2017年5月4日木曜日

自分を信じて守り通すことができるだろうか



ここ一、二カ月わたしは体調がすぐれない。
主に便秘。

でももういっこあって、視力の低下。


両方繋がってる気がする。



「取り込みすぎ」だ。
自覚がある。



外側から必要以上のものを入れるな、ということだと思う。

特に情報。
いや食べ物もだけれどね。

ガマンしなさい、という感じ。



必要じゃないけど、
わたしは惰性と退屈から取り込んでいる。

不安なんだろうか。

自信がないんだろうか。

怖いんだろうか。




一人で立っていることが怖いんだろうか。



逃避でもあるな。




便秘も視力低下も顕著な変化で、
明らかなメッセージだと思ったので、
最初は抵抗していたけど、メッセージを受け取ることにした。
(だって便秘でも食べたいし、必要なくても読みたい)



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すると過去の自分を思い出した。




このblogでは何度も書いてきたけれど、

わたしは自分よりも他人の感覚が正しいと思って、
自分を疑い信じてこなかった。


それでもわたしの態度が強情に見えることはあっただろうし、
「確固とした自分の意見があってすごいね」みたいなことを言われたことも一度や二度じゃないから、よくも悪くも「自分がある」ように見えていたかもしれない。


でも、本当は違うと思う。



それは、十分に自分を殺したあとのわたしの姿だ。




わたしは基本的に、
全部周りの言うことを受け入れてきたタイプの人間だ。



ことあるごとに、
「自分がおかしいのかな」と思い、
自分が好きでもないものを好きと言うような、
行きたい場所も言えないような。


わたしはわたしであることが嫌だったんだろう。



だから信じてあげられなかった。

信じるなんて、
守り通すなんて選択肢はなかった。

そこまでの価値を感じていなかったから。





それがわたしの選択だった。

環境がさせたわけじゃない。
そう言うことはできない。

わたしが、わたしの感覚を選ばないという選択をしただけ。
感覚を捨てる、という選択をしたのだ。わたしが。




悲しくて辛かったし、
そのあと指針を失って途方に暮れた。


でも仕方ないことだ。

自分がやったことの結果は自分で受け取るしかない。






わたしはどんな女の子だっただろう。


わがままで、
注目されたいのにされると恥ずかしがって、
素直だけれど素直じゃなくて、
失敗するのが嫌で、
空想癖があって、
絵本とお絵かきが好きで、
大人しくて、
泣き虫で、
子犬にお弁当を食べられても見ているだけで、

でも怖がりのくせに冒険したくて、
新しくて不思議な世界を信じていて、見たくて、
自分の頭で考えたくて、
自分が見て感じたことを口に出したい、
納得できない命令にはてこでも動かない反抗的な面を持つ、

人の感情や違和感に敏感な、
感受性が強くて神経質な子供だったように思う。





この中にも「原型」ではなくて、
既に環境から得た色が混じっているかもしれないけど、
わたしの記憶の中ではこんな子供だった。




でも、友人がもしこれを読めば、
「へえ、意外」と言うものもあるかもしれない。


特に、弱くて怖がりで泣き虫で感受性が強くて。。。の部分は、
わたしが自分で嫌って隠して殺してきた部分だから、
親しい友人であっても、「意外」な部分だと思う。


わたしは理屈じゃなくていつでも感性で物事をとらえていたし、
いつでも感じていた。

自分の世界に入ってはぼーっとしていて、
意地悪グループ(って便宜上言いますが、クラスで声が大きい子たちと思ってください。本当は別に意地悪なだけじゃないんですけどね。)の子たちが怖いと感じていた側。



だけど、それじゃあ身を守れないと思った。

だから、新しくキャラクターを作り上げたのだ。
鎧のように。

処世術の一環として、なるべく自分に負担の少ないキャラクターを。



それが、
成長してから出会った人たちが知る「わたし」だ。

5歳の頃とは違う。





ここ最近、
自分についてあれこれ考えているうちに浮かんできたのが、
そういう徒然でした。


もはや鎧や仮面なんていうほど、
「取り付けた外側」という意識もない。

わたしの一部、と感じている。



でももしかしたら、それも脱いでいく時期なのかもしれない。



あとから習得した、
「ひょうひょうとクールな、どうでもよさそうな態度」
「乱暴だったりきつめの言葉づかい」
「意地悪を言うこと(冗談)で距離の近さを確認するコミュニケーションの取り方」

要らないかもしれない。



自分でも、強すぎると感じていた表現たち。

自分の一部と思えるほどクセになっているから、
気づかずにそれを演じてしまうことは多々ある。

でも、

それももう自分から切り離してもいい時期かもしれない。




そしてまた自分に戻っていきたい。



今度は、
他人に何を言われるか思われるかではなくて、
自分の内側に忠誠を誓えるだろうか。




自分を信じて、守り通すことができるだろうか。








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