2017年4月30日日曜日

男の人の純粋さを笑わないで


男女について考えている。



弱くてはいけないのか。
泣いたら弱いのか。
泣かなければ強いのか。





女性たちに言いたい。


男の人の純粋さを笑わないで。
馬鹿にしないで。
軽蔑しないで。
一番柔らかくて綺麗なところをふみにじらないで。
汚そうとしないで。

自分の感じた痛みを味合わせようとしないで。

それは意味がない。
全部自分に返ってくるよ。

世界にさらなる泥をぬりつけたのは自分だ。




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洋楽のヒットチャートのランキングを見た。

MVと音楽と歌詞と…



上位の曲を聴いていて、
いくつかについては正直「………」ってなった。

クラブミュージックとして、
ノリよく流せるように設計されていると思う。
そして成功しているとも思う。
だから「Cool」なんだとも思う。


でも、それらの曲に少しの違和感も混じらず聴ける(ノレる、入り込める)状態っていうのは、結構な神経麻痺状態で、たぶん自分自身が大っ嫌いなときだろうなと思った。


自分のいちばん大切で無防備な部分に何重にも蓋をして、
そんなものはなかったとうそぶいて、
痛いのを誤魔化すためにもっと強い刺激を求めるとき。

もっとちょうだい、もっともっと刺激を。



本当にほしいのはそれじゃないのにさ。



でも、そういう音楽がヒットチャートの上位にたくさんあるってことは、
わたしたちが酩酊した無意識状態ってことだからね。

めっちゃ病んでるなって思っちゃった、
陽気で強気でセクシーな洋楽聴いて 笑



でも、人間は、病んでいたいのかもね。



内側見るのって全然気持ちよくないし、
集団でハイにもなれない。孤独だし。




わたしはとりあえずそれを見て、
わたしはあそこに戻りたいか?名残惜しいか?
と自分自身に問いかけるチャンスとしました。


わたしにとってその世界は、正直まだ誘惑パワーを持ってるんだけど、
頭は誘惑されども身体は胃もたれみたいになるんで、結論NOですね。



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今日は、お肉を少し多めに食べました。(家族でバーベキューだったのです)
無意識じゃなくて、ちゃんと自分の意志で選択した結果、食しました。笑

好奇心と、すこしの気遣いがあって口にしたのですが、
これぐらいなら別にいいだろうと思っていたのに反して、
お腹の具合が明らかによくない…
(味は美味しかったですよ!)


次はもっと慎重になると思います。
口にしないという選択肢も現れてきました。



なんかなー…

数か月前よりももっと厳密に、
身体が動物性の食品を拒むようになってきた気がする。
(植物性を求める、ではなく)

お酒も、そうかも。
(全然飲みたくない、飲んだら飲めるけどテンションが上がらない)


前は、そっち側の世界へ切り替えていこう!と自分から思ってた感じでしたが、
今は、あっち側の世界にはもう戻れないところに入ってきたかも、という感じ。
ちょっとだけ戸惑いがあります。



わたしに完全なる選ぶ権利と自由が与えられているということは、
わたし以外が決してそれを正したり否定してくれないということでもあって。

すごくプレッシャーのかかることでもある。


全部「OK」だし全部「いいよ」だから。


誰かが止めてくれる、
誰かが助けてくれる、はない。

瞬間瞬間にわたしが何を選ぶか、何を見ようとするかだけ。


依存はない。


というよりも「依存していたいなら依存もいいよ」なんだけどね。


そういう厳しさがある。




タイトルとは離れた内容になってきたので、
このへんで。
おやすみなさい。




2017年4月28日金曜日

所詮あなたは人間なのだ



内観を続ければ続けるだけ、
自分が大した人間じゃないことがわかる。

汚くていやらしいことを考える、器のちーさな人間。



内観とか瞑想とか、
やればやるだけ「聖人」みたいな綺麗な存在に近づけると思ってた。

だから頑張らなきゃと思ってた。


「愛と光」になるために 笑




でもその発想でのスタートがそもそも間違いだった。

やればやるだけ、
自分がいかにどうしようもないかだけがわかった。


自分が「これは絶対に善」と思っていたことすら嘘で、
その裏っかわには汚い計算や依存が混じっているのを何度も見つけた。


おお、

思ってたのとちがう!


これは、全然思っていた「愛と光」の道ではないぞ?
と気づいた。


「自分」というものが、いかに「我」で、
残念な思い癖とそこから派生する感情と行動パターンで成っているかがわかった。



だから別に内側見てても幸せな気分になんかならん。

だって汚いんだもん。


自分がこんなにちっぽけで卑しくてずる賢いとは思ってなかった。
それどころか清く正しく美しい存在だと思っていた。

まじか。

あまりに勘違いひどすぎてわらけてくるわ。
自分をわかってないって怖いね~





でも、それを一端受け入れると、
すっごく楽にはなる。

人生が楽にはなる。




自分の中身がここまでカオスで残念な感じだと、
「いつも笑顔で清く正しく」なんて、
うすっぺらで寒々しい標語にしか思えない。


ムリムリ、それ演技しないと無理だから。


目指そうとも思わんわ。
遠すぎて。


無理して演じたところで、
たぶん見えない変なガスが出るし、
嘘ついたストレスとまったく同じ分量で自分の内側にまた澱がたまるだけ。

それまたドブさらいしないといけないんでしょ、自分で。


やってられっか。


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このblogを読みにきてくださっている常連の方は、
たぶんわたしに似たタイプの方が多いんじゃないかなと思います。


なんか嫌なことがあっても、
人を責めるとか悪口を言うというよりは、
「わたしが悪いんだ」って自分を責める系の 笑

悪口言うのは人への攻撃だけど、それよりは自分に攻撃したほうがいいと考える系の。

(そのほうが気が楽。というのは、そっちが正しいと思ってるから。「少なくともわたしは嫌なことがあっても悪口言ったりしないわ」的な自分へのアピール混じってました、わたしの場合は)


それ、たぶん自分に期待しすぎですね。笑




そんなあなたに贈ります。


わたくしの敬愛するOSHO様のお言葉です。



「所詮あなたは人間なのだ」

わたしはこの言葉にすごくほっとしたことがあります。


わたしは所詮人間なのだ。
何様のつもりだ。
思い上がりも甚だしい。

天使にでもなったおつもりですか?笑 (←鼻で笑う)


「愛と光」なんて目指さず、
不可能な何かを自分に求めるのもやめて、
普通にのんびり世界の端っこで生きて、それでいいんだよ。


そんな風に思います。




※「愛と光」と「透明」はわたしの中では完全に別です。
「透明な自分」とは、「かくあるべき」の一切を落としたあとのピュアなカオスって意味なので。それがカスだったらわたしがカスなだけです。




2017年4月26日水曜日

わたしはわたし以下の透明度の相手を選ばない



Jと接触したばかりの本当に初期の段階で、
ほぼパーソナルな会話はしたことがない段階で、
彼が「I wanna kill him.」と言った。


HIMが指すのは、北のトップであるキムさんのこと。


彼の友人が、
韓国海軍時代に北との衝突で殉職したという話だったと思う。

どんな流れでそんな話題になったかも覚えていない。


ただわたしは、
「Stop, I don't wanna hear that」と彼の話を遮った。
彼は少し苦笑してすぐ話題を変えた。






わたしは彼といて嫌だと思うことは一回もなかった。
他人といる気がしなかった。
「それはほんとうのあなたですか?」と思うことは時々あったが、
それ以外の違和感はなかった。


だけど、今でもその会話を思い出す。




わたしは、彼の中に、
怒りや悲しみ、憎しみ、無力感を見た。


そして、彼がその彼のままであるなら、わたしは受け入れられないと思った。

わたしは今も彼を忘れていないが、
それでもあのままの彼なら受け入れられない。



【怒りや悲しみ、憎しみ、無力感】モロモロ、
全部自覚して意識化して自分でどーにかしてからこいや(どこにだ)と思う。



こんな記事も書いた↓
【参考】わたしのために国を捨ててほしい


最近まで、なんで自分がそこまで厳しくなるのかわからなかった。

でも、
【参考】あなたの世界にはあなたの何が映ってる?

この記事で書いたことが理由じゃないか、と運転中に思った。



彼の中に葛藤があるなら、
それはただあるだけだ。


怒りや憎しみを北のトップに対して持っているとすれば、
それは本当はただ怒りや憎しみを持っているだけ。


方向性は関係なく、
彼は怒りや憎しみを持っている人間、というだけで、
それはそのまま現実に反映される。


誰に対しての怒りなら正当で善いもの、なんてあるはずがない。

それがなんに対しての怒りであろうと、
その人は「怒りを持つ人」であるだけなのだ。






人間は弱いものだから、
助け合って支え合って弱さを許し合って生きていく。

そういう風には、
わたしは今は思えない。


正確にいうと、
それを言う人によって、そうだよね、と思うことももちろんあるけれど、
たいていの場合は共感できない。
(その人の無意識の意図やのってるエネルギーによる)

依存の泥沼に見えることが多い。



だから、それが特別に深くコミットする相手なら特に、
そんな「本来の相手にはなかったもの」は受け入れられない。


わたしは、
わたし以下の透明度の相手を選ばない。

同等、しかありえない。






弱くてもいい。

わたしも弱いし汚いし特に優れた部分もない。

だけど、それをまっすぐ見る強さを求めたいと思っている。
相手にもそれを求める。


目をそらすほどに弱くあってもらっては困る。



それはそのまま自分自身への言葉になる。

わたしは彼に自分を見たのかもしれない。


もし一緒にいても、
今の自分たちのレベルでは、関係が深くなればなるほど、
これまでにため込んだたくさんの「色」を、お互いに投影する。

どうしてわかってくれない?
この人だって今までの人と同じだ、って。

見たくもないものを相手の中に見て。


そうなることをうすうす感じていたから、怖かったのかも。





わたしはどこまで自分に戻れるだろう。




Michael Jackson - Human Nature (Live At Wembley July 16, 1988)



素朴でシンプルであり続ける選択は、
この世界においては何より難しい。


難しいというよりは…

誘惑が多すぎて。


特別に見られたい、
特別に見たい、
成功したい、
わたしはこういう人間だ(という思い込み)、
楽しくハイになって大勢で盛り上がりたい…

ずっとそうやって生きてきたし、
多くの人がそうしている。


その中で、赤ちゃんのように、
そこにいてそのまま在る、
なんでもない「本来の自分」を生きるというのは、それ自体がチャレンジ。



誰からも強制されることなんかないし、
別にそうしなくていいところを、
自分の意志でやる。

いつだってその挑戦から降りられるというのも、誘惑のひとつ。




好きな人のために綺麗になろうなんて思わなくていい


好きな人、これから出会う特別な誰か、のために何かをする必要はない。


能力を磨いたり、
綺麗になろうともしなくていい。


そう考えるのは、
別に美しくも健気でもなんでもない。



「綺麗」にすらならなくていい。

ただ、自分に違和感のない自分であればいい。



こころに嘘はないか、
誰かに言われた言葉のために自分を裏切ってないか、
誰かに認められたくてやっていることはないか、

「本当のわたし」の感じ方で、これが「わたし」だと感じられるだろうか。



好きな人のために綺麗になろうなんて思わなくていい。



でも、

それはあなたの本来の姿と相違ないか、は確かめたほうがいい。


外見だってそう。
それが本来のあなたを表現するものかどうか。




わたしは、これだ。

これがわたしだ。


わたしはこの自分を表現したくて、
感じたくて、
そのために生まれてきたんだ。



そう思えるかどうかが自分の命にとっては唯一最大に重要なのであって、
他の誰かなどそれに比べたらどうでもいいことだ。



それが自分の子どもでも、
親でも、
恋人でも、
世界でも。

あなたがあなたでいようとするとき、気にするに足らない。


何一つ、
誰一人として脅かせるものはいない。



世界にはあなただけだ。





2017年4月25日火曜日

LOVERS



媚びる女は好きじゃない。
媚びる男も好きじゃない。

偉そうな女は好きじゃない。
偉そうな男も好きじゃない。

強くて優しい女は好き。
強くて優しい男も好き。

しょっちゅう嘘つく女は好きじゃない。
しょっちゅう嘘つく男も好きじゃない。

頭のいい面白い女は好き。
頭のいい面白い男も好き。

弱いところを自分で受け入れている女が好き。
弱いところを自分で受け入れている男も好き。

綺麗な女が好き。
綺麗な男も好き。

馬鹿ができる女が好き。
馬鹿ができる男も好き。

馬鹿な女は嫌い。
馬鹿な男も嫌い。

エロい女が好き。
エロい男も好き。

自由で勇敢な女が好き。
自由で勇敢な男も好き。


自分を知っている女が好き。
自分を知っている男が好き。





女も男も同じかも。




女と男で身体のつくりは違うし、
頭のつくりだって違うかもしれない。

社会から受けてきた教育も、
社会の中で求められることだって違うかもしれない。




でも、わたしが相手を見るとき、
自分と同じだとちゃんとわかっていたい。


甘えられたい、
頼られると自分には力があると自信が持てる、
いつでも見ててもらえたら愛されていると安心できる、

そんな関係願い下げだ。



存在は50:50だ。

いや100:100だ。

自分自身で立っている木が少し離れて二本あるだけだ。


誰であろうと、
隣にある木に影響されてたまるか。




「女だから」「男だから」

それは本当にそうか?

