのラインね。
(そこは繊細に狙えるし、わたしはもともとある意味壊れた人間だから怖くもないのね。)


…いっちゃおうか?


で、そう思った瞬間に、「やべえ」と思った。



「駆け引き」ってこれのことか???!

だとしたら
ごくごく自然に、至極普通にやってますけど?!!


そうだったそうだった、わたしそんな人間だったよ。


全然キレイゴトじゃないよ。

駆け引き上手とかいうけどさ、
それって、いかに相手を自分の意のままに動かすかってことだよね。
コントロールして、支配するかってことだよね。


わたしを不安にさせるなら、寂しくさせるなら、
あなたの思う通りになんかしてあげないよ、
こっちに常に意識を向けて、注意を向けて、って言ってる。


でも、そんなに欲しくもないのに?
相手にはわたしのことを気にし続けなさいと?


真正面からいく勇気や自信がないだけなのに?
本当にほしいものを見続ける忍耐力が覚悟がなくて揺らいでるだけなのに?



……まじかよ。



ダサすぎ。うぇー。



あんたとはもう決別したつもりだったよ、ブラックダーティーru。


まだ生きていたのか。



酔っ払いruは、一瞬で酔いが醒め、
トイレへ立った。



酔っぱらった頭でも内観する。笑



ああ、こういうの手放さなきゃいけないんだ。
こういうの、もう要らないんだった。


こういうのが役に立たないって、
通用しないって思えたのがJとの関係で、
だから彼は特別なんだった。


でもJとのことでは完全に生殺しだから、←忘れたいのに忘れられないという意味ね。
もう誰でもいいから(いや上から目線で吟味しますけど笑)、
依存じゃない恋愛できるかどうか、
試すのもアリだなって実は思ってしまってる部分もあったよ。

↑試したいの精神で、結構なんでもやっちゃいます。(過去記事ご覧ください)



でも、まだ駆け引きとかやっちゃうんだ、自分。
やろうとしちゃうんだ。
通用すると思ってるんだね。

それって結局sexualにしかオチないのに。

充たされてないエネルギー、補充したかったんやな?
そのレベルやったらまだ新しい登場人物出すには早すぎるわなぁ?(だれ)



…反省。

 ごめんJ。
(いやあいつは他の女子と……!!きっとあんなことやこんなこと……!!あいつには謝らんでいー)



とにかく、ちと弱っていたもので、
しかも生理中にワイン2本くらいがぶがぶ飲むと、
もう正気がふっとぶと言いますか、

汚い思考がどんどん浮かんでは消えていく、のが見える。


別にそれ以上のことはないで皆解散したのだけど、

とりあえず20歳前後の自分がほぼ無意識でやってた
「相手を振り回す言動」=「駆け引き」のその瞬間の思考と感情(不安と怖れ含む)の流れをばっちし確認し、
もーほんと嫌になっちゃった飲みの席でした。


でも、それを見つけただけでも酔っぱらった甲斐があった気もする。

「相手の気持ちを思い通りにしたい」
その裏には「一人になりたくない、孤独や不安を埋めてほしい」があるから。


だめ、一人で立つのだ。
誰かに依存することほど不安定なことはないと、わたしは既に知っている。



手放すために見つけたのだ。

わたしが、中途半端に自分を綺麗だと思い込まないように、
自分の今までのやり口に正確に気づいて、
自分から切り離していくために、それを見たのだ。



もっと自分を見てあげなくちゃ。
自分で自分を満たしてあげるのだ。




※翌日は一日寝込みました。だるくて。人はあんなに寝続けられるものかと思いました。ていうか二日酔いって、ほんとに二日目まで食っちゃうんだ…と初めて知った。
もうあんな馬鹿みたいに飲まないぞ。





2017年3月21日火曜日

純粋にときめくものを着たらいい。高確率で似合うよ。


ruの個人的な服の好みは、
このblogでも何度も触れてきていますが、
それってたぶん中学生の頃くらいから根本的なところはあまり変わっていません。


シンプルでナチュラルで、でも女らしくて。
それが基本。

で、社会化された服装というよりは、
ワイルド(英語のwildね。野性味のある、という)だったり、
逆にすごく繊細でセンシュアルだったり、っていうのが好き。

ぼろぼろの作業着やデニム、
繊細で手のかかったビンテージシルクのレースやバレエシューズ、
っていうのも自分の中では全然矛盾しない要素。
カメオとか、でかいターコイズ石のバングルとかも好き。


それらはわたしの本質的な好みで、
子供のときからずっと好きだし、たぶんこれからも好きだろう。
「モテ」とか「きちんとして見られる」とか、全然関係ない。
雑誌が何と言おうと、わたしが満たされるものとは全く関係がないし影響されない。


で、ね。


わたしは10代の半ばくらいから、
自意識過剰+セクシュアリティの迷路に迷いこみ、服も何着ていいかわかんない状態が続きました。(詳しくは過去記事ご覧ください)

そんな中、偶然にもPDとか骨格PCなんかの概念を知って、
そのときは光が射したような感覚も得ながら、
経験と照らし合わせて「だからこうだったのか!」って落とし込んで、今にいたるわけです。
分析的にカテゴリー分けした概念を理解するって、役に立つんだなって感動しました。



が、

前回の記事
ハートに従ってときめく服だけ選んだら という試みをしてみて
思ったんですけどね、

「本当にときめき100%で服選びができるなら、理論は不要(かも)」!!!!

リスクがあるので断言は避けておきたいのですが、

「思考を完全に捨てられるなら」という条件つきで、
「純粋なるときめきを選べるなら」、
たぶんPCも骨格もPDも、理論なんか何も知らなくても自分に似合うもの選べちゃう!!!!(かも笑)

「ときめきを選べるなら」は、
「今に生きられるなら」や「すべてをゆだねられるなら」とほぼ同意なので、
それなりに勇気や信頼や覚悟が問われるところですが、
それができるなら、
いちいち頭で考えなくても、「似合う」し「値段もちょうどいい」し「TPO」や「予定」にもぴったりのものが見つかる。

(「赤と紺ならやっぱ紺が無難かな」とか、「このポケットさえなければ完璧なんだけど、他に見つかるか分かんないしこれで手を打とう」とか「こんなワンピースどこ着てくねん。それよりいざというときのため冠婚葬祭の一式揃えておこう」の思考を全部捨てるということね。)

(あ、もちろんお買い物だけ「今に生き」、それ以外は「思考の奴隷」という在り方はありえないので、人生の方向についても舵をどちらに切るか選択を迫られると思いますが。)


わたしの場合だと、
思考をはさまずに、どきどきしながら「自分の好き」を選んだ場合、
いろんな意味で満足度が高いです。


満足度が高いってだけじゃなくて、

ここで冒頭に戻るんですが、
「わたしは昔から何も変わってなかった」ってところに気づいた。

たぶんこれ結構重要。


15歳ぐらいから今(30)まで、
色んなスタイルに興味を引かれて、トライしてきました。
似合わなかったら、なんで似合わないんだろうって落ち込みもした。


でも、でもね。


15歳のときに好きだった恰好、今も好きなんだよね。

シンプルでナチュラルで、でも女らしい恰好。

たぶん、PCPD骨格的にもわたしに似合う恰好。
わたしの性格にもハマる恰好。
してて落ち着く恰好。


なんだ、わたし知ってたじゃん、ってなった。
結局いろいろつまみ食いしたけど、ここに戻ってくるわけね?ってなった。

コンプレックスとか好奇心とか、
要因は色々あったけど、
とにかく自分とは違うもの、
別の人がやってることに目を奪われて惹かれて、
真似してみたけどその人みたいにはうまくいかなくて。

それで落ち込んで自分を責めてみたりして。


でもそれは別にほんとに好きだとかほしいものじゃなかったよね、っていう笑


欲しいものは幼い頃からちゃんと知ってたし、
時間が経っても変わらないものみたいだし、
しかも自分に似合うじゃん!!!
ムリしなくても全然似合うじゃん、工夫とかしなくても!

っていう笑



スタート地点戻ってきたぁ~~!っていう笑




まわりくどい文章になってるの分かってるんですけど、
どう書けばいいかわかんないのでそのまま書きますね。

伝わってるかな?




