2017年4月23日日曜日

いい子ぶりっこと悪い子ぶりっこ



Happyちゃんたちがやっていることや言っていることの中で、
自分の中で「ん?それは新しいな」とか「ザワっときたぞ」とか、
とりあえず試したいと思ったことはできることから試してきた。

とにかく自分の枠を広げたいという気持ちがあって。

(Happyちゃんの言ってることの中で一番影響を受けたのは、
「データもらいっ」の感覚です。なので、彼女たちだけじゃなくて、いたるところからデータをもらってる感覚で生活してます。)



その中の一つが、

何度も書いているけど、
「食べたいものを食べたいときに食べたい分だけ食べる」
というチャレンジ。




わたしはもともとベジタリアンとか健康食志向で、
徹底はせずともそういうのが好きだった。
そういう食事の根底に流れるコンセプトというか思想というか佇まいも好きだった。


食べることはいのちを頂くこと、であったり、
だからこそ、ものを粗末にしないで生かし切る、であったり。

すべてのものに尊敬の意を示すことを、
食事のありかたを通しても体現することに共感していた。





なんだけれど、


そういう好みがあるのはわたしが小さい頃からなので、
自分にとってはすごくおなじみの思考法。


なので、もしかしたらそれが極端な偏りになっていたり、
食に対してもっと大らかというか鷹揚に構えることもできるのかも…という気持ちもあり、
「ファストフードも美味しく食べてみよう」
「インスタントラーメンも食べよう」
「お肉も、少なくとも出されたものは気にせず笑顔で食べよう」
「コンビニのお惣菜も、身体にいいと思って食べたら美味しくて身体にいいのでは?」
「寝っ転がったり、テレビを観たり、食事へ集中しなくちゃという縛りを解いて食べてみよう」

と思って、しばらくの間、どちらかというと「身体に悪いとされている」ものばかり食べてみた。



結果、

わたしはやっぱり、
なるべく野菜中心で自然なものをシンプルに丁寧に調理して、
それをなるべく見栄えよくお皿に盛り付け(これはわたしのセンスという制限がありますが笑)、
なるべく整えられた環境の中、
ゆっくり静かに食事に向かい合うほうが、
満足度が高いということがわかりました。



「こうでなきゃいけない」を外したくてやってみたチャレンジですが、
やってみて良かったと思います。

並行して、「お金を使う」や「コンビニを気軽に利用する」の
チャレンジもできたので。


食べ物を残す、ということについては、
現在も罪悪感がありますし、
でもこれは外したい罪悪感だと思っているので挑戦は続行します。
(自分の感覚を優先、という挑戦が一番の優先事項なので。)



なので、
スタートに戻ってきたような気がしたとしても、
わたしの中の自由度は高まったと思います。

わたしは結構極端に行動するので、
「断食してたと思ったら、今はアイスとUFO焼きそばですか?」
「結構なんでも受け入れるんだね」
みたいに家族や周りの人に思われてますけど笑、

いーーーーーんです!!!!



同じように見えて同じじゃないんです!!!!!!!!
わたしにしか分かんないかもだけど、
わたしの中には少し自分を知ったという変化があるんです。




たぶん、Happyちゃんは、
「こーでなきゃ、ちゃんとしてなきゃダメだ!!!!」って、
すごく四角定規というか視野が狭まって苦しくなっている人にむけて、

こんなダメでちゃんとしてない自分でもいいんだよー
ってメッセージを送ってくれているんだと思いますが、

それでわたしなんかは、
逆に「ダメ」とか「悪い」とされていることをやってみたら、
もっと自由になれるかも!と思ったわけですが、

それも全部人の好みとジャンルによる、ということが分かった。




たとえば、

わたしは精進料理が好きで、
茶道の凛とした静寂の場も好きで、
生き方や在り方についてストイックな人の佇まいも好きで、
「そんなのもっと雑でいいじゃーん」と言われても見当違いの提案ですが、

(いや、「そうじゃなきゃダメ」と苦しい人にとっては正しいアドバイスですが、わたしは厳格でもないし、もともと好みのレベルでゆるいので。)


もともといい人仮面をつけて生きていたわたしの、
「絶対挨拶はする」
「悪口は駄目」
「人のことを嫌いと思うのもダメだし言うなんてもってのほか」
「さぼるなんてありえない」
「お金の無駄遣いとか許されない」
という思い込みたちは、わたしにとってはとても苦しいものだったので、

「そんなのさもっと適当でいいじゃーん、人に嫌われたってムカつくダメ人間って思われてもいいじゃーん」
っていうパンチはありがたいものでした。


【参考】飛躍はせずとも変化はしてた28さい(お断り:長いですよ)
【参考】ダラダラ気持ちよく生きてやる、わがままの目覚め。29さいの目標
↑「いい人」をやめようと決意して、怖々トライしていた頃。心屋さんを知ったのはこれのちょっと前だったな。

【参考】わたしがサボるなんてありえなかったけど今はインチキしてます
↑もう二年近く前。当時は怖かったなぁ。

【参考】あばよベスコンプレックス
↑これに気づいて、わたしは相当楽に自由になったと思う。




まあ、これもトライしてみないと、
これらが自分の好みなのか外側の情報によって制限された上での選択なのかわかんなくてモヤっとすることがあったでしょうから、いい経験でした。

そして、
そもそもあんまり厳密にやらないっていうのがわたしのこだわりでもあったので、
それも確固たる感じになったし笑、単純に選択肢も増えてよかったです。




でね、
わたしこういうの時々やってないか?と思ったんですね。

【参考】なぜか「自分は間違っていてみんなは正しい」と思い込んでいた

この記事に書いたことです。


わたしには、ビニール傘を買って使い捨てるという感覚がどうしてもなじまなくて、
でも周りの子たちもそういうの気にしてないみたいだから、
「きっとわたしが気にしすぎなんだ、
わたしもビニール傘を使い捨てることに慣れよう!!!!」
と考えるみたいな。

「浮いてる」とか、「まじめ」、
「いい子ぶってる」と思われるのが嫌だったんですね。





わたしは小さい頃から、
人間の行為によって地球が痛がっているという感覚が強くあって、

人間が海を汚したり、捨てたゴミによって野生の生き物が死んだり、
どこにでもあるようなショッピングセンターをつくるために森林を伐採して土地をたいらにしたり…、

見てるだけで身体が痛むようだった。


でも、そんなのいちいち気にしていたら、この世界では生きていけない。


ネイティブアメリカンだって、
世界中の少数民族だって、
「文明」をもつ人々に侵略されて壊され飲み込まれていったじゃないか。

きっと強いほうが正しいし、
勝って残っているほうが正しいんだ。


キレイゴト言ったってわたしだってその文明の中で生きている。

弱いとものも言えない。
誰にも聞いてもらえない。
じゃあ、強くなるしかないじゃないか。
野蛮に、無神経に。



そして、自分の柔らかいところを殺した。



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最初のHappyちゃんたちの話からは、
だいぶ遠くまできてしまいましたが、
ビニール傘の話がなぜか浮かんできたので書きました。


今は、
「いい子ぶってる」とはじかれる怖れからの脱却をするときかな。



「いい子」とか「悪い子」はないんですもんね。
やりたいこととやりたくないこと、好みがあるだけ。


それをもし
「いい子ぶりっこすんな」という人がいたとしたら、
その人にとっては相手サイドが「善」で、
その人自身の望みや在り方、存在は「悪」だとその人が判断してるってだけ。



ほんとはどっちがどうなのかなんてわかんないよな。



ということで、オワリ。




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