そう言っていたほうが楽だから、
そう言っていたほうが自分を改める必要がないからじゃないか
自分の中の不要な概念を捨てることから逃げているのでは、
と常に戒めたい。



パートナーにやられて嫌なことは、わたしもしない。



もし特定の誰かに深くコミットできる機会を与えてもらえるなら、

赤ちゃんや小さい子ども同士のように、
異性を意識していなかった頃のように、

そういう枠を知る前の自分たちで、この世界で助け合って生きていきたい。


親友であり同士として。




だから駆け引きなんて必要ない。

だましたりだまされたりなんていらないし、
存在しないもの。




好きだから一緒にいる。




それだけじゃやっていけないという人たちは可哀想だ。



でも本当は、
その人たちの関係は最初からそうじゃなかったんだよ。


「純粋な好き」じゃなかったから壊れた、
ただそれだけのこと。


好き、に激しさはない。
自然であり調和があり流れの上での必然という意味。




二人は社会のために生きるんじゃない。

そんなもののために生きたりしない。






以前にこんな記事を書きました。
【参考】男と女、かくあるべき論(ru ver.)

これも、もしかしたら違うかもって思い始めてる。




瞑想で何を達成しようというのか。彼らは同じ人のままだ。「JOY」by OSHO


わたしはOSHOの言葉を読むのが好きだ。



一言一言すべてに明確な意図があって、
理知的かつ詩のように美しく、
常にシビアな視点からこの世界の常識に対して反逆的だが傲慢さがなく、
当然だが媚もなく、
一文一文の均整がとれており、
伏線になっており、
さりげなく広げられたものたちすべてがさりげなく回収される。

すべての言葉が、シンプルで過不足ない。
大げさすぎることも極端に強すぎることも下品であることもない。


読んでいるとこころが静かになる。


こんなの、
「頭がいい人」が思考で話そうとしてもできるものじゃない、と思う。


だから、何か落ち込んだときや知りたいことがあるとき、
わたしはOSHOの言葉を探す。
(世界中の人があらゆるジャンルのトラブルについて過去にOSHOに助言を求めているので、たいていわたしの抱える問題についても語っているから)



以前は恋愛がうまくいかないときに手に取った「JOY」という本から、
それについての記述を引用した。
「孤高な人と孤独な人」の違い、
「二人の惨めな乞食が出会う」という表現は刺さったね。笑

【参考】今恋愛で苦しいってひとへ荒療治 「JOY  byOSHO」から引用☆



今日も「JOY」から。


ある人は美しいダンサーになっていたかもしれないのに、彼女はオフィスに座って、ファイルを積み上げている。そこにはダンスをする可能性は全くない。ある人は星明りの下でダンスを楽しんでいたかもしれないのに、彼は銀行通帳の残高を増やしているだけだ。そして、これらの人々は自分たちは不幸だと言う。「瞑想のやり方を教えてください」私は教えることはできるーーしかし、その瞑想で何を達成しようというのだろうか?それが何をもたらすと期待されているのだろう?彼らは同じ人のままだ。お金を貯め、市場で競争している。その瞑想は彼らを少しだけリラックスさせるのに役立ち、その結果、彼らはこの馬鹿げたことをもっとうまくできるようになるかもしれない。

(省略)しかし、それはあなたが何であれ、今のままにとどまるのを助けるだけだ。それは変容ではない。

だから、私のやり方は、本当に勇敢な人々、自分の生き方そのものを変える用意と、すべてのものを賭ける用意のある向こう見ずな人間のためのものだーーなぜならば、あなたには実は、賭けるものは何もなく、あなたの不幸、あなたの悲惨さがあるだけだからだ。

(「JOY」p.9ー10 まえがきより)




テレビを観ていて思った。



現代はストレス社会だ、とはよく言われる。

ストレスは身体に悪い、
病気になる原因はストレスだ、自律神経の働きを乱す、
ストレスは万病のもと、というのもよく聞く。



だから、ストレス物質●●を抑制する▽▽が入っている食品を食べましょう。

仕事の合間に■分の休憩(睡眠)をはさむと(瞑想すると)α波(θ波)が出てリラックスでき疲労物質が減るので効率的に作業ができますよ。

趣味はありますか?現代ではストレスケアも自己管理の一環です。



テレビでは、
たくさんのストレスがあることを前提に
その環境が変わらないことを前提に、
どうすればいいのかという方法をいくつも提案してくれる。


それが現実的なやり方なのかもしれない。



でも、

そういうのを見ていると、
まるで「ストレスを感じることが悪」みたいに思えてくる。

「ストレスを感じてしまう心の弱さ」
「ストレスを感じてしまう身体の弱さ」
そんなふうに軟弱な自分(人間)であることが悪のように思えてくる。



え。

「ストレス社会」が異常なんじゃないの?




でも、それが現状ならば、
それにあーだこーだ言うのはガキっぽいことで、
なるべく摩擦なく順応するのが大人というものだって、
割とみんな思ってる気がする。



じゃあ、わたしたちは、
死なない程度に生かされるために生まれてきたのね?

壊れない程度に無理させて。

痛みに慣れて感じなくなれば好都合だね。



壊れそうになったら対症療法で手を打って、
また次のストレスに立ち向かう。

そのために生まれてきたのね?



だとしたら人間ってまるでロボットみたいだな。




もちろんその中でだってささやかな喜びや日々の楽しみはあるし、

お酒飲んだり誰かの悪口言ったり、
好きなものを買って、
一年に一週間のまとまった休暇に海外旅行に出かけられる幸運を喜び、「非日常」を最大限に満喫し、

たまったストレスはなかったことに。



この時代にボーナス出るだけありがたいよ、
週二で休めるだけありがたいよ、
仕事があるだけで、
家があるだけでありがたいよ。

だって、それすらない人もいるんだから、
みんなガマンしてるんだから、わがまま言ったらバチが当たる。



それ考えるのが現代(日本)の社会だし、
それに従えないやつは落伍者になるだけだし、
ときどき朝の電車が止まっては誰かの舌打ちを耳にする。

そういうものなのかね。




「ストレス社会の中でどう病気にならないように生きるか」というテレビ番組を作ってる人だって、

眠くても眠らず、
静かな自然の中で何もせず何も考えない休暇を長期でとるなんて思いもよらず、
理不尽に怒鳴られても低姿勢で謝り、
栄養剤とサプリで心と身体を支えている人が大勢いるだろう。


だから、
そこからの情報は、その視点のものになる。

もしもっといい方法を彼らが知っていたなら、
それをシェアしてもらえる可能性もあるだろうけど。

みんな必死は必死だ。
誰も悪気なんかないのだ。

だから悲しい。





もしOSHOの言うように、
本当は星空の下でダンスを楽しんでいたかもしれない人がいても、
一生それに気づかないまま死んでいくとしたら、哀しい。




Ed Sheeran - Thinking Out Loud [Official Video]



この歌も、MVも好きです。

野性的で自由。ロマンティック。



いつだってこの気分で生きていきたいし、
こういう在り方で恋がしたい。





ここ1、2カ月で買ったお洋服たち♥(写真あり)


最近買ったものを紹介(メモ)します。
すでに以前の記事で載せたやつも含みます。







まずこのブラウス。(前載せたやつ)
沖縄だと今の季節で晴れてるときが一番着頃って感じ。

そのままデニムと合わせて着ています。







で、BC.STOCKで買ったこれら。
Tシャツ的なものが少なかったので、揃えられてよかった。

濃いピンク(赤とマゼンダピンクの間ぐらいの色かな)もグレーベージュも、
どっちもコットン100で、デコルテが広めに開いている。
好きなデザインです。





MICHIKO KOSHINOのバッグ。



上のカットソーとバッグとデニム。
(そういや無印デニムも一枚買い足したね)

バッグ大きいでしょ、結構容量あるんですよ…。
二泊ぐらいの旅行ならこれでイケる気がする。






あとユニクロでも。。
 この二色をお買い上げ。


スーピマコットンで、
着ると形もすごい綺麗なの。。。
痩せて見えるし丈も長すぎず短すぎず、リブでシンプルすぎない。
(これは、ru比較で言ってますよ)

別の色ももっと買い足しておこうと思う。

(写真はすべてユニクロHPからお借りしています。)
スーピマコットンリブクルーネックT(半袖)

ってか今季のユニクロ可愛いの多くない?!







このスカートもマンガ倉庫で。
ニット素材で、タグからするとLAブランドっぽい。

わたしにとっては、ちょっと冒険的デザイン!





前に載せた無印のニットジャケット。

画像は無印HPからお借りしました。
オーガニックコットンジャケット 紳士M・ダークネイビー


可愛くて好みなんだけど、
デニムと合わせるともたつく。。色も紺紺で重くなっちゃう。

ショートパンツとかとならすっきり見えるはず!






メルカリで買った、
ZARAの麻のミニスカート。

お直しに出してショートパンツにしてもらうつもり。
でも、タイトではないにしろそこまでの幅がないので、
パンツに直せるかちょっと心配。





以上です!!!!



以前のわたしは無意識に白&紺ばかりを手にとっていて、
断捨離したクローゼットを見てもそういうのばっかりだったんです。

で、赤とかピンクとかオレンジとか、
そういう明るくて綺麗な色の服がほしいな~って思ってて。


写真見ていただいても分かるように、
多少、前とは方向性が変わってきてる。

合わせやすいとかそういうの考えないで、
最初のインスピレーションで目を惹いたものたちだけ。


ちゃんと、全部キュンとするやつだし。
見ていてもうれしい。
これは、前の、結構高めのものを慎重に買っていたときには感じられなかった感覚。



しかも、別に高いやつばっかじゃないしね。


満足度高い!うれしい!




それでは、みなさんもよいお買い物とうれしい時間をお過ごしください(*´▽`*)




2017年4月24日月曜日

あなたの世界にはあなたの何が映ってる?



「世界は自分の内側の反映」の件について。

最近ちょっとイメージが湧いてきて、
自分的には理解が深まった感じなのでシェアします。

自分的にはおススメ記事なので、是非読んでください。笑


※ 外側に答えなんかない、のru的解釈 とはちょっと違う見方です。



☆☆☆


わたしたちが生まれてきたとき、
真っ白だとする。

真っ白というか透明だとするね。


その透明さは、何もない透明さではなくて、
だからすべての人が同じ透明さを持っているわけじゃなくて、

「その人らしい感じ方」という透明さ。


100%「その人らしい感じ方」で世界を感じられている状態が、
透明の状態だとするね。



でも、成長していく過程で、
いろんな「こうじゃなくちゃいけない」「こう感じてこう思わなくちゃいけない」っていう、たくさんのルールや思い込み、つまりは制限を受け入れていく。
そこから生まれる葛藤や感情もね。


その、無数の制限にはそれぞれ色がついていて、
もとは透明だった「わたし」に落書きがされていく。
(わたしにきたインスピレーションでは、透明なジュースにいろんな絵具が混ざっていくイメージだったけど、落書きのほうがわかりやすいかな。)


無数の色が、どんどん重なって重なって重なって混ざっていく。


そうして、どんどん「その人らしい感じ方」が分からなくなっていく。



でもわたしたちがまったくのゼロの透明ではなく
「わたしらしい感じ方」という透明さをもってこの世に生まれてきたなら、
それを感じることが目的だったということ。


だから、ぐちゃぐちゃの落書きがされて、
わたしたちは途方にくれる。

なんか違う、なんか違う、なんか違うんだけどどうしたらいいの?




そうして、
ようやく「わたしらしい感じ方」を取り戻そうとし始める。




でも、この無数の色たちが混ざったそれ自体を、
ひとかたまりの色として取り除くことはできない。


からまった糸のように、
一つ一つの色たちを、
「これはわたしの感じ方ではない」と取り除かなくちゃいけない。



でも、

赤も紫も黄色も金色も緑も…
重なれば重なるだけ、混ざってこんがらがって、
何色がどんなふうに混ざってるのか判別しにくい。



最初は途方もなく見えて絶望して嫌になる。
やるだけ無駄だ、それよりも今の自分の感じ方のまま、
より楽しい方向へいけばいいんじゃないか、と思う。


選択は人それぞれ。




☆☆☆




でね、

こっからが「世界は自分の内側の反映」の話!(長かった!ごめん)



わたしたちの内側にある
「無数の色で落書きされた透明」
「無数の色が混ざって濁り水になった透明のジュース」
が、わたしたちの内側。

わたしたちの持ち物


映画でいえばフィルム。


だから、それがそのまま自分の外側の現実に投影されて映される。



赤くてとげとげしたものが実は内側にあれば、
それはもちろん外側に映る。


薄い青が内側にあれば外側に映る。



悲しみが内側にあれば外側に悲しみが映る。


喜びが内側にあれば外側に喜びが映る。



こういうシンプルな仕組み、
というイメージが湧いてきたんです。



ただ、上に書いたように、
透明の上には既に無数の色で落書きがされていて、
どれがどれの下にあるのか上にあるのかわかりにくい。


どの色がそれを起こしたのかもわかりにくい。


でもわかりにくいだけで、
ちゃんとそこにあるので現実化はされる。



だから、望まない出来事があったら、
単に「何かあるんだな」と思えばいい。

で、「わたしはこれがいい」とシンプルに願えばいい。


すると何か起きるはず。
その過程で「こんなの無理だよ」と感情が乱れたり、
邪魔をする人が出てきたように見えたり。


そうやって自分の内側にある、
それに関係する「色」に近づいていく。
核心に近づいていく。


その色を見つけたら、手放すかどうか選択する。



現状、その色はそこに置いておいたほうがいい、
となるかもしれない。
それもあり。

先に別の色を取り除いたことで、
その色も薄れて消しやすくなっている可能性だってあるし。


それを続けていって、

色数が少なくなるだけ、
その色がもたらすインパクトは強くなる。
ビビッドな影響力をもつ。

存在することでもそうだし、取り除かれたあともそう。



やればやるほど自由になる。
だから最初のうちが一番きついはずだ。



☆☆☆




わたしが透明になりたい、クリアになりたい、と望むのは、

「わたしらしい感じ方」の透明さを知りたいから。



今はどうやってもわからない。


一枚一枚、
一色一色はがしていって、
色の重なりが薄くなっていっているのは感じる。

濁りがだんだん透明に近づいていってるのは感じる。


だけど、まだ別の色。




ただ、「わたしらしい感じ方」の透明で見る世界は、
今見ているものとは全然違うはず。

だって「わたしの感じ方」が違うんだから、世界は別物だ。




そうだ、書くの忘れてたけど、
これが腑に落ちてから、
時間なんて存在しないっていうのがちょっとわかった。


っていうのは、

透明の上についた色たちが、
いつどんな経緯でついたかなんてどうでもいいということ。


大事なのは、今そこにあるということ。

そして、今そこにないということ。(ないは別に考えなくていい)