いろいろ勉強したり知識入れるのも全然ありだけど、
自分のおかしな色眼鏡の原因を探ったり把握したりもいいけど、

そういうめんどくさいことをヌキにして、
ただ「ときめき」や「今のフィーリング」だけを見つめることでも、
今の自分にぴったりのものを得る事ができるみたいです。

まじですごいよ?


「今この瞬間の自分」=「本来の自分=過去・幼い頃の自分」であったりもして、
そこが面白いところ。


やるのは、ただ思考を排除するだけなんだけどね、
やるだけっていってもやっぱり「ちゃんと考えろ、頭使え」って社会で生きてきたから怖いけど、
でもやるだけの価値はある。


とにかく早い。
エネルギーのロスが少ない。
時間短縮になる。



やるべし。



※自分のコンプレックスや弱さをずっと無視したり、望むことを抑圧してきた人は、
「純粋にときめく」ものを選ぼうとすると、
蓋が勢いよくバンと開いて収集つかない感じになるかもしれません。笑
(例は良くないかもだけど、おじさんが赤ちゃん返りするような。)
似合う似合わないとは別の次元での着こなしになることもあると思う。

でも、それを気が済むまでやったら、「ときめく」=「似合う」「本人に調和している」に限りなく近づくはず。そこに至るまでのアク出しは覚悟決めてやればいいんだ。



ハートに従ってときめく服だけ選んだら

お金のブロックをとる挑戦 の続き♪



さて、前記事と関連した話になりますが、
わたくし金曜の夜に急に新しいお洋服が欲しくなりまして。


そのきっかけというのは、

わたくしパワーブロガーのHappyちゃんが好きなのですが、
彼女やその界隈の方たちのblogを読んでいると、
皆さん可愛くてその人らしいお洋服を着てて!

というか、(過去の彼女たちと比較して)完全にパワーアップしてる様子が、
見た目でよーぉくわかるのね!

で、刺激されて、

「うわ、わたしももっと自分ぽいやつ欲しい」
「女or女の子をエンジョイできる系のやつ欲しい」
「使いまわしとか考えないで、欲しいやつがただ欲しい」
って思ったというわけです笑


だから、特にこれがほしいというものがあったわけじゃなくて、
どちらかというと、
「今の自分がココロからときめくものが知りたい」っていう気持ちが強くて、

「知りたい」から、
売り場に行って「知ろう」としたんだった。

で、「本当に欲しいものがあったら、本当にときめくんだったら、それが高くても思考に負けずに自分のために買ってあげよう」と決意して出かけたのでした笑



結果、

可愛いものはあったし、
これあったら便利かも、っていうのもあったし、
手に取って鏡の前に立って、試着したのも何着もあった。


でも、
「本当にこれ欲しいの?」
「これ買ったら、後でもっと欲しいものが出てきたときに買えないかもしれないけど、それでもいいくらい気に入った?」
「これがもっとこうだったら…って、あんたほんとにときめいてんのかよ!」って、


自分に問いかけながら、
ときに突っ込みながら先へ先へ旅は続く。


でも、
「自分がときめくもの」
「Happyちゃんたちを見てて羨ましいなと思ったくらいのエネルギーを感じられる服」って、自分の中のハードルがあったので、

思ったよりもさくさくとウィンドーショッピングは進むの。
自分に問いかけながらであっても。


だって、たいていのものは一瞥して「違う」だし、

ちょっと目を惹いても、
「可愛いけどそこまでときめかない、生地安っぽい」
「便利そうだけどときめかない」
「着心地悪いからときめかない」
「わたしには違う」
ってなる。


ハートとか本音というのは、本当はめちゃめちゃ判断が早いから。

わたしが過去のショッピングにおいて、
大して好きでもないものを手にして、ああだこうだシミュレーションしたりしてた時間はいったい何だったのだろうと思うほど、
「ときめき」を最優先の条件にすると、瞬間的に決まる。


結果、これ買いました。



デニムは、無印の、
↓で書いたやつね。
無印のデニム:スーパーストレッチスキニ―(アンクル丈)

もう買い替え買い替えで四代目。
すぐ膝が出てきちゃうのが難だけど、わたしのベーシックです。


で、ピンクのブラウスは、
一目惚れ♥


ちょっと変形の裾になってて、
フリルがあるのがわたし的にはツボでした…

素材はポリエステルだけど、
デザインがとにかく好みで、甘すぎずモード寄りで好き♥
ピンクだし…♥

見て「可愛い(⋈◍>◡<◍)。✧♡」ってなって、
一目で「こりゃわたしにも似合うタイプだしょ?」って試着して「OK」で、
お値段税込み8500円くらい。
わたしにとっては「安い」というお値段ではないが、「ときめくものがあったら高くても買おう」と決めてきたわたしには躊躇する値段でもない。

ていうかしょっぱなからハートがGOサイン出してるんだから、即断即決しよーよ!
ってなものです。


そしたら買い物も早い。
レジ行って財布出すだけだもの(普通そうだ笑)。

悩まなくていいって、なんて楽なの。


セールとか、正規の価格とか関係ない。

まとめ買い15パーセントオフとか、
わたしにはまったく関係がない。
誘惑なんかされないぜ。
ほしい物以外はちっともほしくならないぜ。(変な日本語)


あと、ワコールトリンプのセールをやってたので、
その会場でこれも買った。

薔薇色っぽいワコールのショーツ二枚。
ユニクロのブラトップの下に着るつもりです。(色気…)

実は、他に薄いブルーや白のショーツも手に取ってたんだけど、
わたしはこの赤・ピンク系統に惹かれた。

思考が「いや、派手じゃない?家族になんて思われるかな」とか言い出したんだけど、
少しでも思考が入って選んだものって結局なんだかいまいちな気分になるし、思考を無視してどきどきしながら選んだ「ときめき」って長らく色あせないって経験上分かってるから、こっちを選んだ。

で、結論、そっちを選べてよかった。


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今回、購入したのは上の写真に写ってるものだけです。


実はもう一枚、
気になってたコットンのシャツがありました。

が、ピンクベージュで色が薄く、汗じみが目立ちそうという理由で躊躇。

でも自分に似合って感じられたし、
色も好きだったし、
値段も4000円くらいで、別に高くもなかった。

だから「涼しい時期、もしくは夜限定で着るならどうよ?!」って、
わけのわからない計算もしてたのね。


でも迷った。

そういう制限つきのものって、
今までの経験からいうとなかなか手が伸びなくなっていくし、
そもそもわたしはこれにときめいているのか??!って、疑問があって。


「いや、ときめいてはいない…」

「(既に買っていた)ブラウスと比べると、フィーリングが全然違います…」


可愛いしわたしに似合うし便利そうだしお手頃な値段、

だけど「ときめいてない」なら、

ぶっぶー、
今回の企画からは外れます。


それが最終的に出した結論。



そのシャツを棚に戻したとき、
「ああ、わたしは今までなんて思考優位で服を選んでいたんだろう」
と思った。

ときめくかときめかないか、
ハートが望むか望まないか、
は、ほんとはめちゃくちゃシンプルだし、

欲しい物だけにかけるなら、実際お金はそこまで湯水のように使うことにはならん、たぶん。


そして、ときめくものだけが身の周りに残るんだ…。

サイコーだなぁ。



そして、

わたしは断捨離とか買い物とか繰り返していたけれど、
実はこのトライをやったのは初めてだなぁ、と気づいた。

すいません皆さん。
分かってませんでした、わたし。

ここまで「ときめき」の制限を厳しくかけて、
それでもアンテナに引っかかってきたものを思考を挟まず買う、ってやってなかった。


「これ着まわせるの?」とか
「同じようなの持ってない?」とか
「今もっと必要なものあるんじゃない?」とかいって、
結局買わないこと多かったし、

買うものも思考で妥協して選んだものが多いから、
結局ときめかないし仕方なく着るって状況になりがちだった。



で、今回はそこから派生して自分のスタイルについても考えが及んだよ。


わたしは、
コンサバティブなものには惹かれない。
尖ってるものにも、可愛くて子供っぽいものにも惹かれない。
デキる女や有閑マダム、セレブ、ヒッピーにも憧れない。


わたしが好むのは、
ナチュラルでゆるくて女っぽくてシンプルで、
でもどこかに刺繍や編み方などどこか凝っていてデザインがあり手がかかっているもの、
一点ものやアーティストもの、
どこかの社会や集団のカテゴリーに属さない、どちらかというと自由人の服、だ。

シンプルなパッチワークがされた、
Usedのだぼっとしたデニムとか、そういうのが好き。
(生地が薄くてストレッチ素材の見た目だけデニムとかは腹が立つくらい好みじゃない)


わたしが自分の「ときめき」に従って服を選ぶと、
そういうものばかりになる。
そういうものばかり集まってきてしまう。

そういう服ばかりのクローゼットならどれだけ嬉しいだろう。


わたしはそういう服ばかり着て生きていきたいな。



………。


…そういう服ばかり着て生きていけばいいんじゃん?




