2017年6月7日水曜日

無性になりたい(心だけでも)


わたしにとってsexualityはずっと大きなテーマでした。

その認識が大きく変わりつつあるので、
ここでシェアしたいと思います。



【女性性開花】とか、
【セクシュアリティの解放】とか、
世の中では(ネットの中では)よく見かけます。

【女神が男性を導く】とかな。



わたしはそう思っていません。



それも、もののケのしおりちゃんのお話を読んでから変わってきた、
というのが正直なところなのですが、
わたしたちが当然に認識している「男女」の概念、
これ自体がすべての誤りのもとなのではないか?と感じています。




性があること、有性であること。

肉体が物理的に違い、
そこから精神的な違いが生じることももちろん理解できる。



でも、わたしたちが生まれてから身につけていく
多くのシバリの中で、
「性」は非常に大きな割合を占めているし、
生命の根っこ部分にあり拘束力が強い。



「女は女に生まれるのではない 女になるのだ」
という言葉がありますが、
それがフェミニズムの視点だけからの言葉なら片手落ちで、

「男は男に生まれるのではない 男になるのだ」
も同時に認識されるべきだと思います。


二元の概念は対として存在するものだし、
どちらの性がまとう「仮面」も不自然です。
同じだけの分量で重いです。


殴るほうも、殴られるほうも十分に病んでいます。




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男親が見る娘、
女親が見る息子、
どちらも同性の子を見るのとは違うといいます。


たとえばおしゃまな女の子が、
お父さんの膝に乗り甘えて何かをねだっているのを見て、
「女の子は小さいときから女だね」なんて言ったりしますが、
そのときのお父さんの顔を見れば、
きっと見るに堪えないほどデレデレだと思います。

女の子は、小さい頃から女親をけん制することもあると思います。


それが、女のやり方だからです。



わたし自身の幼い頃を振り返ることは
残念ながらできませんが、
つい最近までの自分の在り方を省みるに、
たぶん幼い頃から無意識に学んできた結果だと思います。



ひとことで言えば、
女としてのわたしの欲求は「男の気を惹きたい」です。

愛され気にされ大事にされ守られたい。です。


そのためのやり方はなんでもいい。
とにかく注目をあびて、誰よりも目立てばいいのです。

それで異性の気を惹く。

相手をいい気持ちにさせて、見返りを得る。

報酬は、「気をかけてもらう」でもいいし、
「お金」や「サービス」でもいい。
なるべく多くの「保険」をかけ、「保護」を受けられる可能性を消さないように。


そのためにライバルとなる他の女性を意識し、競争します。
嫉妬されると自分の価値が上だと感じられます。


そのやり方が不得意だ、という理由で、
闘いから降りたようにふるまう人もいますが、
上に挙げたようなやり方が気に障ったり、
自分と比較してしまうようであれば同じです。





男のやり方は違います。

上の例で言うと、
「媚びられる」ことでエネルギーを得ます。

俺が上だ、俺のほうが強い、俺に従うものがいる。

その事実によって自信を得ます。


ヒーローになりたい、
尊敬されたい、
褒められたい、
すごいと言われたい、
あなただけだと言われたい、
支配したい、


なんでもいいけれど、全部自分の優位性を感じたい欲求。

実はいつでも揺らぎそうになる自己価値を、
どうにかして保ちたいという切実な気持ちなのでしょう。



娘が自分に甘えてくる様子は、
完全に男親の欲求を満たすものだと思います。




男のやり方の支配は、上からきます。
女のやり方の支配は、下からきます。

自分と同じ欲求を持つ同性は敵です。



男と女、どちらがいい(マシ)と言えるでしょうか。
いや言えない。(反語)



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勝った負けたの比較は、
かなり深いところまでしみこんでいて、
わたしは最近までそれに気づいていませんでした。



ここまで読んでくださった方の中には、
上で挙げた親子の例を不快に思われた方もいるかなと思います。

そんなの当たり前じゃないの?
と思われた方もいるかと思います。



確かにこの世界では、
どの地域に行こうともそれが「普通」だと思います。

でもキモくないですか?



わたしたちは子供の頃から、
「相手から得る」ことを無意識でずっと意図し続ける社会にいます。
損をしないように。
できるなら一人勝ちできるように。

自分一人では自分を満たせないから。



あなたはわたしのものよね?
おまえは俺のものだよな?

支配です。

お互いに、演じることを強い合うのです。


このメンタリティは、根深いところで「性」と結びついていると感じます。




「性」を汚いものとする、というトリックがあり、
「性」を聖なるものとするトリックがあります。

どちらも「性」が際立ってきますよね。



でも、ほんとうは、

「無性」である自分、
誰にも媚びなくていいし強さを証明しなくていい自分、
ただの生命としての自分、

を思い出し、取り戻していったほうがいいのじゃないかなと思います。



途中で、

どれだけ自分のマインドが概念に汚されているか
嫌になるほど見ることになるでしょうが、
【女性性開花】を望むよりも本来の自分の透明さに近づく気がします。


演じること一切を捨てて。






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