自分の内側のジュースにその色が混じっていれば、
自分の見る外側の世界にはその色が混じるということ。


いいとか悪いとかは全然ないってわかるよね。


そして、
それは外側の誰に同情してもらえるかどうかは関係なく、
自分が見つけて手放さない限りはそこにあり続けるということ。


今そこにあって、
今それによって外側の現実が現れてくる。


過去何があってとか、
未来に何が起こりそうとかはどうでもいい。


今、内側に何があるか、だけ。


重要なのは、わたしが今何を持っているか、だけ。




☆☆☆




だから最近は、
「嫌な事」があってもそんなに嫌じゃない笑


だって、自分の中にある色に気づくチャンスだから。

そう、本当に思ってるから。
(前よりはだいぶそう思えてる)


わたしの中に何があるか、どんどん見せて、早く見せて、
って感じ 笑


そうすればその分早く選択ができる。
そうすればその分早く「わたしらしい感じ方」の透明に戻れる。



まあ、
それは、それをわたしが望んでいるから、ってだけで別に正解ってことでもないし、
人によってはたくさんの色がついてるけど綺麗な色だからいいよ、
って人もいるだろうし。


そこはやっぱりお好みでしょう。



わたしはどうしたいか、
あなたはどうしたいか、
それだけが問いであって、答えでもある。



焦ってもしょうがないという意味がわかります。




以上です。





2017年4月23日日曜日

いい子ぶりっこと悪い子ぶりっこ



Happyちゃんたちがやっていることや言っていることの中で、
自分の中で「ん?それは新しいな」とか「ザワっときたぞ」とか、
とりあえず試したいと思ったことはできることから試してきた。

とにかく自分の枠を広げたいという気持ちがあって。

(Happyちゃんの言ってることの中で一番影響を受けたのは、
「データもらいっ」の感覚です。なので、彼女たちだけじゃなくて、いたるところからデータをもらってる感覚で生活してます。)



その中の一つが、

何度も書いているけど、
「食べたいものを食べたいときに食べたい分だけ食べる」
というチャレンジ。




わたしはもともとベジタリアンとか健康食志向で、
徹底はせずともそういうのが好きだった。
そういう食事の根底に流れるコンセプトというか思想というか佇まいも好きだった。


食べることはいのちを頂くこと、であったり、
だからこそ、ものを粗末にしないで生かし切る、であったり。

すべてのものに尊敬の意を示すことを、
食事のありかたを通しても体現することに共感していた。





なんだけれど、


そういう好みがあるのはわたしが小さい頃からなので、
自分にとってはすごくおなじみの思考法。


なので、もしかしたらそれが極端な偏りになっていたり、
食に対してもっと大らかというか鷹揚に構えることもできるのかも…という気持ちもあり、
「ファストフードも美味しく食べてみよう」
「インスタントラーメンも食べよう」
「お肉も、少なくとも出されたものは気にせず笑顔で食べよう」
「コンビニのお惣菜も、身体にいいと思って食べたら美味しくて身体にいいのでは?」
「寝っ転がったり、テレビを観たり、食事へ集中しなくちゃという縛りを解いて食べてみよう」

と思って、しばらくの間、どちらかというと「身体に悪いとされている」ものばかり食べてみた。



結果、

わたしはやっぱり、
なるべく野菜中心で自然なものをシンプルに丁寧に調理して、
それをなるべく見栄えよくお皿に盛り付け(これはわたしのセンスという制限がありますが笑)、
なるべく整えられた環境の中、
ゆっくり静かに食事に向かい合うほうが、
満足度が高いということがわかりました。



「こうでなきゃいけない」を外したくてやってみたチャレンジですが、
やってみて良かったと思います。

並行して、「お金を使う」や「コンビニを気軽に利用する」の
チャレンジもできたので。


食べ物を残す、ということについては、
現在も罪悪感がありますし、
でもこれは外したい罪悪感だと思っているので挑戦は続行します。
(自分の感覚を優先、という挑戦が一番の優先事項なので。)



なので、
スタートに戻ってきたような気がしたとしても、
わたしの中の自由度は高まったと思います。

わたしは結構極端に行動するので、
「断食してたと思ったら、今はアイスとUFO焼きそばですか?」
「結構なんでも受け入れるんだね」
みたいに家族や周りの人に思われてますけど笑、

いーーーーーんです!!!!



同じように見えて同じじゃないんです!!!!!!!!
わたしにしか分かんないかもだけど、
わたしの中には少し自分を知ったという変化があるんです。




たぶん、Happyちゃんは、
「こーでなきゃ、ちゃんとしてなきゃダメだ!!!!」って、
すごく四角定規というか視野が狭まって苦しくなっている人にむけて、

こんなダメでちゃんとしてない自分でもいいんだよー
ってメッセージを送ってくれているんだと思いますが、

それでわたしなんかは、
逆に「ダメ」とか「悪い」とされていることをやってみたら、
もっと自由になれるかも!と思ったわけですが、

それも全部人の好みとジャンルによる、ということが分かった。




たとえば、

わたしは精進料理が好きで、
茶道の凛とした静寂の場も好きで、
生き方や在り方についてストイックな人の佇まいも好きで、
「そんなのもっと雑でいいじゃーん」と言われても見当違いの提案ですが、

(いや、「そうじゃなきゃダメ」と苦しい人にとっては正しいアドバイスですが、わたしは厳格でもないし、もともと好みのレベルでゆるいので。)


もともといい人仮面をつけて生きていたわたしの、
「絶対挨拶はする」
「悪口は駄目」
「人のことを嫌いと思うのもダメだし言うなんてもってのほか」
「さぼるなんてありえない」
「お金の無駄遣いとか許されない」
という思い込みたちは、わたしにとってはとても苦しいものだったので、

「そんなのさもっと適当でいいじゃーん、人に嫌われたってムカつくダメ人間って思われてもいいじゃーん」
っていうパンチはありがたいものでした。


【参考】飛躍はせずとも変化はしてた28さい(お断り:長いですよ)
【参考】ダラダラ気持ちよく生きてやる、わがままの目覚め。29さいの目標
↑「いい人」をやめようと決意して、怖々トライしていた頃。心屋さんを知ったのはこれのちょっと前だったな。

【参考】わたしがサボるなんてありえなかったけど今はインチキしてます
↑もう二年近く前。当時は怖かったなぁ。

【参考】あばよベスコンプレックス
↑これに気づいて、わたしは相当楽に自由になったと思う。




まあ、これもトライしてみないと、
これらが自分の好みなのか外側の情報によって制限された上での選択なのかわかんなくてモヤっとすることがあったでしょうから、いい経験でした。

そして、
そもそもあんまり厳密にやらないっていうのがわたしのこだわりでもあったので、
それも確固たる感じになったし笑、単純に選択肢も増えてよかったです。




でね、
わたしこういうの時々やってないか?と思ったんですね。

【参考】なぜか「自分は間違っていてみんなは正しい」と思い込んでいた

この記事に書いたことです。


わたしには、ビニール傘を買って使い捨てるという感覚がどうしてもなじまなくて、
でも周りの子たちもそういうの気にしてないみたいだから、
「きっとわたしが気にしすぎなんだ、
わたしもビニール傘を使い捨てることに慣れよう!!!!」
と考えるみたいな。

「浮いてる」とか、「まじめ」、
「いい子ぶってる」と思われるのが嫌だったんですね。





わたしは小さい頃から、
人間の行為によって地球が痛がっているという感覚が強くあって、

人間が海を汚したり、捨てたゴミによって野生の生き物が死んだり、
どこにでもあるようなショッピングセンターをつくるために森林を伐採して土地をたいらにしたり…、

見てるだけで身体が痛むようだった。


でも、そんなのいちいち気にしていたら、この世界では生きていけない。


ネイティブアメリカンだって、
世界中の少数民族だって、
「文明」をもつ人々に侵略されて壊され飲み込まれていったじゃないか。

きっと強いほうが正しいし、
勝って残っているほうが正しいんだ。


キレイゴト言ったってわたしだってその文明の中で生きている。

弱いとものも言えない。
誰にも聞いてもらえない。
じゃあ、強くなるしかないじゃないか。
野蛮に、無神経に。



そして、自分の柔らかいところを殺した。



―――――――――――---------------------


最初のHappyちゃんたちの話からは、
だいぶ遠くまできてしまいましたが、
ビニール傘の話がなぜか浮かんできたので書きました。


今は、
「いい子ぶってる」とはじかれる怖れからの脱却をするときかな。



「いい子」とか「悪い子」はないんですもんね。
やりたいこととやりたくないこと、好みがあるだけ。


それをもし
「いい子ぶりっこすんな」という人がいたとしたら、
その人にとっては相手サイドが「善」で、
その人自身の望みや在り方、存在は「悪」だとその人が判断してるってだけ。



ほんとはどっちがどうなのかなんてわかんないよな。



ということで、オワリ。




2017年4月20日木曜日

きたものは全部出す。現在脳の排水中。



最近怒涛の勢いでblogを更新しているのは、
とにかく自分の脳の排水をしたいからだ。


ぜんぶ出して出して出し尽くしたい。


それでも思考はいくらでも湧いてくるので、
それも全部出したい。

わたしにとってはもうゴミだ。



もったいぶらず(というかもったいぶってないけど。自信がなかっただけ)
わたしにやってきたものを片っ端からOUTPUTして、
どうにか肉体の滞りに反映しないか願っている 笑


そして空っぽになりたい。




もし、アイディアというのが、
自分の頭で考えるものじゃなくてどこかからやってくるものだったら、
自分の頭で検討したり練り上げたり、
そもそも早くこいと焦ったりすることにはあまり意味がない。


きたものは素直に出す。



くだらないとか意味がないとか、
突拍子もなくて人にどう思われるかわからなくて怖いとか、
そんなことを言ってると取り逃がす。

置いていかれちゃう。


で、誰かがそれを言ったりやったりするのを見たときに、
「あれ私だってわかってたのに」みたいな気分になっちゃう。



同じものがきた、

でもあなたは無視したんだよね?という話。




わたしも昔は、そういうことをよく知ってそうな人に、
「●●がやりたいんですけど怖いんです。どうしたら怖くなくなりますか」
と聞いたりしていた。


いやいやいや、だよね今考えたら。笑


怖いけどやるか、
怖いからやらないか、だけしかない。
(そして別にやらなくても本当にいい。選べばいい。)


もっといい答えがあったら是非知りたいけれど、
今んとこそんな都合のいい答えが見つかってない。



だから仕方ないよね。

諦めよう笑




きたアイディアは出す。
思ったことは言う。
言いたいけれど言えないと思ったら、「今は言えません。従えません」と自覚する。


できることからやっていくと、
高く見えていたハードルが案外低く感じられてきたりもする。


でもこれが、やってみないと分からないこと。



やってみないと怖さが減ることもない。


いっつも、
自分からすると一番高くて離れた場所にゴールを設定して、
「あんなところわたしには無理。行けるはずない」と、
誰かの同情と共感を誘ってるだけになる。

そしてどこにも進まない。


そんな人に積極的に関わるのを望むのは、
同じように何かが怖くてそれに向かい合うのを避けている人だけ。
依存しあえるから。
こうして仲間ができる。


まともな人(自分の人生に責任を持とうと思ってる人)は、
きっと何も言わない。
言ってくれるとしたら、それを生業にしているかすごく想ってくれているかだ。


結局自分で決めて、
自分一人でやるしかないことだから。





って、そもそもこの記事書き始めた段階では、
こんなこと書くつもりはなかったのだけれど…


〆方がわかんないゼ。



アデュー(*´▽`*)





※ヤバい。この便秘解消法効果超ある!!!!笑


人のせいにしない



言葉は悪いが、
「使う」という意識でいる。



なんでもかんでも、
わたしにとって都合のいいように「使う」

人も物事もモノも。



すると、依存に陥らなくてすむ。

被害者にならずにすむ。

主体としての力を取り戻せる。





その人や物事やモノが素晴らしいのじゃなくて、
わたしが世界の中で素晴らしさを見出しているだけ。

だからどちらかというとわたしが素晴らしいのだ笑


いや、「素晴らしいフィルター」で世界を見ることを選択しているのだ。


それだけのこと。



そう思うと、誰のことも責めなくてすむし、
何からでも「得られる」


いつでも勝手に、
自分ひとりでバタバタやってるだけってわかってりゃいい。

それがわたしたちの自由。権利。



前は、このblogでも、

誰かの役に立つように、
誰かに悪影響を与えないように、
誰かに批判されないように、

そして
誰かに認めてもらえるように、

と思って書いてる部分が大きかった。




だけど、

自分が世界を勝手に切り取って勝手に解釈して勝手に「得ている」ように、
他の人もみんなそうしているんだ、
と気づいたら、

それをどうこうしようなんて傲慢だし勘違い甚だしいと思った。


このblogを読んで、どう思うか何を感じるかはその人の自由(勝手)だし、
読み続けるか読み捨てるかも自由だ。


解釈はどうぞご自由に、
と思えないと表現なんてできないよね。




前に読んだ、よしもとばななさんと蝶々さんの対談本で、
「有名人になるというのは、無数の誤解を受け入れるということ」
というような一節があって、

わたしは別に有名人でもないけれど、
今はそれがちょっとわかる。



もちろん、自分が言いたいことが正確に伝わるようには努めるし、
それが発信する人の基本的な姿勢であるべきだと思うけれど、
発信者がそれをやった後でも、
「え、そんなふうにとっちゃう?びっくり仰天\(◎o◎)/」っていうことは多発すると思う。