………!!!!!!



え、


まじで


それあり????




ぱっかーーーーーん!!!!!!


\(◎o◎)/!



最後までわたしの足を引っ張っていたのは、
意外にも「社会人としてちゃんとやらなければ」という思い込みだったみたい。
(いやこれが最後かわからんけどね)


今はふらふらしてるけど、
ちゃんと就職してOLっぽい感じになったときのため、
「ちゃんとした人」っぽく見られる必要があるときのため、
たとえばなんだろう、お見合いとか?(するのか。できないよあんたにゃ)
とにかく何かのときのために、
必要なんだ「ときめかないし好きじゃないし自分のスタイルじゃない服」が!!!

※たとえばフェミニンなフリルのついたUネックのカットソーや、
白いストレッチのパンツなど…。(OLさんぽいやつ)

って思ってた。笑


にしては、そういう服は一着も持っていないけれど(ちっとも好みじゃないので全捨て)、軸をぶらすんですよね、思い込みが。

結果、ときめきもせず「いざというとき」役にも立たない服、がたくさん集まる。



…要らん ( ;∀;)




ていうか。

そもそも、たぶんわたし普通に就職して、とかもう無理だよ?
取ってくれる会社、探すの難しいもん。
「ちゃんと」「いち社会人として立派に」とか、できないもん。( ;∀;)
うんこだもん…


…だったら、
バイトするにしろ自分でなんかやるにしろ、
好きな格好できるの前提で考えればいいだけじゃないか。


じゃあ、やっぱり「ときめき」で選んでもいいってことだ!?


やっほおおおおおい!!!!!!!


↑選択肢がなくなったため逆に道がクリアになり、復活した図。


フフフ。


いやぁ、長くなってしまいました。

まあ言いたかったことをまとめると、

「ときめき」を指針に服を選ぶと、
迷ったり悩んだりする時間が短縮されてエネルギーのロスが少なくてラクだし、
帰ってからもうれしい気分が持続するし後悔率は激減するし、
更には「自分の生き方への好み、スタイル」までうっすら見えてきちゃうよ~
(それで、どうするかまた岐路に立てるよ♥)

というお話でした。(←まとめが雑)



ご清聴、
まことにありがとうございました。



※今回の長文記事で申し上げているのは、
今ときめく服を今買えるなら買って今着る、(そこでとりあえずミッション完了)という意味ですので、
それが今後永久的にこの身の傍にあるかどうかはもちろんわたしにも約束できません。
飽きたら処分するでしょう。
が、ハートに従えたなら後悔しないと思うよ。


※※記事二回に分けてみたけどやっぱり長文、読んでくれてありがとう。




お金のブロックをとる挑戦


最近、お金を気持ちよく使うことを意識しています。

投資とかでもないんです。
ただ、今の自分の望みにかかるお金は気持ちよく払おう、というだけです。
(ほしくないものや参加したくない会への支払いは嫌です。なるべく払いません。あ、これは時間も労力もです。)


食べたいものを食べる。
行きたいところに行く。
人のために気持ちよく使う。
そして、もし誰かが私のためにお金を使ってくれるなら、感謝していただく。


やっぱり、思考があーだこーだ言ってくるし、
いちいち小さいところでも悩むんだけど、

たとえば空港で朝ごはん食べるときとかにも、
もうちょっと安めのカフェやファストフードでもいいかなとか、
もっと言えばコンビニでもいいかって思ったりするんだけど、
気分を優先すると、ちょっと奮発して高めのラウンジに入って、直感でいいなと思ったプレートと飲み物を頼み窓際の広いソファーでゆったりする、など。




これ、意外と金額の大きさとの単純比例じゃないんだよね、葛藤の大きさって。
(いや、額も小さいですけどね(;^_^A)

たかだか数百円の違いでも、
ちまちま浮かそうとしてしまう自分がいることに嫌になる。
対して、衝動的に、(偽物の欲求に)まとまったお金を使ったりして、
後味悪くなったりもするから不思議なんです。


こればっかりはやってみないと分からない。


わたしの場合、
移動費(運賃や高速代金や駐車場代含む)とかロッカーなどの経費にかけるお金払うとき、損得思考がしょっちゅう出てくる。
それも、わたしが楽に気持ちよく過ごすための必要経費には変わりないのにね。
ケチって(もしくはそれに頭を乗っ取られて笑)気分よく時間を過ごせないことが結構あるので、それは今後の課題だなと思っています。



でもトレーニングと思って繰り返していると、
思考を挟まず、もしくは思考が出てきても無視して「本当の望み」を
そのまま実行することができるようになってくる。

少しずつだけど、できるようになってきてると思う。


何事も慣れですね。

一回やったことがあることについては、思考の抵抗も減る。
思考検問所を通ろうとすると、相手(思考)は鼻ほじっててスルーさせてくれちゃうみたいな。あ、もういいんですか?みたいな。


でも、何度も何度も繰り返してやってると、
しょっちゅう財布出してるなコイツって思考が目ざとく見つけて、
「おい、そんなにバンバンお金使ってるとなくなるよ~、無駄遣いじゃないの~」
って言ってきたりして、
やっぱり不安になったり、財布の紐しめたくなったりもするし、

たとえば、
美味しそうなパンをたくさん迷った挙句にいくつか買って、
食べてみるとあんまり美味しくなかったりとかすると、
「自分の直感間違ってた?or思考に従ったせい?」ってダブルでがっかりするんだけど、


それも含めての実験だと思って、
日々小さなところから挑戦中であります。




※長かったので、記事を分けましたー。
服についての回に続く。




2017年3月17日金曜日

「勉強したほうがいい」が母の直感なら、子供も聴くんじゃない?



前回の記事の内容の続きみたいになるかもしれないですが、


わたしたちは、
刷り込みによって「わたしじゃないもの」を「わたし」だと認識してる可能性が非常に高いです。


で、たぶん人間同士の喧嘩や争いって、すべてが、
「わたしじゃないもの」にやられちゃった人が関わって起きてると思われる。
「刷り込まれたもの」からきてる。


たとえばさ、身近な例でいうと、
お母さんが子供に「勉強しなさい」って言う。

子供はマンガ読んでたい。
勉強は今はしたくない。
これは、たいていの場合、その子の本音。(小さければ小さいほど)


対するお母さんは、
別にお母さん自身の魂の望みとして「勉強しなさい」って言ってるわけではない。
(これはほとんど100パーの確率で、魂の望みではない笑)

言わなくちゃいけない(と思ってる)から言ってるだけ。


「マンガばっか読んでると馬鹿になる」
「宿題やらせないと、わたしが先生にどう思われるか」
「将来いい大学に入っていい会社に勤めて…(以下略)」
って、「世の中」がそう言うから、それを信じ込んだ故に自分が不安だから、
子供の力を信頼することは賭けだし怖いから、
別にお母さん自身の喜びはそこにないけどつい「勉強しなさい」って声を荒げる。

でも別に、
子供が素直に従って勉強してても、お母さん自身に魂の喜びは湧いてこない。
(良かった、やっぱりわたしは正しい、くらいは思えるかもしらんが。)