そこまで考えて、
批判とか無数の解釈をまともに受けて考え込んでたら、
発信とか自己表現なんて何もできないし、
そもそも考えること自体無意味だ。(無意味なことがんばるのは嫌だ)

だから結局、気にしないのが一番ということになる。



そして、
誰から何を言われてもわたしはわたし、
と思えないとそれができないので、
結局自分を見つめて知って信じるトレーニングを重ねていくことになるんだ。





みなさまどうぞご自由に、だ。




だからここに書いてあることでもし嫌な気分になっても、
ruを嫌ったり責めないでくださいね笑




2017年4月19日水曜日

視点をずらして視野を広げるんだ



わかった。

クリアな人、制限の少ない人、思い込みの少ない人、自由な人っていうのは、
周りから見てちょっとドライに見える部分もあると思う。



でも別に、

クリアになったからって、
すべて自分の思い通りに物事が動いたりとか、
大切な人を失ってもちっとも辛くないということではないんだ。


ただ、

人間的にはしんどくて苦しいことが起きたときに、

悲劇のヒロインぶったり、
周りからの同情や理解を求めたり、
ありとあらゆる余計なことに割く時間とエネルギーが少なくて、

苦しいまんま、
起こった物事や自分の感情を含めた現実を見ることができる人だ。


「苦しい、つらい。そしてわたしはどうしたい?」へと、
思考を瞬時に切り替えられる人。


つらいのをどうにかしようとするんじゃなくて、
ないことにして逃げたり
ほかの刺激で誤魔化すんじゃなくて、

つらいのはそのままそこにあるのを認めながら、
「じゃあどうしようか」と意識的に自分の在り方を決められる人。


ただ自覚的であるだけだ。



わたしは、それができるようになりたい。



そして、人間視点での「トラブル」や「不幸」が起きたとき、

「離婚、うけるー」
「リストラ、うけるー」
「病気、うけるー」
「逮捕、うけるー」
って、笑い飛ばしたいし、

すべてネタとして笑い飛ばしてくれる人を友人としたい。
心強いじゃないか。


普通に、心配されたり「大変だね」って同情されてもなんの役にも立たない。
不安エネルギーを上乗せするだけ。

(同情するなら金をくれだよまったく)
(そして、心からそう思ってない「大丈夫」はばれる)




まず先に、視点を上にとばす。

視点をずらして、視野を広げるんだ。




MICHIKO KOSHINOの茶色い布バッグを眺めるといい気分の今

今心地いいことってなにかなあ。



そう考えてみて、

blogを書くこともあるし、
人のblogを読むこともあるし、
アイスを買いにいくこともあるし、
チョコを食べることもあるし、
友達にLINEを送ることもあるし、
海にいくこともあるし、
家に帰って寝ることもあるし、
ドライブに出ることもあるし、
コンビニの駐車場で音楽聴きながら寝ることもある。



今思ったのは、
新しく買ったバッグを見ていると気分がいい、ということ。


数日前にマンガ倉庫で買った、
MICHIKO KOSHINOの、布バッグなんだけど、
素材と全体のフォルムが好みで…
色もすきだな。
なんかすごいゆるくてでも丈夫でモードっぽさもある。
(あとで写真貼るね) 貼った。


普段は、ロンシャンの紺色トートを使ってるんだけど、
それとサイズとかが用途がかぶるからどうしようかなと思って、
でも好みだから買っちゃった。


そして今ふと眺めて、

いい気分になれた。


これだけでも、買って良かったよね。
わたしにいいものをもたらしてくれてるよ。


役に立つとか立たないとかも大事だけど、
「あ、これ」と思ったもので自分の周りを埋めていきたい。


それって難しいし不可能だって前は思っていたけど、
そうでもないかもと思えてきた。
自分がその選択を許すかどうかだ。

心地よくないものを手放すことも同時にやることになるから、
(それを心地よくないと認めるのが辛い。自分のこころを直視するのが辛い。)
手放しはやりたくない人は、
結局好きなもので囲まれる世界も実現できない。


っていうか、いらないもの捨てないと好きなものとか必要なものがわかんないという仕組みだと思うけど。




2017年4月18日火曜日

happy&玲桜「お金とか服とかあげてるけど、相手の人格とか見てないから」って最高っす


今月のhappy channelで、


happyちゃんと玲桜さんが、
「みんな、うちらと一緒に旅行行きたいとか言うけど、
自己否定強い人だったらジサツしたくなると思う笑」
って言ってて。


まー、ジサツっていうのは刺激強すぎることばだと思うけれど、

要するに、

彼女たちが日頃一緒に行動しているのは、
ある程度常識(社会ルール)を抜いて、
ある程度自己否定グセを解いて、
ある程度以上に軽く自由になっている人ばかり。


だから、
そこに制限多めな「普通の人」がまぎれこむと、
「(常識的に考えたら)こう行動してくれるはず」っていう期待がことごとく裏切られてしまう可能性が高いし、
「気を使ったり」「合わせたり」してもらえなくて、

自己否定が強めの人だと、
「わたし、なんか変なことしたかな。嫌われたかな」って思っちゃうよね、
相手の言動に振り回されて思考の奴隷になって苦しむと思うよー?
ってことだとわたしは理解した。


彼女たちに憧れて、彼女たちを自分よりも上に置いちゃってる時点ではよけいに。




で、こっからが、
ruが「そうだよね(*´▽`*)!!!!!それでいいんだよね!!!!!」って
思ったことなんだけど。


「一緒に旅行とか行くと、あの人ばっかり服もらっててずるい!とかお金もらっててずるい!とか思う人いるかもしれないけど、別にそれはその人が好きとか嫌いとかじゃないから。人格とか全然見てないから、うちら」
みたいなこと言ってて


ちょーーーーーーーいいーーーーーーー( *´艸`)


ってなった。



「うちら人格とか見てないから」!!!!!笑


うける!!!



お金あげてるけど、そんだけ笑

人格とか見てないですから。笑


「なんなら、あげてすぐ忘れてるしな」って。



これ聴いて、
なんでだろう、めっちゃ楽しい気分になったんだよね。


だよねだよねそうだよね!!!!
そうでなきゃ!!!!!みたいなさ。


これ、
「あなたが頑張ってようと適当だろうとあんたの過去も今も未来も別にわたしには関係ないけど、今この瞬間にお金渡しとこうっていう「ふと」がきたからあげる。たまたま相手があなただっただけで別に特に思い入れはないから感謝も求めないしあなたもそれ重く受け止めなくていいからねー」 ← ruが感じた雰囲気を言葉にしてみました。

くらいの軽さと、ドライさを感じた 笑


情とか全然ないですみたいな。笑




きっもちいー♥



これがさあ、
「人というのはお互い様。困ったときは助け合うもの。人という字は支えあって…」
みたいなニュアンスの、義理人情満載ベタなコメントだったら、
ruはうえええええーってなってたよ。

(あの人たちが言うはずないけどな)



でもさすがhappyちゃん、さすが玲桜さん!!!!!!



目の前の人の人格うんぬんじゃなくて、
宇宙に忠実なだけですからってか。

そういうの、すきです♥



ruは、もらったもののお返しをする、とかがどうしても気持ち悪くて。

たとえばお祝いに1万円もらったから、
自分がお金包むときにも1万円渡す、みたいなの。
それを間違わないために、ちゃんとメモっとくみたいなのができん。


なんとなく今お金あるから2万あげたり、
好きじゃないからあげなかったり、
金欠だから2千円だったり…

みたいなの、許してくれよーって思ってた。


めんどくさいじゃん。



わたしはもともと、あげたい人にあげたいタイミングであげるっていうのは好きで、
サプライズとかもよくやる人なんですけど、
自分でもわかってる、これは自己満足です。

好きとか嫌いとかじゃなくて、
Aさんの誕生日のときはふと思い出したしあげたくなったからあげて、
Bさんの誕生日は忙しかったりとかふつーに忘れてた、あ、今年も忘れてた、
ってこともよくあって。


そんなのをさ、

「あなたがやってくれないからわたしもやりません」みたいに責められたら、
超萎えーーーってなるよ。

しらんわ、ってなるよ。


たまたまだよ!ってなるよ。



いや、自分も同じような思考回路で、
相手からどんくらい思われて大事にされているかを測ったことあるし、
そういう拗ねも全然理解できるんですけど、

やっぱそれって気持ち悪いコミュニケーションだよね、って思う。



あげたらあげっぱなし。それで終了。おわり。

っていうのがさ、
未来に「貸し」「借り」を持ち越さなくて済む、
すっごい身軽な在り方だと思うのね。

もらうほうも、あげるほうもね。



ruには「恩返し」の発想も全然ないし。

だから、「親孝行」の概念も、とっても違和感を感じるし。
(だから人がそういうこと言うと、「うわーこの人『親孝行』するんだ!すげー」って思う。ruは『親不孝』娘。でも『親不孝』も変な概念。)


恩とかなくていいと思う。



もしわたしが誰かに何かをあげたとしても、
それはわたしがあげたかったからあげただけ、
そしてもらった人はもらいたかったからもらっただけ、

で終了、っていうのが一番理想じゃない?


みんながクリアだったらそうなると思う。



まあ今は、
「いいのよー気にしないでー」とか作り笑顔で言いながら、
腹の底では当然のように感謝とお礼と恩返しを期待してる人が多いし、

それを感づいているから、
「この人は気にしないでとか言ってるけど、本当は気にしないと怒る人だから、それとなく露骨にならない程度にお返しをしなければ」
と気を使ってエネルギーを無駄に漏らしている社会にわたしたちは住んでいるけどね。


「お茶とコーヒー何がいい?」
「あ、結構です。今飲んできたので」
「(っていっても何も出さないわけにはいかないし)はい、粗茶ですが」
みたいな。

それ、質問の意味あんの?笑
本音と建て前文化すげー難しいよ!

お互い腹のさぐり合い。
そしてガマンと常識のぶつかりあい。(エゴとエゴのシーソーゲーム)

(気持ち悪いね)

…(´・ω・`) ショボン…





でも、めっちゃいいよね。

アゲルダケ。

「あんたの人格とか見てないし」
「うちらが見てるの自分の内側だけだから勘違いしないようにな」って笑


そういう世界最高っす!!!!!!!!!





天宮玲桜さんと相川陽介さんfacebookライブ動画メモ シェア



天宮玲桜さんのfbライブ動画を観ました。
相川さんと他にも(経営者の?)男性が何名かいらっしゃって、お話しされてました。


スタバのティッシュにメモしたのがあるので、それシェアします。
順番とか、言葉とかはめちゃくちゃです。




●玲桜さんは10年くらい会社勤めもやっていたけど、人間(社会)ルールみたいのがすっぽり抜け落ちている。ルールを守れない。でもそれは、神様が玲桜さんのエネルギーを守るため、変な雰囲気の中に置いておかないため。生命力を落とさせないため。


●内側がめちゃくちゃだと外側もめちゃくちゃ。だから、「ふと」に従うをやり始めた最初の頃は、人に批判されたり嫌われたり離れて行ったりすることになる。でもそれを続けると自分がクリアになり、周りもクリアな人ばかりになる。(それ以外は一緒にいられない)


●政治家の人たちはクリア。いくら抗議デモとかやってる人たちがいても、政治家の人たちは影響を受けない。自分はやることあって忙しいし、政治家とはそういうものだと思っているから外からいろいろ言われても気にしない。「今日は賑やかですね」くらいの反応。自分がクリア=頑丈な家に住んでいると、嵐がきてもどうってことない。
↑これ、すごくニュートラルな視点で話されてるの分かってたけど、わたしはザワっとした。後で書きます。


●人は暗い人には近づきたくない。ご機嫌な人が好き。それは、魂の喜びだから。繁栄や幸福は人を伝わってやってくるものだから、ご機嫌な人が結局繁栄していく。


●happyちゃんはアイディアマンでもなんでもない、「ふと」を降ろしてるだけ。普通の人は、これやったらお金になるかとか得になるかとか考えて「ふと」をやったりやらなかったりする。happyちゃんはそれを徹底しているだけ。


●メニューを見ずに飲み物を選ぶところから。何が飲みたいのか、氷は何個入れるのか。頭をからっぽにするといいが、それを自我が邪魔する。損得や計算が邪魔をする。


●これが好きとかあれがしたいしたくないなどは、全部「思わされている」こと。ゆだねることが必要。先を考えて計画するというのは自我。


●チャイナマネーについて、ドバイで気づいたこと。7つ星ホテルのロビーでだらっと「家で野球見てるお父さんみたいに」寝てる中国人男性がいた。ホテルの人に注意されていたが、一回起きて携帯をくるくるっと回してまた寝た。日本人だとなかなかそれはできない。
→つまりめっちゃゆるんでる。だから「ふと」やアイディアがいっぱい降りてきて、それを実行したらお金がやってきて、結果ドバイの7つ星に泊まれる。それがチャイナマネーの理由じゃないか?


●じゃあなんで日本にいる中国人観光客はそう(ゆるくて自由な豊かさの塊のように)見えないのか。これに対して玲桜さんは、「中国だと気にならなかった」と。「日本のエネルギーと合ってないのでは」という旨のことをおっしゃってたように記憶してます。


●経営者の方やいろんな著名な方、「結果」を出してきた方の本も、言葉じゃなくてエネルギーで読め。その方のフィールドで実践(実戦)してるときは「ふと」や直感(魂)で動いているけど、文章を書くときには人間意識で書いていることもあるかもしれない。ちょうど玲桜さん(宇宙)と弥生さん(人間)の違いみたいな感じで。
※このときは、相川さんが、経営者の稲盛さんの言葉「売上最大、経費最小」を例に出して話してました。稲盛さんご自身がそれを常にやってるかといったらそうじゃないんじゃないかと。「ふと」で、割に合わないことやってるっしょ!と。


●男性が「ふと」をやるのは女性よりめっちゃ怖い。今まで学んできた知識のほぼほぼ全部が「間違い」だったってことになるし、信じられるものがなくなる。責任とらなきゃいけないっていう思考もあるし。でも、やることはおんなじ感じでした。



――――――――――---------------------



わたしのメモはそんな感じです。
箇条書きメモをもとに、今思い出して膨らませて書いてるので、細かいところや解釈に間違いがあるかもしれません。



全体の印象として、
男性と女性とでは、会話の雰囲気が全然違いました。

男性だとやっぱ硬いのね。
シンプルで、女性と比べると周囲の顔色(反応)を窺う感じがしない。


あと、競争エネルギーの出るフィールドが女性とは違うなって思った。
政治とか戦争とかの話題のときの雰囲気は、正直ちょっと怖くて鼓動が速くなった。

両性とも、不安や怖れのボタンを押すとピリッとするのはするんだけど、
するポイントと反応したときのエネルギーが違う。

男性はもっと戦いとか血とか、燃えてる感じとかバンとぶつかってくる感じで、
女性はちょっと冷たくて湿気があって、ドロドロ、もしくはねばねばしている感じかな。


って、
ちょっと変なこと書きすぎたかな(・∀・)?


もちろん動画は面白くて、上に書いたような「ネガティブ」なことばかり感じてたわけじゃないんですけど、今までは女性同士のやりとりばかり見ていたので、男性とのエネルギーの違いが顕著に感じられて、「怖い」っていう女性には感じたことがなかった感覚が特に印象に残ったという話です。

でもわたしの感覚でしかないので、さらっと流してくださいね。


――――---------------------


で、こっから個人的な感想。

長いしちょっと陰です。




個人的に、楽しい楽しいだけじゃなくて、
ザワっと反応した部分もありました。



上で書いた、「政治家はクリア」って部分。
「デモとかやっても聞こえてないし、影響受けてない」っていう旨の部分、
聴きながら、ニュートラルに「へえ、そうなんだ~」って思えなかった。


クリアな人は、外側に影響を受けにくい。受けない。
政治家はクリア。
よって、一般人が批判しても、政治家の人たちは自分のやるべきことに集中できる。




これ、めっちゃふつうのことゆってますよね?

でもわたしはザワザワした。


わたしは政治家(全体の一部だろうし、報道されているのもその人たちの一側面かもしれないし、わたしが誤解しているだけかもしれないけど)を信頼しておらず、ジャッジしてネガティブに思っている。


その認識と同時に、

わたしの中に「クリアな人=いい人」って変な思い込みがあったんだ。

しかも「いい人」っていうのは「わたしがいい人と思える人」ってことで、
前提として「いい人/悪い人」「善悪」の概念がまだ全然あるって気づいた。


「善悪」なんて、
そんなもんないって自分でも言ってるのにな。



でもこっから思ったのは、
すべての人がクリアになったとしても、
別にそれはすべての人が「いい人」になるわけではなく、
「その人自身」になるってことであって、

それはつまり、
「その人の魂が前もって決めてきた道(ストーリー)を生きる」ってことでしかない。


その中に、人を傷つけたり殺したりするイベントが含まれていないなんて、
誰も言ってない。


ただ、魂の望んだシナリオを(変な抵抗なく)素直に演じるアクターになる、
ってことじゃないかしら。


だからシナリオ通り演じた結果、
仲良くできる相手もいるだろうし、やっぱり分かり合えない相手もいるだろうし、
めっちゃのんびりした人生を歩むことになる人もいるだろうし、
とんでもない悲劇に巻き込まれたり逆にそれを起こす立場になる人もいるだろうし、
ってその程度の話。



なーんだ。


自我的には満足いかないけど、
社会において「エラー」「癌」役をするべく生を受ける人もいるかもしれないし、
もしかしたらそれが自分かもしれないし、別の誰かかもしれない。


自我的には満足いかないけど、今のところそういう結論。


まあ実際「全員クリア」が実現したら、どうなるのかはわかんないけどさ。
自我的にも「素晴らしすぎる」展開になるかもしれないけど。

それはどうでもいいや。



☆☆☆

で、実はもう一か所ザワっとしたのが、
相川さんがアイスランド(だったっけ?)からイタリアに戻る飛行機が、
テロの影響で遅延(キャンセルだったかも。戦争やテロは補償対象にならないというお話をされていた気がします)になったときの話。

話の中核は、その後のスケジュールやお金のことなんかでいろんな焦りがある中、
どんな風に自分を「いい気分」にして、
どうやって「ふと」に従っていったかってことなんだけど、


わたしはそれ以前の「テロ」のワードと、
相川さんの明るい(ちょっとふざけたような)テンションにザワついた。


え、

「テロ」だよ?

人死んでるんだよ?


まあ確かに自分がそれで悲しんだりしててもしょうがないし、
なんの意味もないし、
それよりは「いい気分」であろうとしたほうがどんだけ賢明な判断かわからん。


でも!!!!!!


テロの被害者に対して、
すこしの同情も見せないような態度はどうなの?

この人には血も涙もないのか


と感じてしまったわけです。



そこまで顕在意識化言語化して、
いや、まっとけと。


じゃあわたし、どんな風に相川さんが話したら満足なわけ?


罪悪感を感じたように、
少しすまなさそうに、
自分が被った損害に対して「でも人亡くなってるんだからそんなこと言ったら申し訳ないよね」みたいなエネルギー乗っけて喋ってくれたら、わたしはザワつかなかったのか?



…これ、
自分の罪悪感人にかぶせて見てるだけじゃん。


「自分が大事」「利己的」「自己勝手」「薄情」「冷淡」…
全部だめだってジャッジして、

自分は常識もあるし何よりココロが綺麗だから、
そんな思いやりないことやんないし言わないよって?

はぁ…




相川さんには、これ見せてもらって感謝ですね。



あと、外側は自分の内側の反映っていうのも、
わたしはまだ腑に落ちてないからこの発想なんですね。

外側を見てあの人が可哀想とか思って、
自分の感覚に集中して大事にすることをおろそかにする。



正直今書きながらもモヤモヤしています。

まあ、もう少しこの感情を眺めていよう。そばにいよう。





ていうことで、出すだけは出せたので寝ます♥

早くペンピなおれ♥





2017年4月17日月曜日

「何もしたくない」が答えだったら慌てる


「私は何がしたいんだろう」と思ってる人は少なくないと思う。

ruもそうだし、そうだった。



じゃあその答えが、
「何もしたくない」だったらどうだろう。


慌ててしまわない?

「待って、待ってよ。それだけは困るよ。何かしたいことあるでしょ?!」
ってなってしまわない?



ってことは、
「私は何がしたいんだろう」の問いの根底には、
「私は何かしなくてはいけない」があるってことだよね?

何もしない、はなんでダメなんだろう。


深く掘っていくと、
「人からどう見られるか」が関わってきませんか。



「私は」とかいって自分に集中してるふりしてるけど、

実は、
周囲の目を気にして、
「何もしない」をする、は許せないってことだよね?




それだとやっぱり、
いつかまたスタートラインに戻ってくることになる。

スタートっていうか、
「私は本当は何がしたいんだろう」の問いに。




だからもし本当に自分の「本音」が知りたいのなら、
何にも先だって、

他人の目より、
自分を優先する、
自分の感覚を優先する、

って覚悟が必要なのかも。



その感覚が「間違って」て結果「失敗」したとしても、
その責任は自分でとる覚悟。


その責任をとりたくないから、
他人から認められそうなことの中から「私が本当はしたいこと」を探そうとしている
弱弱しい自分を見る覚悟。



「自分」に都合のいい「本音」なんて、
本音なわけないじゃん笑

つーかその「自分」て、社会からの刷り込みで構成された「自分以外の何か」ですからー!残念!斬り。



偉そうに言ったけど、
これは全部自分に言えることです。失敬。



あなたはこういう人ですと言われたい人に「あなた」なんて存在しないですけどと言ってみる



あなたはこんな人ですね、とか、
わたしはこういう音楽が好きなタイプで、とか、

みんな言われたがる(もしくは言われたらすごく反応してむかつく)し、
言いたがるよね。


占いとかは、そういうのを喜ぶ人がいるから成り立つ。



でも本当は、
そんな確固とした「あなた」や「わたし」なんて、
ないと分かっていないとね。

「ほんとは「わたし」なんて安定した状態で存在している人格なんて存在しないけどね~」って、ちょっとナメたような笑、冗談みたいな感じで、お互い「わたし」と「あなた」でやりとりできればいいと思う。それが健康的だよね。
クリアな人に風穴開けてもらえたら、さらに「わたし」が広がるしね。


逆に、確固とした「わたし」という人格があると思ってる人は、
それのせいで苦しむと思う。
ほんとは存在しないものにしがみついてるわけだし、執着してるってだけだから。


1秒前のわたしと今のわたし、
まったく違うことを考えて違うことを望むかもしんないじゃん。
(ていうか全然ふつうにその可能性あるよね)



たとえば、

今までJpopなんて聴いてらんねーと思って、
インディーズやらテクノやらアングラ系の音楽聴いてて、周りもそういう人たちで、自分を「そういうわたし」としてプレゼンしてたし自己認識していた人は、

有線で流れてきたJpopに思わず涙しちゃった場合、
それだけでテンパるんじゃないかしら笑


そんなはずはない!!!!!!
こんなの俺じゃねえええええええ!!!!みたいな笑 (じゃあ誰)


いや別にどっちでもいんですよ、って感じだけど。
他人からしたらね。

でも、たぶん本人的には一大事。
晴天の霹靂。
アイデンティティクライシスに陥るかもしれんような緊急事態。

(葛藤せず事実を受け入れたら、それだけで視点上がると思うけど)



いやこれ、ふざけた極端な例に見えるかもしれないけど、
みんなこういうレベルで葛藤したり悩んだりすると思う。


長年異性愛でやってきた人が、急に同性にときめいたりしたら、
もーえらいこっちゃ!ってなる、
って想像したら、結構切実に思えてこない?


ruもそうだよ。
自分でつくった檻の中で苦しみがちだよ。笑



要は「わたし」はこういう人、って自分コンセプトをがっちり持ってると、
それは自分を縛る枠になっちゃうことが多々あって、
自由じゃないよね、という話です。

硬くなっちゃう、
柔らかさを失っちゃう、という話です。




だから、あると思ってたほうが便利だし程度に「わたし」があると思っててもいいけど、
ほんとはないんでしたーって舌出してる軽さを同時に持ってたほうが、
今楽な気分でいられる、という。


以上、そういうお話でした。




便秘をどーにかしたい!内観してみた。



3月の満月前後から、
自分のエネルギーがうまく流れていない感じがする。




咳込と鼻水がしばらく続き、
生理時期に深酒して寝込む一日、後それを引きずるdays。

今は特定の不調はないけれど、便秘。( ;∀;)

もう、二週間くらい、
便秘(気味)。


これは、わたしにとっては異常事態。


これはなんかオカシイぞ、って思わざるを得ない事態。


前に、
エネルギーを解放すると、お通じがよくなるという法則(ru's 経験則)

要らないものをそぎ落とせない人がデブになる。見た目がすべてなのかも。

とかいう記事を書きましたように、
ruは精神状態とからだの状態というのは深くリンクしていると考えておりまして、
今回の便秘もそういった理由があるんだろうと思ってます。


いくつか、こういう理由がありえるかも、と思い当たることがありました。



①情報のとりこみすぎ
happyちゃんや玲桜さんたちの情報を、自らとりに行きすぎ。
っていうか、外側に取りにいきすぎ!内側を観ろ中を!ってことなのか?



②頑固
便秘になる人は頑固だと聞いたことがある。
ケチな人とも。
要は今までの自分とか価値観とかお金とかを「手放したくない」人。

何を手放したくないんだろう…

→リアルな日常生活で、周囲への気遣いが足りない?もっとすべき?(これは葛藤中。自分が「こころの声を聴く」を勘違いしていないか、まだ自信がない)

→Jのこと。 もう「手放す」時期か? (執着にあたるのがどれなのかまじで混乱中)

→自分の在り方のこと。(「ふと」みたいなのが浮かんだけど、それをやるのが自分の傲慢さからきたものじゃないか、もっと自分を磨いてクリアになってからでないといけないのではないか、と見定め中)

→お金?時間?エネルギー? もっとガンガン使うべき? 