そしてたいていの場合、子供は「嫌だ」と言う。
(不安な人、怯えてヒステリーっぽい人のアドバイス聞きたくないのなんて、生き物としてまっとうな反応。ネガティブ作用しかもたらさなさそうで価値ないよね。)



嫌だと言わなくても、お母さんの望むような態度で机に向かったりはしない。
(おどおどするようになる、とか、居眠りするとかも含めて。)


ここで、対決である。


でも立場に差がありすぎる。

たいていはお母さんが勝つ。
子供の魂は、残念ながらシチュエーションに負ける。(ほんとの意味では負けてないけど、マインドと繋がりにくくなる)

負けてどんどん生命力を失っていき、
自分のことを信じられなくなり、
外側に価値を置くようになり、
自分自身の敵として親・社会からの刷り込みを内面化していく。


それが基本的な仕組み。

いつの時代も、場所が変わっても、繰り返されてきた仕組み。


負けた人が負けた人を再生産する仕組み。



これがもし、
「わたし100%」に近いお母さんだったら、
勉強したがらない子供に無理やり勉強させようと思わないと思う。
だって、そこでやりあって頑張ることは「わたし」の魂の喜びとは違うから。

ていうか興味がわかないと思う。
ふーん、くらいで。
いくら相手が子供であろうとも他者は他者なので、「ふーん」の域はこえないだろう。

心配はしていても、相手には相手の選択があると分かっているから、
自分にやれることは限られていると、いい意味で諦められる。
「おまえ今自分に嘘ついてるだろ」というときだけピンポイントで攻められる。笑


お母さんが、直感から「あんた今これ勉強しといたほうがいいって、まじで。なんかあるわ」ってゆったら、子供も馬鹿じゃないから「おう、やっとく。マンガは後にするわ」みたいになるっしょ笑
(根拠ないけど)

どっちが正しいとか善とか上から目線で偉そうなこと言わず、かつ断る余地があるアドバイスなら、相手が受け入れる可能性は高いよ。


だから、きっとあんまり戦わない。

魂同士は、別に戦う必要ない。


親と子という、
分かりやすく力の上下関係があり支配関係があり、バトルが勃発しやすい関係性ですらそうなのだったら、
対等な立場ならなおバトルなど起きにくい。

「ふーん」だけ。笑


「あなたはそうなのね」、マル。


もし利害がぶつかっても、
(ていうか、望みが多種多様なせいでそもそもぶつからない可能性があるけど)
そんなに焦っておらず切迫感がないので、
その場で一番いい方法を編み出せそうである。

(子供の遊びの編み出し方みたいな感じで、ハンデや制限をつくって、場を面白くスムーズに展開させる天才的な能力を発揮)


そう考えると、
やっぱりそれぞれの人が「その人オリジナル」に戻ってくことが、
この世界のさまざまな問題(に見える)の、
もっとも合理的な方法に思える。

そして、負ける人の再生産は、どう考えても無駄だし非合理的だから、
一刻も早くやめたほうがいいよね。


「自分じゃないもの」に侵略され洗脳されている人ほど、
人に戦いを挑む(説得しようとしたり)し、
相手に勝つことで自分を元気にしようとするからね。
「わたしじゃない」人には、敵か味方かどっちかの認識しかなくて、
しかもすぐ立場は変わるから穏やかじゃないし。



みんな、「自分じゃないもの」のために必死こいて人生捧げて頑張るなんて、
考えようによってはとっても健気。笑

人間の歴史は戦争の歴史と言いますが、非常にあほらしく見えるのは私だけ?




「クチャクチャ音たてて食べる人って生理的にムリ」って、実は教育(刷り込み)の賜物



わたしたちの本質はお金ではない。

お金をほしいと思うのは、
わたしたちの本質ではない。

二歳児に一万円札を握らせても、普通に破って遊ぶと思う。
だってお絵かきしたくてもすでに色々書き込まれてるし、
変なおじさんの顔が描かれてる。
そして手ごろな大きさで、ビリビリ破ると楽しい。



赤ちゃんは、

お母さんの顔が少しばかり奇妙でも、
暗くても、
すっぴんでも、
太っていても痩せすぎていても、
ご飯の食べ方が汚くても、
普通にお母さんのことが好きでい続ける。
世界で一番好きでい続ける。


赤ちゃんは、

中古住宅やトタンの家やなんなら羊小屋で育てられようと、
別に自分は不幸だなんて思わない。
何も思わない、たぶん。
寒い、とか、臭い、とか反応するかもしれんけど 笑


不幸だと思うのは大人のほうだ。
誰かを「不幸な人」にするのは大人のほうだ。

一万円札に執着するのは大人のほうだ。


世の中のほうだ。

社会のほうだ。


わたしたちが赤ちゃんのとき、
お金も美貌も才能も、そんなことはどうでもよかった。

だから、たぶん、今でも本当はどうでもよいことなんだ。

本質以外のことなんだ。


そう考えるように仕向けられなければ、
教えられることがなければ、
そう判断することすらできなかったはず。

完全なる後付けだ。


わたしたちは、後付けの条件のために生きるように、
時間をかけてプログラムされていく。
怖れと不安を感じなくていい、というのが餌。

そもそも怖れや不安や無価値感を感じていなかった存在に、
まず怖れや不安や無価値感を体感させ、
それから「それを感じなくていい方法」を教えていく。

あほらしいけど巧妙なやり方だ。




うまい!!!

座布団三枚!!!!!




さて、

上にあげた怖れや不安や無価値感というのはネガティブな感情ですが、
割合中立に思われる刷り込みが、
ネガティブ反応を引き起こすことだってたくさんある。

そのほとんどは、自分が気づかないうちに身につけてきた、
「良い」とされる自分が属するエリアでの文化習慣からきてる。



海外に出ると、
たくさんのカルチャーショックがある。

わたしが「マジか」と思ったのは、
海外の皆さんの、食事の仕方。
(とりあえず庶民的な場所、に限定して話します。)

なんでテーブルがこんなに汚いの?????って、たぶん日本人の多くの人が思うはず。
わたしこんなに繊細だったのか…、とても真似できない…と思うほどです。


たくさん取ってたくさん残す、
ぐちゃぐちゃに混ぜて食べる、
テーブルの上はカオス、
テーブルの下も結構なカオス、

そしてクチャクチャ音を立てて食べる…。


おそらく、おそらくですが、
日本人の食事マナーに関する平均的な躾というのは、
世界の中でもかなり高レベルにあり、厳しいものだと思われます。

(それぞれの文化圏に独特のマナーや共通認識があるのは今は置いておきます。食事に左手は使わないとか肉は食べないとかタコは怪物とかね。)

扱うのが難しいお箸を綺麗に使えること、
焼き魚をお箸を使ってなるべく手数少なくスマートに食べ、
食べ終わったお皿の上がいかに美しいか。

そういうの、結構気にしませんか?(デートとかでも。)

でも、食べ終わったお皿の上が綺麗で整っているかなんて、
たいていの国では気にもしませんよ。


だけど、わたしは気にしてしまいます。
そういうふうにしつけられてきたからです。
汚いのはマナー違反であり、同席の方に嫌な思いをさせないように、
と教育されてきたからです。

特に、咀嚼しているときに口の中身を見せることについては、
かなり厳しく親から言われました。(なので必然的に咀嚼中のお喋りはOUT)
なので気にします。
それが当然であると思ってきました。


ですが!!!!!!

海外の人たちと食事すると、別にそれが当然じゃない!!!!!!!!


やばいよ笑


みんな普通にクチャクチャ音出すし、
韓国で見たテレビでは、アイドルや綺麗で上品な女優さん、
YOUTUBERもそうなんだから、
誰もそんなこと気にしてないってことなんだよ!!!!
(日本だったらすぐネット記事+掲示板だよね…)

気にするっていうか、
そこに一切意識がいかないんだろうね。

日本人だったら、たぶんソッコーで意識がそこに向かって、
食事の最中いかに気を紛らわすかで苦心しそうなところ、
誰もまったく気にならないんでしょう。



それ見てさ、
「わたし、食事のときクチャクチャ音出して食べる人生理的にムリ―」とか言う人いるじゃん?