→大腸は、怒りとか憂い不安をため込むと働きがにぶるらしいけど…わたし怒ってんの?思い当たらず。



③体に合わないものを食べすぎ
実は、Happyちゃんのいう「宇宙整形」の話を聞き、「食べたいけど身体に悪いから食べないようにしよう」と思っていたものを積極的に食べようとしてたのね、ここ最近。
添加物多めのものとか、味濃いめとか、重めとか。

happyチャンネルを見た後、
いきなり思い立って夜中にコンビニ行ってこんなの買ってきたり。
(コンビニは高くて無駄、という母の教えを解く挑戦も兼ねて)

ていっても、「食べたいときに食べたいものを食べたい分だけ」という話なので、
「おなかいっぱいになったら残す」も同時にトライしてて、
そこまでたくさん食べてたわけじゃないと思ってるんだけど…
(そんで、上のものも、わたしは買ってきただけで家族にあげちゃったのも多いんだけど…)

なんだろう、

このトライを始めたのと便秘っぽくなったのと、
時期がちょっとかぶるんだよね。(;^_^A


買ってきたものの、乳製品系食べない飲まない、
美味しいってわかるし食べたいけど、身体は欲しがらない、ってなってるし。
(チーズやヨーグルト大好きなのに!)


で、今はとにかくあんま調理されてない素朴なものが食べたい。
フルーツとか、豆とか、ふかした芋とか、ナッツとか、栗とか、海藻とか…

…なんかまたスタート地点に戻ってきた?(;・∀・)



口は食べたがるし、ふとした瞬間につまんでたりするんだけど、
便秘気味でずっとお腹張ってて、
身体的には、ぜんぜん要らん!取り入れないでくれ!って感じなんだよね。

でもさ、食べてると言っても量的には全然大したことないのに、
これが便秘の理由ならわたしゃ先を案ずるよ…。


もしかしたら、自分では食べてないと思ってるけど、
「もったいない根性」「残すのに罪悪感」はがっつりあるから、
今はそういう損得勘定からよけいなもの取り込んでるのかもしれないな。


【ruの食への嗜好性 参考】
身体の中からきれいにしたい!古塩抜きダイエットやってみた
ベジタリアンという選択
ゆるゆるベジタリアンに私はなる!!!!野菜料理を作るのにテンションあがってる話

※今は弁当どころか調理もあんましてません。受け身で肉も食べてるし。
これも「ふと」を叶えることへのさぼりかーーーー…




④運動不足
これは、確かにあんまり動いてないと思います。
とはいえ、快腸だった時期は運動していたのかといえば、全然そんなことない。
わたし比でいえば最近は筋トレもしてるし、逆に動いてるんじゃ…


―――――――――――――---------------------


結局便秘のほんとの理由はわかんないんですけど、
やっぱそれも自分の「ふと」「直感」にただ従っていくしかないですね。
抗わず従う。


思えば、この↑抵抗が、
もしかしたら手放せてないもののボスかなあ。



「ふと」を実行すると言っても、
正直どれが「ふと」なのか分からない状態ではありますが、

分からないなら全部やってみやがれ、
トライ&エラーを繰り返しながら、「ふと」か思考か見分けられるようになりやがれ、
っていうのに納得したので、できる限りやるだけ。


そのとき、

ビビビッとくる感じじゃなくて、
身体の中からじわーっとくる感じを選択するようにしてます。
そうだと「わかってる」っていう感覚を信頼する。

あと「~~だとこうなっちゃうかもよ?」みたいな怖れが湧いてきたら、
「ふと」はその逆の選択肢!!!って解釈の仕方も、無理やりだけど一つの基準として採用してます。




あーーーーーーー

この重たいお腹がすっきりしたら、どんっだけ気持ちいーか!!!!笑

やばい快だろうな!




出したーーーーーーーーーい( ;∀;)






みんな、聞いて!!!!!!!!
この記事を書き、これの次の記事をUPしてすぐべん意が…
で、でもゼンブじゃないんだけどね( ノД`)シクシク…
blogとか言いたいこととか、思い浮かんだことちゃんとすぐ出しましょうねって言われてるみたいに感じた。よく書いたわね、ならこっちも少し出しときましょうか、みたいな。
汚い話でごめんなさい~乙女のblogとも思えないっすね。

さらにいうと、トイレ行く前はお腹張ってる感じはあってもそれだけだったのに、少し出して後はちょっとお腹痛い…。ナニコレ?
でももう、全部出すぞ。「ふと」は即行動にして、全部出すぞ。←
その先は知らん!!!!!わたしにとって大事なのはいいトイレタイムだ!!!!!!



2017年4月12日水曜日

素人ブロガーさんに嫉妬してた頃


わたしには嫉妬心があまりないと書いたことがありますが、
それなりに嫉妬で苦しい思いをしたこともあります。


このblogも、
その気持ちがある意味モチベーションになってスタートした、
という部分もあります。





当時読んでいたblogがあったんですけど、

書いてるのは東京所在のふつうのOLさんで、
わたしと同じくらいの年齢で、

まだ自分の好みや望むものが明確になっておらず探り探りの状況で、
それでも日々感じたことや経験したこと
(●●コンサルを受けた、☆☆カフェに行った、■▽を買った)
を、写真とともに綴られていました。


その彼女が、
手作りの小物をblogを通して売り始めたんです。

作家モノ、として。



それ見て、すごいザワザワして。


ruの心の中は、

え、その程度のクオリティで出しちゃうの?
出せちゃうんだ?
え、しかもそれ買う人いるわけね?
ありがとうとか言ってるけど、その神経の図太さが信じらんない!!!!

って感じで。


いや別にいーじゃん人のことは、
って思おうとするけど、
無視しようとしてもモヤモヤザワザワは消えない。



えー、なんでこんなに気になるんだろう?

…いやだ気持ち悪い、
わたしは彼女のことがキライなのか?

なんでキライなんだろう、
まったく関係のない一ブロガーじゃん。


なんでなんでなんで。


(当時のruはそこまで内観したことなかった。)



見ないようにしても、
やっぱりちょっと気になるからたまに覗いたりして。笑



自分の心の内を見ると、


「あの程度で」という言葉が渦を巻いていた。




わたしのほうができるのに。
わたしのほうが評価されてしかるべきなのに。
わたしのほうが文章もうまいし自分のことだってよく見てる。

わたしのほうが
わたしのほうが
わたしのほうが
わたしのほうが



なのになぜ、わたしは何も持っていないの?





そこで現実とご対面です。


わたしのほうができる、と言いながらも、
それをやってない自分。


わたしは、失敗するのが怖いからやってない、
それだけじゃないか?


わたしは単純に彼女に嫉妬しているだけじゃないか?


わたしのほうができる、
と思うならやってみろよ。今。

できんの?




悔しくて情けなくて。

だって「あの程度」に嫉妬してるんですよ。


何もやってもないわたしは、
確実に「あの程度」以下。


完全に、負けている。


口だけもいいとこ。


にこにこしている彼女を見て、
安全圏からあーだこーだ言ってる自分(やその他大勢)のイメージが、
頭に浮かびました。

わたしは、いつまでガヤを飛ばしているんだろう。


わたしはいつまで他人の脇役として、
ここにい続けるんだろう。



惨めだ。


そんなわたしと話が合うのは、
同じように挑戦にビビッてて、自分はできないけど他人の評論批判ばっかりしてる人たちじゃない?
嫉妬とも自覚せず。
自分が弱くてダサくて怖れに飲まれてることも自覚せず。


わたしはそんな中にいるんだ、今。



終わってるな。






わたしはほんとにあんまり嫉妬という感情を持ったことがありません。


それは、プライドが高いからだと思う。
惨めな自分でいることが嫌。

あと、他人にそこまで興味がないから。



だから最初、嫉妬してる自分を受け入れがたくて動転した。
このモヤモヤはなんなんだ?と、最初は気づかないふりをした。


わたしは、

わたしができないことをやっている彼女に憧れている。


「憧れている」


「あの程度」に。



「あの程度」でも出していいなら、
わたしだって出していい。

「その程度」でも出していいんだ。



彼女は出している。


それでも人様に見せられないというのは、
ただの、傷つきたくないだけの言い訳だ。


わたしは「その程度」では出したりしないというのは、
謙虚にふるまってはいるが、
身の程をよくわきまえているようにふるまってはいるが、

真実は、たたかれるのが嫌なだけだ。




と分かったら、やるしかないよね。




今の「この程度」のまま、今の自分を発信するしかないよね。



やりたかったんだから。


彼女がどうこう、とかじゃなくて、
わたしがずっとやりたかったことなんだから。




そうして、わたしはおっかなびっくり
「ちきゅうはじっけんしつ」をたち上げました。


怖かった。

別に、読む人もいないし、
わたし以外に誰も知らないblog。

でも、自分自身が批判するのでそれだけで辛い。
痛いし怖い。
そんなことする必要あるの?って思う。(でた、「それ必要?」笑)



だけれど、
自分のblogをつくり、
そこに「今の自分」のまま文章を綴り表現をするようになって、
わたしは先の彼女のことが少しも気にならなくなりました。

なんなら、全然意識からはずれてしまって、
もうblogを覗くこともなくなった。


今では、好きとか嫌いとかそういうことを考えもしない、
一個人のblogって感じ。

「あの程度」とかも思わない。


ていうかどこから目線なんだよそれ笑
って、恥ずかしくなるけど。




たぶん彼女は、わたしよりも先に表現する怖さを経験した人。

ただ、わたしの先を歩いている人なんだ、
と分かった。



自分が、同じように道を歩みだしたら、同類になる。


自分の道を歩きだしたら、
人のことはもう気にならなくなる。


わたしが自分の道を歩きだしたいのに怖くて踏み出せないときだけ、
わたしが行きたい道を先に行く誰かが気に障って仕方なくなるだけで。


わたしも同じものを体験できると知ったら、
別に人が何を食べてようと何をしてようとどうでもいい。

わたしの分はちゃんと用意されてるんだから。




そういうことを、
わたしは先の彼女のblogの存在を通して気づかせてもらい、
今もいろんなことを体験している。

勝手にだ。

勝手に、傷ついたり怖がったりありがたく思ったり、
勝手にわたしが受け取っている。

見つけている。

【参考】妄想の海



☆続く




2017年4月10日月曜日

海外の男の子たちと接して開眼したこと(日本の女たちよ、どう思う?)


セブで、
満点の星空の下、
電気の明かりがほとんどなく真っ暗な中、

3つ年下の外国の男の子(Jではない)と波の音を聴いて、
砂がしゃらしゃらと光っているのを眺めていたときに、


彼が、
「ruはどんなデートをしてきたの」みたいなことを尋ねてきた。

わたしは、
「どんなデート…。とりあえずこういう自然の中に男の子ときたことはない。いつも街の中、だった」と答えた。


彼は、
「そんなの信じられない、つまらなくないの」
と言うので、

わたしは、
「つまらないけど、それが普通と思ってた。今までのExはみんなcity boyだったから」
と答えた。


彼は、「僕だったらもっといろんなところに連れて行く。彼女にはいろんな綺麗なものを見せたいから」と言った。



この時点で、
わたしは彼がわたしに対して異性としての興味を持っているとは思っていなかったので、
(ただ座ったり寝そべる距離が近いなと思っていた笑)

純粋に、

海外の男の子というのはストレートでいいな、
今までは本当に街育ちの人としか付き合ったことがなかったしたまの旅行で温泉に行くくらいだったけど、別のシチュエーションで時間を過ごすという可能性・選択肢もあるんだなぁ、

と感動していた。


目が開いていく感じだった。



逆に、なんでそればっかりだったんだろう?と思った。
わたしは自然が好きなのに。

でも、それが普通と思っていたから、
相手に望むことすらなかったんだなあ、と気づいた。


※ちなみに彼はサーファー。だけれど一応彼だってcity boyだと思う。






語学学校卒業後、
セブから少しだけ離れた、オランゴという島に行った。

(知り合いの知り合いの息子)17歳の男の子がガイドをしてくれて、
その子の親戚や友達がたくさんいる島だったので、
現地の小さな子も含めて数名が島を案内してくれた。


「ミスru、ココナッツの実は食べた?」
と聞かれたので、

「食べたことない、食べてみたい」と言うと、

「僕の友達が、フレッシュな実を採ってくれるから、食べられるよ」
と言って、

実際オランゴの彼のおばーちゃんのお家で、
彼の友人(18)が、家の敷地にある高ーいココヤシの木にスルスルと登って、
ココナッツをいくつかもいでくれた。

そんで、斧でパカっと二つに割って、
ストローをさしてくれた。


いやね、ココナッツウォーターって結構量あるんですよ。
ちょっとしょっぱい、ポカリスウェットみたいな感じでね。

でもなんとなく頑張って飲んで、
そしたらガイドやってくれてる男の子が、
中の実をスプーンですくって、
わたしの口にあーんしてくれたの。

わたしは普通に戸惑ったが、これもこっちの慣習なんだろうか?と思ったので、やってもらったよ。彼のおばーちゃんと、たくさんの子どもたちの前でな。
(おばーちゃんに、うちの孫に何させてんねん!と思われてなかったか気になった)


でも、果肉は美味しいし、
男の子に「あーん」してもらうのも、
初体験だったけど「これいい♥」って思っちゃったんだよね。

なんだろう、

また目がパカっと開いた 笑





で、観光用の桟橋の先で、夕日見たりして。

彼や、中学生くらいの男の子たちと一緒だったんだけど、
セブアノ(セブ語)でヒトデは☆☆っていうんだよ、みたいに、
海にいる生き物たちのことを教えてくれてたのね。

みんなブロークンな英語で。

そしたらそのへんにたくさんウニがいて、
わたしが「i like ウニ♥ so delicious‼‼」とテンション上がってたので、

「ru、ウニ食べたいの?」ってスルスルと下に降りて、
ウニをいくつもとって殻を割って、
棘を取り除いて、
海水で洗ってわたしにくれたの。

塩辛くて生臭かったけど、
美味しかったよ。


彼らはウニは食べないらしい。
ウエーって顔でわたしがウニ食べるの見てたけど、
「もっと食べる?もっと取ってくる?」って言ってくれて、
めっちゃ優しいねん!!!
(食べ物くれる人に超弱い。笑)



そこでもパッカーと目開いた。笑

やばい、こういうの超いい!!!!!ってなった。


※17歳でも、エスコートしようとする。
ただシャイなだけじゃなくて。




セブの語学学校でのグループクラスでは、
韓国人の男の子(26)と台湾人の男の子(25)がクラスメイトだった。

クラスっていっても、
日常的なテーマで普通の会話をするだけなんだけど、
そのときは何がテーマだったか忘れたけど、バレンタインが近かったからrelationshipがテーマだたかも。
先生(女性・既婚)が男たちに「彼女へのギフトに何をしてあげたことがある?」と聞いたのね。
(フィリピンでのバレンタインは男が女に尽くしまくる日なんだよ笑)


韓国人の子が、
「彼女との写真をアルバムにして、彼女のためにケーキを焼いてあげた」と。

わたしと先生、
「おー、やるやん!!!!」みたいな笑
ヒューヒュー いいねーみたいな笑



「さてあんたはどうなの」と先生が台湾の子に振る。

上目使いに
「花をあげた」という台湾の彼。

先生「…え? まさかそれだけ?????全然ロマンチックじゃないよねru」
ru「ねえ。普通だよ!もっとないわけ」

Booooooooo!!!!!!!
と駄目出しブーイングをくらう。笑



普通だったら、ロマンティックなことをするのが恥ずかしいものと、
その台湾の彼だって思うかもしれないけれど、
今は韓国人の男の子に軍配が上がる状況。

起死回生を狙う!!!!

「えっと!!!!手紙も書いて、夜に彼女の前で読んであげた!!!!」(ドヤァ!!笑)


先生「へえ、それならいいんじゃない」
ru「そうだね、頑張ったね」

台湾の彼がその反応に満足したかどうかはわからないが、
流れていく会話。


先生「ruはどう?過去にロマンティックなギフトってどんなのがある?」

ギクッとするru。

ロ、ロマンティック…


ロマンティックですかー…



覚えがないなぁ



ru「花くらいならもらったことはあるけど…。日本人の男の人は、ロマンチックじゃないの。あんまりsweetなことも言わないし、たぶん花も手紙もあげない人が大半だと思う。シャイなんだよね。だからみんなの話聞いてるだけで驚きだし、日本の女としたら羨ましいと思った」


静かになるみなさん。



そうだねえ、日本人の男はロマンチックじゃないよねえ。
そう聞くよ。
でもそれで女性は満足してるんだよね?
浮気もしていいんだろう。fu-zoku行っても女性は許すんだろ。
まあ、日本の男はシャイだしロマンチックではないということで。



また流れる会話。
(笑いが少なくなった)



……。



惨めでした。(´;ω;`)ウゥゥ




わたしは別に日本の男が嫌いなわけではないし、
外国の男が好きなわけでもない。

ただ、
わたしが日本の男をフォローするのは、
大した扱いを受けてこなかったことを真正面から見るのがわたしを惨めにさせるからってのが大きな理由だぞ。


ロマンチックな演出なんか全然必要ないわ、っていうのが、
本音中の本音の人はいいよ?


でもわたしは違う。



彼らと喋ってて、
そういう選択肢を知ったら、
わたしもそういうことされたいなって思うもん。


あんまり大した記憶がない、
って言うのも悲しいし嫌だもん。


だめんずウォーカーとかじゃなくても、
日本の男は別にそこまで頑張らなくてもいいっていう土壌だからね。
女側もそこまでのハードル求めないしね。



でも、わたしはもっとしてほしい。

求める。


これは国民性とかじゃない。



慣れだ!!!!!!!




そういう土地で生まれ育ってたら、今やってない男だってやってたって。
それが自然だと思ってさ。


ハー、腹立つ!!!
そういう風にする選択肢を思いつきもしなかった自分に!!!



わたしはちやほや優しくされたいの!!!!!お姫様扱いされたいの!!!!!!

その欲求を気づきもしなかったし認められなかったなんて、
なんてかわいそうなの???わたしが!!!!



絶対まっすぐ手に入れてみせる!!!!!!!


決意を新たにした。






ということで、
長々書いてきましたが、

これがわたしがセブで受けてきたカルチャーショックのうちでも、
自分のコアな部分に触れたことたちです笑


わたしがセブ行って帰ってきて、
「モテたいし優しくされたいし綺麗になりたいんじゃー」となった理由の一端が見えたのじゃないかと思います。どうでしょうか?笑

↓よかったら過去記事もご覧ください。


【参考】cebuでの思い出を一言で言うと「たくさんの男の子たちに助けられて優しくされた一カ月」でした。

【参考】男の子は、女の子がほしがるものすべてを与えたいと思っている

【参考】純度を上げて【美とモテ】がほしい自分を知った。あなたは純粋な欲望に従って生きていますか?



語学学びに行ってこんな気づきを得てくるんですから、
人生ほんとにわからないですよね☆


結局、今読み返してみて、
わたしが自分の望みをきちんと理解してなかったこと、
自分の望みを肯定してそれを叶える意志を持てていなかったことが、
原因だったと分かるんですけど、


あなたはどんなふうに感じましたか?



彼氏の服を借りて着てるみたいのが好み

頭に浮かんできたことを、
思考を挟まず実行していく練習をしています。


そして今日はお洋服のお話です。




無印でお買い物をしましたー。


メンズの、
ニット生地の「ジャケット」Sサイズ。

色はダークネイビー。

オーガニックコットンジャケット 紳士M・ダークネイビー  
↑無印HPへジャンプ



着るとこんな感じ。
無印HPからお借りしました

最初は、別に何も買う気じゃなかったんだけど、
ちょっとだけ、ゆるーいシャツワンピがあったらほしいなって気持ちで、
売り場をふらふら。
(前にコムサで見かけたシャツワンピが頭に残ってる)


でも、好みのワンピは見つからず、
デニム素材のコート(8000円くらいのやつ)はちょっと保留にして、
「ないな」ってレディースコーナーを後に。


普段、自分用を探すためにメンズもの見たりはしないのだけど、
頭も働かない状態だったのでただふらふらしていたら、
上のニットジャケットが目について、
試着室で羽織ったら、すごくしっくりきた。

見るより、着たほうが可愛い。


オーガニックコットンで肌ざわりがよく、
質感はくたっとしててとても柔らかく、
袖の感じも変にしぼりすぎてなくて、
身頃も大きすぎずちょうどよくゆるい。


デコルテが大きく開いたタンクトップとか、
キャミソールとかの上にゆるーく羽織ったら可愛いなぁと思った。



それを着てすごくしっくりした感じを得ている自分を観察して、
わたしは「男物」が好きかもな~と思った。

萌えとかそういうのはあんま好きじゃないんだけど、
大きなものをゆるーく着て、
それがヘルシーでナチュラルでちょっと色っぽい、
みたいのが好き。


「ときめくものを着る」って言ったとき、

超Aラインのミニワンピとか、
すごく身体にフィットした大人っぽくて挑発的なドレスとか、
ふりふりの、女の子ちゃん♥って感じのスカートとか、
すごく上品な清楚スタイルとか、
もしくはめちゃめちゃパンクやゴシックやロリータ、
個性的な古着を着たいって人もいるだろう。


わたしは、
ヘルシーでナチュラルでちょっと色っぽい、
っていうのが着たい。

彼氏のものを借りて女っぽく着た、みたいに見えるのが好みだ。



もっと言うと、実際に彼氏のものを借りて着る、
っていうのが理想なのかもしれないね。

常に、自分よりも大きなものにゆるーく包まれて、というか、
抱っこされている感覚を感じていたいのかも。


そう思って、
「おー自分の恋愛体質の自覚もそこまできたか!」と笑ってしまった。


どこまでも男の匂いをまといたいか、自分よ。笑



いや、単に服の好みの話ね。
自分の中の男目線が、それが好きだというのさ。

今後はメンズコーナーもまわろーと思う。
(メンズはストレッチ入っておらずオーソドックスなデザインがほとんどなので、化繊率が低い。そこも好きポイント。)




そんだけー。

オワリ。



※ほんとは足の爪に塗るマニキュアを買いに行ったのに、それは買えず…。
赤にしよーか濃いめピンクにしよーか。
どうせしょっちゅうは塗らないので(そして処分することになるので)
ミニサイズで不器用な人にも塗りやすいタイプがいいな。
おススメあったら教えてください。



2017年4月7日金曜日

100%を受け取りたい相手




また先日のtweetから。




現在独身のruさんは、
手を伸ばせば(努力すれば)恋愛のチャンスっていくらでもつくれるはずなんです。
(いや別に既婚でもつくれると思うけど)

「恋愛」をいかに定義するかで話は変わってくるけれど、
ここでいう「恋愛」は「いわゆる恋愛」、
世間でいう「恋愛」です。


出会って、お互い異性としてセクシャルに意識し合ってて、
ドキドキしながら気持ちを伝え合って、
(周囲の人たちからもペア・カップルとして認識されるようになって、)
すれ違いがあったり傷ついたりときどき嫉妬して泣いたり、
分かり合えたと安心したり、
でもだんだん慣れてきて倦怠感が出てきたり、
それを解決するために考え方を変えたり行動を変化させたり、
とかそうイベントごとや前提を含む関係性ね。



ruはすごい夢想家と思われますが、
一方で割と現実主義者なので、(↑の描写の仕方で透けて見えるでしょうが)

「いわゆる恋愛」なら、
割と誰ともできるんじゃないかなあと思ってます。

「男って酔ったら誰とでもできるんでしょ!」
「う…まあ誰とでもは言い過ぎだけど、臭いとか超好みから外れるとか殺人鬼とかそういうんじゃなければ…目つぶればだいたいイケる…かな」

くらいのレベルで、誰とでもできる気がしてます 笑



現実的には、
タイミングとシチュエーションが「合う」人と、
って限定はされてきますけどね。



「いわゆる恋愛」って、
同じ気持ち同じ関係性が永遠に続くわけじゃないしね。

別にそんな難しくないと思うのよ。



いや、他人同士が一緒に生活を続ける、とか、
違う価値観を持つ者同士が一緒に選択を重ねるというのは難しい、

とは思うけれど、
わたしが言ってるのはそれとは別の次元の話です。


「いわゆる恋愛」には「苦しみ」もつきもの、という前提で言ってるので。
エゴとエゴのシーソーゲーム、と思ってるので。


で、それに手を出すのは、簡単なんだよ。

誘惑に屈するのは。


でも、もう何度もやってきたしな、と思うわけ。
またおんなじことやるのかよ、もういいよ、と思う。

だって、「淋しさ」からでしょ。
「性欲」からでしょ。
「情」と「執着」と「不安」からでしょ。

やっぱり、もうやってきたことだよ。




そう、それでね、
たとえば誰かに好意を示されるのは単純にうれしいです。

好かれてる、
認められてる、
って思うと自分の劣等感が慰められる感じがするし、

モテてる、
って思うと優越感がくすぐられる。



でも、
じゃあそれを受け取って応えようか、という段階になると、
心のどこかに引っかかるものを感じる。
たいていの場合は感じる。
ほぼ感じる、と言ってもいいか。笑


過去にガッツリお付き合いをしてきた人たちとのスタート時点でも、
「ほんとは違うんだけどな…」という小さな違和感と、
「違うのに、いいのかなあ」という後ろめたさを、
わたしは持っていた。

いや、それを違和感とか後ろめたさとか思わないくらい、
それが普通だった。

それしか知らなかったから。

それに、微かな感覚だから、いくらでも無視できた。
常にあったけど、無視できた。





ここでJの登場。


Jとのときは、
この違和感と後ろめたさがなかった。

それがそれまでのケースとの、最大の違いと思う。

だからそれに違和感を感じた。

不思議で、
「なにこの人」
「誰?」みたいな感じがずっとあった。


わたしが変わったから、恋愛のスタイルが変わってきているのか?
男性からの好意を素直に受け取れるようになってきているのか?
これは相手のせいじゃなくて、わたしの変化なのか?
それとも…

そんなことをずっと思ってて、


だから、
彼と並行して他にもいろんな男性方から好意を示されたのは本当にありがたかった。

誰から言われても、全部嬉しかった。


と同時に、
上で言ったように、
「劣等感を慰められるから」か「優越感を満たせるから」か、
それとも別の感覚でなのか、わたしは確かめたかった。

だから、自分がそれぞれの人に感じていることの比較をした。


それが理由ではないけれど、結果的に、偶発的に、
そのうちの一人と寝た。
(過去記事に書いてあるから読んでー)


それでわかった。

私にとって、
J以外の男性からの好意は、わたしを一瞬いい気分にしてくれるもの。

だけれど、受け取ると考えたら、
重く感じるし、腰が引けるし、
「何か違うんだけど…」という感覚はきっとぬぐえないだろうもの。


そんで、わたしは相手に対して「いやあんた私のこと好きとか言ってるし、今はほんとにそうだと自分でも思ってるんだろうけど、違うよ。私でもいいかもしれないけど別の誰かでもいいレベルで好きなんだよ」って言いたかった。




…駄目だ、わたしはもう酔えない( ;∀;)




そしてJは、やっぱり特殊だった。
わたしにとっては。

わたしは多少は自分を見つめることを意識してきたし、
それによって、(もしやるとするならば)「いわゆる恋愛」でも、
縁ある相手といい関係を築けると思う。
過去に経験してきた「恋愛」より笑顔が多くて前向きな経験をできると思う。
(とはいってもまだ実践してないので断言できないのが辛い)


が、わたしがやりたいのはそれではない。



違和感や不信を感じない相手、
わたしの中の怖れさえ取り払えれば100%を受け取りたいと思える相手、

それを見つけたら、
そっちに舵を切るしかない。



いいよ、他にもいろんな人がいるし、楽しいことはあるよ。
そっちに行ってもいいんだよ、と思う部分もある。

「いわゆる恋愛」で腕試しをしようか、とも。


でもな、「違和感」は消えないものだから。
それを感じない人が新たに現れたら、という条件つきだな。



きっと恋愛だけじゃない。
なんでも、「違和感」ゼロでしっくりきてる感覚があるなら、
勇気を出してそっちへ舵を切れ。

そう、全身が伝えてきてる。





他人に頭を撫でてもらう必要がない人が稀有な世界で

先日のわたしのtweet


直接は関わりのない人たちのやりとりを傍から見て、
すごく感じたこと。

つまりネット上なんだけどね。


片方は、人からの承認を必要としない人。
片方は、もう片方からの興味や承認やもっと言えば好意を得たいと思ってる人。


そうは言ってない。

でも、文字だけでもそれはバリバリ感じられる。


この違いは恐ろしいほどだと思った。




恋愛なら、相手からの興味を得たいと思っても自然じゃない?