あれ、生理的反応じゃなかったんや、って知った・。


完全なる、刷り込みによる反応でした。



たぶんね、
日本国民の多くが、似たような食事マナーに関する教育(刷り込み)を、
割と厳格に受けてきたから、
全体として「生理的反応」と錯覚できているだけで、実はただの偏執的こだわりでしたと。笑



うちら、別の国で生まれ育ってたら、
たぶん食事タイムも自由奔放にやってたよね。
もちろん自分もクチャクチャ食べるし、
目の前の人がクチャクチャしてても気にしないよね。

じゃあ、これも全然本質じゃないってことだ。


赤ちゃんも、そんなの気にしないからね。絶対。
汚い食べ方する人と一緒にいたくない、ってきっと思わないから。



だからといって、
「生理的反応」錯覚できるほどまで身体にしみ込んでいる観念について、
頭で「これは刷り込みの結果だ」と言い聞かせたところでやっぱり気になると思うわけ。
そして、わざわざ食事のテーブルをカオスにする必要もない。
自分の好みに従って行為をすればいい。


が、

人を裁かなくなると楽。

なんでこの人はこうなんだ、
なんでこの国の人はこうなんだ、じゃなくて、
「わたしの受けてきた教育(刷り込み)」を反応させるなぁ、
ってただ見ることができるようになるし、

それでも反応がきつくて大変!ってときはただ距離を取ればいい。
そこは好き嫌いで。(生理的嫌悪ではなく、自分のキャパシティーの問題でね。)




わたしは自分の脳みそをクリアにして、
モノの観方をなるべくニュートラル(ゼロ)に近づけたいという気持ちがあるので、
この気づきには正直びっくらこいた。

「生理的にダメ」と言ってることにすら、
「生理的」じゃないことがたっぷり含まれてるっていうことは、
今までOKとしてたことももっと全然疑えるってことじゃーん。

「これは正しいし善いし美しい」って勝手に前提としてることが
まだまだたーーーっぷりあるってことじゃーん。
それを疑わずして、上に何かを積み上げようなんて、欺瞞だし独善的だよねえ。
削ぎ落とすだけが必要なこと。



ゼロに戻る、
赤ちゃんの状態に戻る、
っていうことは、本当に一切の善悪がないところなんだと思う。

判断の基準は、
ほんとの意味での「魂の好き嫌い」のみ。

ジャッジがないから、ストーリーが一切ない世界。
すごい。
そりゃすげーよーーーーーー!!!!ブッダ!!!!!!
先が見えないよ 笑



って、この静かな興奮をruと分かち合ってくれる人、
どんだけいますかね?

…やばいよね?笑




2017年3月16日木曜日

義理人情、悲喜こもごも人間模様はわたしの人生にはいらない


一日八時間、週五での労働に、
根本的な疑問を感じてしまったように、

恋愛や家族関係についても、
自分の中での常識やイメージを塗り替えている気がするここ数年。



わたしの中に、

どうでもいいこと / たいせつなこと

の区別があって、
社会一般の常識や文化やルールのほとんどが、
「どうでもいいこと」に入るようになった。

昔からどうでもよかったんだけど、
更に「どうでもいい」の確信が強まってきた、
というほうが正確。

そして、自分がどうでもいいと思ってることに対して、
エネルギーをかけるのが馬鹿らしくなったし、抵抗(ていうか無視?)するようになった。

だってわたしにとって意味のないことだもの。



たとえば結婚についてだけど、


一般に、

「結婚は人生の墓場」とか、
「結婚する前は両目を開けてよく見て、結婚したら片目を閉じろ」とか、
「亭主元気で留守がいい」とか言うじゃない?

他人同士が一緒に生活を共にするんだから、
お互い気に入らないところとか譲り合わないといけないところが出てくるのは
当然としても、
なんかすっきりしない感じがあった。

「結婚なんてこんなもんよね」感が、

わたしは納得いかなかった。


それが人間界のスタンダードだとしても、
わたしの人生のその在り方はいらんな、って感じだし、
まあそもそも花嫁さんに憧れたことも人生の中で一度もないし、
今30になった自分でもリアルに想像できもしないんだけどね。


わたしにとっては、
必要なのは法律上の夫ではなく、
絶対の(命を預けられる)信頼をおけるパートナーだからね。

パートナーと一緒になることで、
パワーアップして元気になって安心して活動できるようになるんじゃないなら、
意味ないじゃん。

そいつと一緒になって息がつまるとか、
毎日文句言うとか、
なんのために一緒にいるのかちっとも意味がわからん。

相手のことも自分のことも馬鹿にしてるよね、って思う。




それでね、

前は、夫婦漫才・おしどり夫婦みたいな夫婦もいいのかなぁって思ってたんです。
小さなことで喧嘩して仲直りして、みたいな。
ときどきの浮気心ややきもちをスパイスにして人生を楽しむという、
マンガやドラマでのよくある仲良し夫婦。


今は、
それもわたしの人生にはいらんな、という感じ。笑
「人間ぽくて」「ベタ」で、「人情」、ときには「悲喜こもごも」を感じられるそれ、

うーん、


わたしはいらんな。



そもそもドライな人間っていうこともあると思うんだけど、
その人間ドラマのやりとりにはちゃんとからくりとパターンがあって、
それも前よりは見えてきたし、
見えてないうちはドラマを演じることも意味があると感じるけど、
わたしはもう面倒くささのほうが勝つ。
白けちゃうというか。

(若くなくなってきたからか?)
(でもときどき気づかず楽しんでる)


大恋愛、とか
超やる気、とか
そういうんじゃなくて、

淡々とシンプルにやっていきたい。


わたしの中で「たいせつ」に分けられたものだけを大事にして。


でも、わたしが「どうでもいい」に区分したものの中には、
世の中の多くの人が「たいせつ」に入れてることがいっぱいあるから、
そして彼らはみんながそれを守るべきだと思うだろうから、

わたしは自分の「どうでもいい」と「たいせつ」を守るために、
傍目から見て戦ってるように見えるかもしれんなぁ。

頑張ってるね、そんな頑張らなくても長いものには巻かれたらいいんじゃない?って思う人もいるだろうし、確かに『世の中の「たいせつ」に従うフリ』を覚えることも生きる術として意味があるかもしれないけど、
その『世の中の「たいせつ」に従うフリ』がそれなりにエネルギー食うことならやりたくないしなーーー



去年とか、
芸能人の不倫で世の中は盛り上がってたけど、
そもそも他人の話でよくもあんなに盛り上がれるな、という感じだった。


そして「不倫」ってなんなんだい。

「浮気」ってなんなんだい。

やっぱ「身体の関係」が一番重要なことなのかい。

心の中では誰かを想いながら、
結局別の人と添い遂げるのは「切ない美しい純愛」になるのかい。

同じ会社の同僚に好意を持って、毎日その人とすれ違うことを楽しみに会社に行ってることはOKで、奥さんへのあてつけの気持ちで一回お酒のはずみでホテル行っちゃったらOUTなのかい。


なら「わたしの結婚観の中では身体の関係の有無が一番重要です」って言えよ。


そうなの???




????


わかんないなぁー。


みんな、鬼の形相で「不倫」を裁くけどさ、
それってなんなの?

心変わりじたいは仕方なくない?
するなといっても、変わるもんは変わるでしょ。


嫉妬しちゃう、
ショックを受けちゃう、
ルール違反だと感じて裏切られたと感じちゃう、
相手を罰してやりたい、

そんな自分自身の心のメカニズムについては思いをはせないのかい。

「そんなの当たり前でしょ」で、
自分を見ることから逃げるのかい。

「好きだからそんなことされたら傷つく」っていうのもいいけどさ、
そもそもあなたが相手のこと信頼できてないのが、一番の問題じゃないのかい。


相手と深いところで繋がれてない、
ってわかってるからずっと不安なのでは?

相手がいないと不安なのは、
自分が自分と繋がれておらず充足もできていない飢餓状態だからでは?