子が親に褒めてもらいたいと思って何がおかしいの?



…おかしいよ。



承認を求めているその人が、
勝手に相手のことを自分より上に置いて、
敬って価値を上乗せして巨大化させてるだけで、

ほんとはその相手なんかいなくても(承認が得られなくても)、
その人の充足感や価値の大きさにはまったく影響が出ないし、
それで全然いいのに!!!!!!


それをできない人ばかり。


(あ、これは完全にわたしruも含まれてます。)



でも、できない人ばかりの中にいると、
上の問いに対して「え、当然でしょ」ってしか思わない。

他人の目を基準に生きてる人の中にいると、
他人の目なしに生きるなんて想像もつかない。
そんな選択肢はありえないってくらい遠い世界の話になる。


でも、おかしいよ。



誰が相手だとしても、(神様だとしても)
誰かを自分より上に置いて、
認めてもらおう、「頭を撫でてもらおう」とするのは、
おかしなことだ。


もっと言うと、気持ちが悪いことだ。

「自分」を捨てて、
誇りを捨てていることだと思う。



そう振舞って見せているだけの人は気持ち悪くないよ。
心の中の話だからね。


ただ、
自分以外に承認を求めている人は、
おかしなことになっている人だ。
(うちらだ)

何も「乞う」なよ。




気を付けて見てみよう。




外側に答えなんかない、のru的解釈



この世のすべてがメッセージとか、
他人の中に自分へのサインが含まれている、とか言うよね。


それって結局、
「自分が何に気(注意)を引かれるか」
ってことだと思う。


外側には莫大な情報の海が広がっていて、
その中でも自分にとって有意な情報に人は目をむける。
選択して、厳選して注意をむける。


要するに、

自分の内側にある、

劣等感や
満たされなさや
欲望
好み(嗜好)
誇りに思うこと

を刺激するものに、つい注意がいくってこと。



それに強く興味を持ち、
強く意識していればいるほど、
外側の世界に自分を刺激するものがたやすく見つかる。


赤が大好きな人は赤をいっぱい見つけるだろうし、
赤が大嫌いな人も赤をいっぱい見つけるだろう。

「学歴」というものを、
よくも悪くも意識する人は、
それに関わる発言や社会の流れによく目がいく。



そちらに意識を向けてフォーカスすると、
よりそちらの状況が詳しく具体的に見えてくる。
それは、自分から近づいてその中に入っていくのと同じ。
そこから広がる世界を体験することができる。



だから、別に外側の世界が、
わたしたちに対して特定の「答え」とか「メッセージ」を
用意してくれているわけじゃない。


わたしたちが、ピンポイントで「見つけて」いるんだと思う。


引っかかった何かを「答え」や「サイン」に「している」。

わたしたちが勝手に、反応しているだけだ。



まず、膨大無限な情報の中から、気になるかどうかで選別されているし、
(この時点では自分のフォーカスがどこにむきやすいのか気づいていない)

そのあと、
それにどういう意味づけをするかがわたしたちの権利として委ねられている。
(これにも大概の場合無自覚)

もちろん、スルーすることも全然OK。



だから、見えるものは自分の反映だし、
外側に何があるとしても(ないとしても)自分の内にあるものを見つける。
(それ以外には注意がいかないし気づかない)

わたしたちが外側を通して自分(の内側)を見ているというのは、
単にそういう意味ではないかなと思った。


そういった意味では、
たしかに自分の内側こそが宇宙だ。

外側に答えはない。

外側に意味なんかない。


自分が意味をつけるまでは、意味なんかない。


「外に答えを探しても見つからない」はその通り。

「問いが生まれると同時に答えも存在している、自分の内に」もその通り。

「求めれば与えられる」し、
「尋ねよ、さらば見い出さん」だ。


わからないわからないと言っていられるのは、
そう言いたいから。

とりあえず分からないふりをして、
外側を通して自分を見つける経験をしたいから、なのかな。




とりあえず主導権は圧倒的に自分にある。


とはいえ、コントロールはできない。



起きることが起きる、のをただ眺めて、
どんな意味をつけるか決めて、
(意味をつけない、という選択もある)
ただただ内側を整えて存在している、

ということを意識的にできる人が覚者なんだろう。



苦しい人というのは、
自分がどんな現象を好んで注意を向けているか、
現象に対してどんな意味付け(レッテル張り)をしているか、
に無自覚で、この世界でコロコロコロコロ転がされているような気になっている人。



ここまで書いてきて、

まあ救いがないような気もするし、
全然キラキラ感のない話だ。

わたしもそう思う。



わたしたちに残された自由意志、
「どんな意味づけをするか」に関しても、

「いい/悪い」「幸せ/不幸」は常に対になっている概念だから、
どっちかを望むなら、同時にもう片っぽを一生頭の隅に置いておかねばならないということでもあって、
「起こることが起こる」から、
自分の中の「いい」「幸せ」ばっかり起こるわけでもないんだよなあ。


まあ、それも含めて全部「いい」にできるなら、
心労はないだろうけどね。

でも「全部いい」なら、元からなーーーんにも意味はない、ともいえるしな。




とにかく、
内側の自分が何を望んでいて何を望まないのかに集中する、
それが外側に対して醒めていることにも繋がる気がする。





オチなし。

おわり。



※世界についての認識には、
もちろんもっともっと深みがあると感じていますし、
現時点の解釈が完成形だとは思ってません。
日々更新されていくと思います。

でも、現時点に思うことです。





妄想の海



等身大でいたい。


良くも悪くも、
それだけでしかない自分。


人の目を気にすると、
どうしても増やしたり減らしたりしてしまう。

最初あったものを、どうしてもいじくって変形させてしまう。





思いやり、とか
痛みを知ってこそ人の痛みを知れる、とか

ときどき、妄想でしかないんじゃないかと思う。



まったく違う世界にいる人の心を、
本当の意味で、どうやって思いやれる?


思いやりたい、
想像力を働かせたい、
と思うまでがぎりぎりわたしたちに可能なことで、

「実際の相手の心を想像するなんて不可能」と常に意識していないなら、
誤解も誤解。押しつけも押しつけだ。


わたしたちは完全に別の世界に生きている、
完全に別の個体だと知り、受け入れない限り、
相手とコミュニケーションをとる前提がないし、
だからスタートラインにも立てていないことになる。



わたしたちはみんな別の人間だ。


きっと、あの人はこう思うだろうから、という推測は意味をなさない。


それは自分が自分と自分の世界の中で出した結論にすぎなくて、
妄想でしかない、と思う。


でもわたしたちは、
自分の妄想で作り上げた他者イメージで、
自分を縛りつける。

世界を決めつける。



それでいいんだろうか。



わたしが他人に抱くイメージが完全に妄想だとすると、
目に見える世界が妄想だとすると、

わたしにとってリアリティがあるのは、
内側の感覚とか衝動とかしかない。


たよりになるのはそれしかないんだ。



それを変形させたら、
わたしの唯一の生の手がかりを失うことになる。

それこそ妄想の海に溺れることになる。



怖。




生きている、という感覚を失うことになる。
死んだまま生きなくちゃいけなくなる。





2017年4月4日火曜日

「いちご味のガム」味

小さい頃駄菓子屋で買って食べてた、いちご味のガムの味を覚えてますか?


いっこ十円のガム。
(世代によって違うかもしれないけど)


めちゃめちゃ人工的な味だったよね??!笑


幼稚園生の当時でさえ、
「いちご味のガム」はいちごの味じゃないと思ってた笑


ピンク色だからいちご味、ぐらいのゆるさ。
(視覚と味覚を連動させるチカラワザ 笑)


あれはあれで、「いちご味のガム」味として認識されていた。



みかん味しかり、
メロン味しかり、
すいか味しかり…。







こんどは、ガムじゃなくてジュースの話。


「オレンジ色のオレンジ風味の」ジュースあるじゃん。
商品名は言いませんが、
本来のオレンジの味は全然しないやつ笑


小さい頃は、ruもそのジュース喜んで飲んでたの。
(うちは、特別なときしかジュースやコーラを飲ませない教育だった)


でも成長するにつれ、
お茶や水のほうが美味しくなってきた。

だって、「オレンジ色のオレンジ風味のジュース」って、
すごい人工的な味なんだもん 笑


だから、「100%(濃縮還元)」のやつなら飲むけど、
「オレンジ色」の人工甘味料入りジュースは飲みたくない、ってなった。



しかしそれが今、
「生搾りオレンジジュース」なら飲むけど、
「100%(濃縮還元)」ならいらない、っていう風になっている。

それが今のわたし。






当然だけど、
一番単価が高くて手間がかかって、実際なかなか手に入らないのは、
「生搾りオレンジジュース」じゃないですか。

あとは、それを欲しがる人の望みを、
手っ取り早くローコストで満たすためのもどき。

だから、本来の欲求は満たせない。

(いや、「オレンジ色のオレンジ風味の」液体が好きって人は別。それで満たせるから。)


だから、わたしにとっては、
「生搾り以外は飲みたくないわたし」へと変化することで、
ちょっと望みをかなえるハードルが上がったとも言えますね。




しかしながら、

オレンジジュースが飲みたいっていう欲求が湧いてきたとき、
どのレベルでそれを満足させようとするか、
っていうのが自分に委ねられている唯一最大の裁量だと思う。


どれが欲しいのか正確に見極めて、
どうやったらそれを手に入れられるのか考えて、
実際に行動に移すのか決める。



そもそも、オレンジジュースなんて今飲まなくていいじゃない、
って終わらせる人もいるだろうし、



逆に、

(オレンジ風味の果汁0%ジュースを飲みたいのに)
わたしは生搾りのオレンジジュースが飲める財力があるんだから、
「オレンジ色でオレンジ風味の液体」なんて飲む必要がないわ!
そんなのいかにも体に悪そうだし、人にどう思われるかわからないもの!

って、生搾りジュースを飲むことを選ぶ人もいるかもしれない。(いたらウケる笑)


(↑でもこの場合だと、魂的には「生搾り」が「果汁0」のダミーであり偽物だから、たぶん満たされない。)





この場合はたとえでわかりやすいから、
いちご味とかオレンジ味の「もどき」の話をしていますが、

実際には「もどき」や「偽物」なんてものは存在していなくて、
「それ」があるだけですよね。
劣っているも間違っているも正しいも素晴らしいもない。

どれ選んでも等価。



そんで、
望むものを選ぶか選ばないかも全部わたしたちの自由。

人にあれこれ言われる筋合いはない。


言われても無視していいし、
無視しないでよく聞いて影響を受けて選択を変えてみてもいい。





だから、

自分の望む通りに選ぶことができるし、
実は「心から望むもの」ではなくても、選び続ける権利があるってこと!





とりあえず、わたしはオレンジジュースの類なら、
「生搾り」が好きだしそれ以外なら水を飲むことを選択するので、

わたしにとって
「オレンジ風味の液体」や「濃縮還元」を飲むのは、
満たされない選択です。
だからそれを飲んで「これが好きだもん」というのは嘘だし、妥協です。



だけど、世の中には、
「オレンジ風味の液体」や「濃縮還元」のほうが、本当に好みや体に合う人もいるかもしれないわけで、(もしかしたらオレンジ色の着色料が好きとか、こっちのほうが匂いがいいとか、糖分の摂取を求めているとか、そもそもオレンジジュースに求めていること自体が違うかも)

そういう人たちに自分の好みや価値観を投影して、
本当は望んでないことをしている、なんて考えるのはおこがましいというか、
大きなお世話というか、そもそも勘違いなんじゃ…ってことですよね。


相手からしてもそうだろうし。



だから人のことなんて本当にわかんないし、
わかったふりして言うのやめよー、って今書きながら思った。





ていうことで、
わたしはだんだんと味の好みが変化していったけど、
もしかしたらわたしとは逆の変化を辿る人がいるのかもしれないし(可能性の否定はできない)、


人間の世界は実は、交わってるように見えて交わってないんだろうな。





お粗末様でした。