ってやってくとさあ、
結局自分の心の深いところばっかり見ることになって、
そうするとたぶん世の中のほとんどのことに対して、
「どーでもいいですよ♪」ってなっちゃうのだよね。


もしくは、新しい解決法を考えつくか。



ruの場合ですと、
過去の恋愛で嫉妬心と疑念を抱いたとき、まずそんな自分が嫌になった。(彼は無実。笑)
で、苦しみから逃れるために思いついたのは、
「相手が好きになった人まで好きになれるようになればいいじゃん」
でした。
わたしも女の子イケるようになったら、
それはそれでココロの平安に近づくんではないか?と。
バイの超博愛主義になっちゃおうかなと。(なれるかな)



で、上のやり方(外側のやり方)にトライしてみるのもいいけど、
今となっては、
嫉妬しない、という境地もあるのかも、という結論に。


自分が勝手に好きで、
相手から何もかえってこなくても好きで、
悔しいし損だからさっさと次に進もうと思っても頭から消えなくて、

わたしが相手を想うのに、相手はいらない。



相手が関係ないなら、相手の浮気相手や心変わりの相手なんて、
もっと関係ないわ。笑


じゃあこれは自己完結しているじゃないか、

という話。


ていうか、ほんとは人生すべて自己完結なはずじゃん、という気づき。


一緒にいたいからいる、
一緒にいたくないから離れる、
したいからする、
嫌いになったから止める、
変わったから変わる、
嫌われても好きだから好きのままでいる、


ぜんぶ自分の内側に従って動いて、
しかもそれは「今だけ」の話。
将来はわかんないけどね、という話。


ほんとはみんなそんなふうに在ったはずだけどね。





どうでもいいこと / たいせつなこと

が反転した社会で、
それに気づいたなら、
こんどはじぶんで選んでいくしかないよね。

「しょうがないじゃん」の言い訳も、
今言い訳してるなぁ、って自覚してする。


でも悲喜こもごもあったほうが人間らしくてたのしいって考えもわかるから、
どっちが上等の選択っていうのはないけど、
わたしはそういうのからは脱出していく。


脱出したら、誰からも褒めてもらえないし表彰もしてもらえないけどねー。( ̄∇ ̄;)ハッハッ



2017年3月15日水曜日

今はまだ一人でいることが必要な時期



こんばんは。
ちょっとだけご無沙汰しております。

わたしはまだまだ、
自分のことを一番大事にできていないと気づいた一週間を
過ごしていました。
ruです。


端的に言うと、四泊五日で旅行に行っていたんですけど、
その間、家族や普段一緒にいる友人ではない人たちと一緒にいて、
楽しいのだけど、
どこか「あ、これはわたしじゃない」と思う瞬間が多々あって。
それがちょっとずつ違和感として積み重なって、
エネルギー漏れで疲れてしまっている自分を感じてました。


このblogでも、しょっちゅう「自分に集中」とか書いてるし、
前に比べたら進歩はしていると思っていたんですけど、
AWAYの場というか(とはいってもみんな好意的な人なんだよ)
「いつもの人・いつもの場所」ではないところでは、
まだまだ外側を気にしてしまうようです。

わたしが、自分が進歩していると感じられていたのは、
そもそもHOME限定の話だったのかなぁ、とちょっと振り出し気分を味わったり。


旅行先でこの感じを味わうことが多いですね。
なんでだろう。

まず、人と一緒に行動しているから、
自由気ままに動く、ということが難しい(と感じている)。
今回は別にスケジュールをきっちり立てて動く感じでもなかったし、
相手だってそういう人たちではなかった。
だけれども、やっぱり自分のHOMEでないと、
どう動けばどうなる、という予測を立てるのが難しいので、
気軽な提案もしにくくて余計な気を使いがち。(わたしの場合)

さぐりさぐりやってる感じで疲れる、というのがある。

もちろんそれには相手との親密度も関係してくる。
家族とかすごい馴れている相手であれば、
気分次第のスケジュール変更も、もっと気軽にできるよね。
たぶん。



あと、これは帰ってきて後も感じているんだけど、
旅の最中、はっとしたこと。
わたしは、誰かがわたしのためにやってくれたことを重く受け取りすぎる。

「ありがとう、でもやっぱり要らない」とか、
「ありがとう、でも今は別のものが食べたい」とか、
全然言えない。

ほんとに全然言えないわー。とほほ。


今日の夕飯の親子丼にしてもそうだ。
午前中の段階で、母が「今日は夕飯親子丼にする予定」と言った時点で、
わたしは、「鶏肉と卵かぁー、デトックスしたいし野菜とフルーツだけがいいな」と思いながらも、
「へぇ、いいねー」とか言ってしまった。

そして夜になり、
わたしは外出していたので帰ってきたときには両親は食後。
母は「ボールに入ってるやつ(加熱された具)、自分で調理したほうがいいと思ってあんたの分だけ取ってあるから、卵とじして食べてね」と言う。
鍋を見ると、両親が食べた分の残り(卵とじ後)が入っている。

わたしはどうしたか?

まず鍋にあった両親の食べたやつの残りの分をご飯にかけて食べて、
そのあとボールに入った具を鍋に移し、それを卵とじしてそれも食べました。

これ、わたしが望んでることじゃないよな、って思いながらね。


………。


分かってるのに、やっちゃった。
旅の中で、ちゃんと自分で感じてることもっと大切にしなきゃ、
って思うことがいっぱいあって、

の、その後。



もーーーーーーーー

絶対さぁ、
わたしが食べなくても、あしたの家族のご飯になったり、
なんか別の展開があったと思うのよ。

だけど「あなたのために」「よかれと思って」が、
相手の本心だった場合、
わたし、(自分は無理してでも)それに応えなくちゃって思っちゃうクセが強いみたいだなぁ!!!!!(´;ω;`)ウゥゥ
自分のことはどうでもいいんだなぁ!!!!


がっかりさせたくない。
傷つけたくない。
あと、自分勝手って思われたくないんだろうな。



もう、ほんとにさぁ、
相手が嫌なやつだった場合とか、嫌なエネルギー出してるときとか、
自分が変な人とか思われるのはもういいんだけど、
相手の好意を無下にする(と自分が思ってしまう)ことにたいして自分を貫くことは、かなり手ごわいっぽい。


これ、決してわたしが優しい人間だからというわけではない。
わたしが弱くて嘘つきである、というだけである。

でも、こういう課題の出され方をされるとは思ってなかったので、
意外なところをつつかれて痛いです。
誰も傷つかないし可哀想じゃないし、それがいいほうに転がっていくのだ。って頭では分かってる。
でも抵抗があるのは、たぶんわたしの気づいてない思い癖のせい…


これについてはまだまだ課題のありかをちゃんととらえたとは言い難い段階で、
自分自身にとほほ…となっている最中です。



でも、一人になって、ようやく内側を見る時間がもてます。
誰のことも気にせず、遠慮せず、気を使わず。
だからちょっと気を付けて見てみます。

本当は、誰とどこにいようと常に自分の内側に注意を払い、
何にも優先して自分の望みを叶えてあげられたらいいんですけど、
それは最終ゴール。
今のわたしには、まだハードルが高い。

だからこそ、わたしは今一人で時間を過ごすことが必要なのだな、と思います。
一人は淋しいとか思ってた時代を過ぎ、
一人で過ごすことになんの引っかかりもなくなり、
「一人で満足なんて、ほんとにそれでいいのかいな?」と外に出てみて、やっぱり一人の時間で自分を見つめることが必要なのだと知りました。
(帰りの飛行機の中で瞑想して、「うわぁコレコレ!これが必要だった!!!」と喜んだのはヒミツ笑)



最後に、念のため言っておきたいのですが、
わたし別に人嫌いじゃないですよ?笑

今回の旅の中でも、
周囲が「この子やっぱり変わってるな」と思うくらいには自分の希望を出し、
マイペースに振舞っていたと思います。
それでも、もうそんなわたしを知っている人しか周りにいない(会おうと思わない)ので、皆さまこんなわたしを全部受け入れてくれるわけです。
そうすると、やっぱり、「ありがたいな…」なんてジンとくる瞬間もある。
感謝しちゃうんだよね、勝手に。
やっぱり、ダメな自分として存在してもOKなんだ、受け入れてもらえるんだ、って感じられると、
勝手に感謝が溢れるものみたい。


皆さまには感謝しています。

でも、別のレベルでは、相手の「自分を押さえつけてる・無視・無理してる」が透けて見え、そのためにちょっと疲れたり。
だから「もっと自分の中心に戻ることができ(そして相手さえ引っ張り上げられ)るようになるために、今は一人でいたい」
そんなふうに心から望む自分に戸惑うところもあったり。


………。

うまく〆られんな。


そんな感じです。
おやすみなさい。




2017年3月5日日曜日

クリムトの世界

わたし、昔クリムトが好きだったんです。



超有名どころでいえば【接吻】



それから【抱擁】


【ダナエ】なんかも、好きだったなぁ


この、幻想的な官能美。
超エロいよね。笑
生と死の間(というか既にあの世に足を踏み入れている)感が、
当時のruにはとても気持ちがいいものでした。


仲の良かった友人が、
NHKの絵画の番組見てて、
たまたまクリムト特集だったもので「ruのこと思い出した」って言われるくらい、
(わたしはクリムトが好きなんて言ってない)
ruは何かがぎりぎりのところを生きていたのです。



でも、自分の安定度が増してくると、
以前キュンときていた作品に対しても、なんか違うってなってきた。

一言で言うと、「重い」のです。
「シリアス」なのです。
そして「フェティッシュ」。

「そんなギリギリ命がけで、二人だけの世界生きなくてもよくね?」という気持ちになってしまったruは、クリムトの世界からぬけることになったのでした。





重くてシリアスを愉しむときもあるし、
だからこそ味わえる興奮もある。
それはそれで気持ちがいいし面白いんです。
経験の厚みが増します。
だからその作品がいい悪い、経験や人がいい悪いとかはないんですよね。


ただ、最近の自分の書いてるものとか読み返すと、
あの頃からだいぶ遠いところに来たなあという感じがします。


あんなに、

繊細で壊れやすいもの、
危険で複雑なもの、
尖っていてエロティックなもの、
現実とは距離がある死に近いもの、

が好きだったのにね笑


今や、やっぱり素朴で簡単で適当で笑えたほうがいいや、
ってな感じになっちゃったわけだから。




基本的な感性は、生まれたときから変わらないものだと思います。

ただ、
難しそうなものよりシンプルなものがいいや!
めんどくさくないし!
って嗜好の変化は大きいですね。
当時よりは年も取った分、エネルギーも無駄遣いできるほどはないってことかもしれないですけど。笑


努力したくない頑張りたくない気を使いたくない


人間関係も複雑なのはめんどくさいから、
このまんまの自分で在って、
それでもいいやと思ってくれる人だけ周りに残ってくれたらいいし、

ファッションも、
いろいろ学んでそれを実践しある意味では捉われる時期も経て、
ほどほどに汚くない程度に整えて、
自分が気持ちよければいいやってなったし、

自分のめんどくさい性格も、
いやだいやだと言っても変えられるわけでもないし、
死ぬまで付き合わないといけないなら、
受け入れるのがいちばん楽で賢いと思ったからそうしてるし、


わたしは、ほんとに楽したいっていうのが一番にくる。
疲れるのは嫌。



悲劇のヒロイン楽しんでるなって今でも思うことあるんですけど、
それが現実化されるかもってとこに考えがいたると、すぐやめる。
現金な女。
気づいちゃったからねー。

だから、美しく儚く官能的に生きたいと思っても、
もう夢見るのも無理ね。
わたしはしぶとくたくましい。
というか女とはそういうものだが。



さようならクリムトの世界。

バイバーイ。



2017年3月4日土曜日

ダメ人間のプライド

またしても、やる気の出てこない時期を迎えております。

時間もあるし、
たっぷり眠ってて体力もあるし、
やりたいことがあるならそれに支払えるだけのお金もちょっとはあるし、
好きにできるはずなのに、やる気だけがない。

致命的。


こういうときは、
何かしら行動を起こすことでブレイクスルーをむかえることもあるし、
ただだらだらと毎日を過ごすうちにいつの間にか変わってることもあるし、
でも大事なのは無理やりではないこと。

なので、無理に元気になることは手放して、
たらたらと過ごしていこうと思います。

ちなみに昨日の夜から、
ゆるーく古塩抜き生活やってます。
トマトベースの野菜スープと、フルーツと、豆。
あと明日はさつまいも蒸すかゆでるかして食べよう。

【参考】身体の中からきれいにしたい!古塩抜きダイエットやってみた


今日は、ちょっとだけ買い出しに出かけてきました。

これ買いに。

これ買いにっていうか、
結果、これ買ってきたって感じですけど。


りんごとみかんと大根と赤ワイン二本とチョコたち。

赤ワインは、
シナモンとかスパイス系入れてホットワインにする予定なので、
1000円しない安めのやつです。
ホットワインはすぐに身体があったまるし甘いし好き。


買い出ししてきた以外は、
基本部屋で、しかもベッドの中でぐだぐだしています。
なんの生産性もありません。
二年前のわたしだったら、それだけで罪悪感を感じてしまうような時間の使い方。

今だって、それに満足してるわけじゃないんですけど、
全然ありになってしまったのは、よかったのかどうか。




ruのダメっぷりは、かなりのものなんです。
もし、そうは言ってもやっぱりちゃんとした人なんじゃないの?って思っている人(いるかどうか知らんけど)のために念のため言っておくと、

社会人として、大人として、という風にみると、かなりダメです

そういう自分もオッケーしていこうと、
日々の挑戦や気づきをこのblogに綴っているわけですが、
今日また気づきました!
わたし自分のことまじで社会不適合者かつ脱落者だと思うんですけど、
そんなわたしでも「こいつまじで何もできねーな」って人様に思われるのは、
まだ嫌だということを。

わたし、ダメを究めないとあんまり自分の存在に意味ないなって思ってるんですけど、
このなんの役にも立たないプライドね~~
「わたしだってちょっとは何かできるもん」って、ちっちゃい声で主張。

いらんからな。




職場でもわたしのダメ人間ぷりはもう充分に理解されていて、
しかも皆さま(驚きながら)受け入れてくださってもいて、
わたしだけ(ダメ人間)特別待遇をいただいております。
(「朝起きれないんだよね、仕方ないよね」みたいな)

年度末ということで人も動く時期。
わたしは、次が決まりもしないのに、
とにかく飽きた、辞めたい、という感情をもはや押し殺せず、
なんとなく辞めたい匂いを漂わせていましたら、
皆さまで一生懸命引き留めてくださって。

わたしは、自分でもこの理由は社会人としてどうなのか?と思いながらも、
「無理なんです、集中力持たないんです。脳みそおんなじとこばっか使って同じことばっかやってて飽きちゃうんです。無理なんです」
みたいなことをゆって、
結局相手方から「大丈夫、飽きないようにこっちで考えて仕事振るから。どうしても飽きたらまた言って。こっちでどうにかruちゃんコントロールするから。どうせ次決まってないんでしょ、とりあえず決まるまででいいから」という言葉を引き出しました。

いやいやいや。

辞めるチャンスだったのに、
「じゃあもうちょっとだけ(もう無理ってなったらしれっとやめよう)」ということに。

我ながら、これは職場の扱いなのか?と思いましたね。
もう、犬や猫やそういう類の扱いです。
〇〇とはさみは使いようとか言いますよね。
むこうが手綱をとってくれるそうです…わたしだって30の大人なのにね。



まあいっか。




って、よくねーーーー!!!!
って一瞬だけガーンってなって落ち込んで、ハッとしたわけです。
「わたし突出してダメ人間、社会不適合者だと思われてる??!いいの?!!」って。

それで更にそういう自分に驚いた。
まだ、自分でどうにかしようと思っていたかと。



わたし、できないことが多すぎるんだよな。

頑張ればできないこともないんだけど、
必死だから顔怖くなるじゃん。人寄せ付けなくなるじゃん。
わたしができないこと軽々やってのける人たち(しかもいっぱいいるんだこれが)に、
勝手にコンプレックスと苦手意識持って避けたくなるじゃん。
がんばった挙句ストレスたまって、休日は寝てるだけ。
とにかく嫌なエネルギーまき散らすことになるのは目に見えてるわけです。(というか過去はそうでした)

【参考】フラワーエッセンス、「劣等感」も逃げないで見つめます


一方で、
事務や電話対応、資料作成やわかりやすいプレゼン、スケジュール管理なんかをなんなくこなす人たちから、
「憧れる」とか「自由で羨ましい」なんていう言葉をいただくわけです。

こっちからすれば、
「じゃあ入れ替わりますか?」っていう話ですが、
実際問題無理ですのでね。
じゃあもう羨ましがられて勝手に尊敬されとくか、と思うにいたった。笑


だって頑張っても効率悪いんだもん!!!!!!!
辛いだけだもん!!( ;∀;)


そうして、
頑張らないことを意識し、
ダメ人間扱いバッチ来い、
罪悪感なんて丸めて捨ててやるぜ!と思って日々を過ごすと、
周囲からよけいに「あんたスゴイネ~やっぱり異次元の人だね~」という評価をいただくようになり、
結果職場でも上記のような扱いをされるわけですが、

こんなruにも人間としてのプライドというものが。ごにょごにょ。
わかってます不要なプライドです。
捨てる以外に道はなし。
ダメ人間のプライドなんてゴミだもんね。



わたしは、自然の恵み、人からのお恵みを頂戴して生きていく。
(そうじゃないと生きていけないです)


お恵みをいただけるに値するくらい、
自分を捨てられるようになることが、わたしにとっての挑戦です。





2017年3月3日金曜日

PD骨格と好み男性のタイプ



PCと骨格と好みの男性タイプについて、
オタクruが思うことを書いてみる。

初めにとりあえず断っておきますが、
(ていうかこのblogには常連さんしかいないだろうため、ご存じのはずですが)
ruはPD・骨格オタクなだけで、
プロのアナリストさんに診断していただいたこともなければ、
スクールに通って知識を得たわけでもありません。
なので、一個人の戯言として読んでくださいね。


♥♥♥

ruは、二重まぶた+厚め唇(たらこ)の、
日本人基準でいったら濃いめの顔立ちだと思う。
(デフォルメした似顔絵が得意な友人には、わたしの顔は円で構成されていると言われた)
輪郭はベース型で、顎がしっかりしてる。

それでいて、甘い顔。
PDロマンスです。
ちっともシャープさがないのです。
でもすごい女顔というわけではなく、
眉は太めで直線に近いアーチ。
全体がざっくりしているところがPDナチュラルっぽい。

骨格はウェーブ。
これはど真ん中だと思います。
肉感が柔らかくて、上半身は薄い。
胸やお尻の位置が低めで、華奢に見えやすい。
(小さく見えやすい)
下半身が太いことにコンプレックスがあります。



そんなわたしですが、

気に入って近づいてきてくれる男性は、
圧倒的に骨格ナチュラルのやせ型の方が多いです。
しかも奥二重か一重の、薄めの、よく言えばシュッとした感じの顔。


まあ、わたしは、
そういう人が好きです。笑


骨格タイプだと、ナチュラルの男性のカラダが好きで、
肩幅がしっかりあって、ほねほねしてる感じ♥
きゅんきゅんきます。笑

対して、

ウェーブの華奢さは、
なんだろう…男を感じない。
自分よりも絶対ごつごつしてて骨っぽいはずなのに、それでも異性を感じないのです。

ストレートの筋肉美、
女性でもお好きな方はすっごく好きですよね!友人にもいます。
厚い胸板や腕ね!
こちらはすごく男性的なのだけど、
わたしは筋肉よりも骨ばったカラダに惹かれるのでした。



わたしは太るとお尻や下半身、顔とかにもお肉がつきますが、
相手の方はそうでもない。
太ってもそうは見えず、相変わらず骨っぽいのです。
そこが好きです。笑




PDタイプで言うと、
ナチュラル&キュート系が好き。
ラフな着こなしが似合うのにキュンとする。
作業着とかも。

ドレスアップしてこそ、
という都会っぽさ、できる男感にはあんま惹かれない。
色気もいりません。

友人には、男はやっぱりスーツだよねとか、
シャツの前がはだけてるのとかがセクシーとおっしゃる輩もおりますが、
わたしはシンプルなTシャツとデニムとスニーカーや、
きったない泥まみれペンキまみれの作業着や、
ぐしゃぐしゃの髪に麦わら帽子とかに射られるタイプでございます。

特に、Tシャツの後ろ姿で、肩甲骨が感じられるのがもう…!!!!


あら、
気づかない間に口調が変わっておりますわね。
興奮しすぎたかしら。


でも実際、
あちらから近づいてきてくださるときには、
上に挙げたようなタイプの殿方が多く、
非常に驚いております。

ていうか、タイプってめっちゃうまいことできてるやん!
ありがとう神様!!!的な感じです笑


あら、

こほん、

また口調が変わってしまいました。



皆さまはいかがでしょうか。


わたしの過去を思い出すに、
暗黒期を共にすごしてくれた共依存相手の彼、
彼だけは、
おそらくPDロマンス、骨格ウェーブでした。
一重は一重でしたが、
シャープさやワイルドさではなく、
なんだか甘い、ちょっと弱い感じのお顔立ち。

見た目も性格も、本当はちっともタイプではない。
なのにあんだけもつれてもつれて
四年も一緒にいたんだから縁ってすごいなあと思うばかりなのですが。



話を戻します。



好みの基本はおそらく一生変わらないものではないかと、
ruは思っています。
それは、自分のタイプが一生変わらないから。


自分がはっきりめの顔立ちなら薄めが好き、
自分の体つきに凹凸があるなら、平べったいほうが好き、
なんかそんな感じで。

とはいえ、
薄い顔だけど薄い顔が好きっていう人もいますし、
このルールが絶対とは思ってないんですけど、
周り見てもその傾向はあるなと。

それに加えて、
その時代流行りのルックスだとか、
実際にどういう土地にいるか(たとえば沖縄なら全体的に濃いめですし)っていうのも
影響してきますよね。
濃いめの中での比較的薄めを選ぶってこともありますし笑



まあこんなカテゴライズあんまり意味ないじゃんって思う方もいるかと思うんですけど、

わたしの場合、
「自分の見た目、自分の好みじゃないわぁ」ってちょっと思ってたんですけど、
自分の実体験から、
「普通にしてても好みの相手が勝手に寄って来るもんなんだ」
「この顔とカラダあってこそ、そういう相手を惹きつけるんだ」
と気づきを得て、
「じゃあどんだけこの自分の魅力を尖らせるか」という方向に考えが変わったんです。

具体的に言うと、
ruは骨格ウェーブでお尻や脚に肉がつきやすく、
いくら痩せても重心がどうしても↓にいきがちで、
スニーカーを履くとえてしておばちゃんぽくなるし、
シュッとしたかっこいい着こなしが苦手なのが気にくわなかったんですが、
「わたし好みの男性たちはこういうぼてっとしたカラダつきが好きなのかも!」
と思ったら、まあいいかみたいな笑


(何がまあいいかなんだ笑)



あっ!!!!
もう一個言いたいことあった!!!!

ruは、男性がアプローチをして女性がそれを受ける、という形が、

なので、男性の本能的なタイプが正解です。
あっちが、探して見つけるんです。
男性が見た目で「この子!」と思えるのが正解。
まだまだ原石だったとしてもゾーンに入っているのなら、ご縁あり。
どんなに美人で性格が良くても、あんまタイプじゃないと男性が思うなら、もう女側からできることはない。
どうにかして縁を結んだとして、たぶんフィットしない。
諦めるが賢明。

基本、女は待つ立場です。
演歌みたいですが笑、そうではなくて!

たぶんあなたが、
あなたのまんま咲いていたら、
(イキイキしてる、ってことですよ)
あなた好みの、
(好みじゃなく見えたとしても)実はあなたにぴったりの人が、
そのうち見つけてくれる。
あっちが選んで、こっちが選ぶ。

その順番を勝手に変えちゃダメだと思います。





以上!!!!


PDと骨格の話からだいぶ遠いところまできてしまった。


それではさよなら♥